第271話 くだらない遊戯
「ライマン枢機卿ッ! あれは一体どういう了見だ!」
テーブルを叩く音と共に、会議室に怒声が響き渡る。
「はて、あれとは一体何のことであるか? レーガー枢機卿」
ボーゼ・レーガーから怒りを向けられているにもかかわらず、マヌエル・ライマンの表情や態度に変化はない。
「とぼけるつもりか!? 冒険者を教会から締め出すような真似をしておいて! 神への祈りは公平に、そして平等であるべきだ! 特定の職種だけを差別することは断じて許されることではない!」
レーガーの怒りは収まりを見せる気配はない。だがそれも仕方がないことだと言えよう。ライマンは会議で決議を取ることなく独断で、冒険者の教会への立ち入りを禁じたのだから。
ただし、仮に会議を開いていたとしても結果が変わることはなかっただろう。今やライマンを支持する者は、会議に参加する者の過半数を大きく上回っている。いくらレーガーの主張が正しいものだとしても、ライマンの主張が通っていたに違いない。
「レーガー枢機卿は何やら勘違いをしているようであるな。私に冒険者を差別する意思などない」
ライマンの返答は、冒険者を締め出した事実を半ば肯定しているようなものだった。しかし、そこに悪びれる様子は微塵もない。
「勘違い? 現に冒険者を締め出しておいて、どの口が――」
「――必要な措置を取ったに過ぎない。私に届いた報告によると、冒険者の皮を被った鼠がこの国に侵入したとのこと。何を仕出かすつもりかは知らぬが、神聖なるノイトラール法国に刃を向けようとしている可能性が極めて高いと私はみている。故に私は、一時的に冒険者の出入りを禁じることにした。ただそれだけの話である。ところで……レーガー枢機卿に心当たりはないか?」
ライマンの鋭い視線がレーガーを射抜く。
その視線は雄弁に語っていた。『鼠の正体をお前は知っているのではないか?』と。
しかし、レーガーも伊達に枢機卿の地位にあるわけではない。鋭い視線を真正面から受け止め、逆に睨み返す。
「心当たりなど一つもない。そもそも鼠が入り込んだという報告は正確な情報だと断言出来る物なのか? そうでないなら今すぐに冒険者の制限を解除すべきだ。祈りを捧げることを制限するなど、我らが神は決して望みはしない」
「祈りを捧げることまで制限した覚えはない。祈りを捧げるだけならどこにいたとしても出来るであろう。違うか? レーガー枢機卿」
「詭弁だ。確かにライマン枢機卿の言う通り、どこにいたとしても祈りを捧げることは出来るだろう。だが敬虔なる信徒ほど、この教会で祈りを捧げることに意義を見出だしている。まさか冒険者には敬虔な信徒がいないとでも思っているわけではないだろうな」
議論は平行線のまま、時間だけが経過していく。
どちらの枢機卿も譲れぬとばかりに主義・主張を述べていくが、結局どちらも折れることはなく、会議は終了の時間を迎える。
「時間であるな。これにて会議は終了とする」
会議の進行は、大きな派閥を持つライマン枢機卿が握っていることもあり、ライマンは会議室に備え付けられた時計を見た後、そう告げた。
「待て。まだ議論は終わっていな――」
「これ以上の議論は時間の無駄でしかない。これにて私は失礼させてもらう」
レーガーの待ったの声が聞き届けられることはなく、ライマンは会議室を後にしたのであった。
ライマンは会議室を出た後、すぐさま輸送部隊の隊長を務めるホラーツ司教を自室へと呼び出した。無論、ホラーツを呼んだ理由は経過報告を聞き出すためである。
「し、失礼します、ライマン枢機卿」
ホラーツは声が震えるほどガチガチに緊張していた。
「うむ。それで鼠の炙り出しは済んだか?」
ライマンはホラーツに腰を掛けるよう促す真似はせず、ただ淡々とそう告げる。だがその一言で、ホラーツの顔色はみるみるうちに青ざめていく。
原因は言うまでもない。ホラーツは未だに尾行した者の正体を掴めずにいたからだ。
「も、申し訳ございません。ある程度まで絞り込むことは出来たのですが……」
「手際が悪いと言わざるを得ぬな。私自ら手を貸したにもかかわらず、未だに正体を掴めていないとは何たることだ。ホラーツ司教よ、これ以上私の手を煩わせるでない」
ライマンは、ホラーツから鼠の正体が冒険者の可能性が高いとの報告を受けたが故に、冒険者の教会への出入りを禁じることにしたのだった。
そしてそれは、鼠が侵入出来ないようにすると同時に、教会に立ち入ろうとする冒険者の名前を全て記録し、ホラーツの手掛かりとするためでもあったのだ。
「……弁明の余地もございません」
「私は謝罪を求めているわけではない。私が求めているのはただ一つ。それは結果である。結果を示せ、ホラーツ司教。其方に残された時間は残り僅かだと考えよ」
それは死刑宣告も同然の言葉だった。
ライマンが手を汚すことを厭わない人物であるとホラーツは知っている。だからこそホラーツは蛇に睨まれた蛙の如く、身体を硬直させてしまう。そしてそれと同時に、ホラーツは心の中で一つの決断を下す。
(……形振り構っていられる状況ではありません。こうなってしまった以上、強行策に出る他ないでしょう)
追跡者の正体を完全に絞り込めてはいなかったが、既にホラーツは容疑者を二十人前後までは絞り込めていた。
しかし確証がないにもかかわらず、冒険者に手を出すことは難しい。そう考えていたホラーツだったが、ライマンの脅迫めいた言葉でその考えをホラーツは捨て去ることにしたのである。
「かしこまりました」
恭しく頭を下げるホラーツに対し、ライマンは手振りで退出を促し、ホラーツを下がらせた。
ホラーツが退出してから数分が経ったところで、ライマンのもとに一人の来客が訪れる。
「入りたまえ」
「失礼致します、ライマン様」
その者は司祭に付き従う侍者に過ぎない地位であるにもかかわらず、単身でホラーツのもとを訪れた。だがライマンを前にしても、その者に緊張の色はほとんど見られない。
「何用であるか」
「はっ。
「……ふむ。して、その内容は」
「『作戦の進捗状況を報告書に纏め、提出せよ』とのことでございます」
「あいわかった。先んじて『概ね計画通り進捗している』と、お伝えしてくれたまえ」
「かしこまりました。では、これにて失礼させていただきます」
時間が惜しい――というわけではなく、この場を誰かに目撃されないために手早く用件を済ませ、侍者はライマンの部屋を後にした。
そして一人残されたライマンは、革張りの椅子に深くもたれ掛かりながら薄ら笑いを浮かべ、独り言を呟いた。
「このくだらないお遊戯も、もうじき終わりであるな」
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