第264話 一つの空席
広場から百メートルほど離れた建物の物陰に隠れながら広場の様子を確認してみると、そこには何十人もの人だかりが出来ていた。
現在の時刻を考えると異常だと思わざるを得ない光景に、俺の中の警戒心が高まっていく。
「警戒態勢を敷いている?」
エルミールが『中に入れそうにない』と言ったのも十分頷ける。
広場にいる人々の格好はそれぞれ違いこそあれど、平々凡々なもの。強いて特徴を挙げるとするならば、若干薄汚れた衣服を身に纏っている者が多い気がするくらいである。当然、武器を携帯しているなんてことはない。
しかし、ただの一般人ではないことだけは一目見ただけでわかった。
「そう考えるのが妥当でしょうね。一般人を装っているようだけれど、周囲を探るような仕草を時折見せているし、意味もなく広場を歩き回っているなんて明らかに不自然だもの。おそらく広場にいる人たちは貧民街の人間だと思うわ」
貧民街の人たちが何故ここにいるのか、といった疑問は然程湧いてこない。
広場に近づく者がいるかどうか、何者かが監視させているのだろうと想像がついたからだ。
国家に属する正規の兵士にその役割を任せなかったのは何かしらの事情がありそうだが、今の俺たちにそれを知る術はない。
「何食わぬ顔で広場に入る……ってのも無理だよね」
「無理ね。私の予想通りあそこにいる人たちが貧民街の人間なら、顔を見ただけで貧民街の人間かどうか判別出来るでしょうし」
分かりきっていたことだが、バッサリとエルミールに切り捨てられる。当然ながら、俺も本気で言ったわけではない。
「それで、どうするの?」
俺の真後ろにいたディアからそんな声が上がる。
「ここで危険を犯す意味はあまりないし、今日は大人しく引き上げるしかないかな」
「ふぁ〜ぁ。やれやれ……無駄足になってしまったな」
フラムは右手で口を抑えながら大きな欠伸をする。
眠気からではなく、暇になってしまったが故の欠伸のように見えた。
そんなフラムに対して俺は反論というほどではないが、無駄足ではなかったことを説明する。
「いや、無駄足じゃなかったよ。警戒してるってわかっただけでも十分な収穫だ」
「そうね。この広場には何か秘密がある。それがわかったのだから、今日のところは良しとしましょう」
探知系スキルを持っていないエルミールが、秘密があると断定するのは些か早計な気もするが、フラムのモチベーションを下げないためにも、それを指摘する必要はないだろう。
それに、無駄足ではなかったのは紛れもない事実だった。
エルミールたちがいる手前、あえて口にすることはしなかったが、俺の『気配完知』は広場の真下にある地下空間の存在を、人の反応を捉えていた。
地下空間の存在に確証を持ったことをおくびにも出さず、俺はエルミールの話に乗っかっていく。
「なら今晩はこれで解散にしようか。今後の方針はどうする? また後日に決める?」
「いいえ、もう次の予定は考えてあるわ。そうね……」
そこで一旦言葉を切ったエルミールは三秒前後の短い時間、顎に手をあてて何やら考え込み、顔を上げた。
「……三日後。三日後、私たちの宿に来てもらえないかしら?」
「明日、明後日じゃなくて三日後? 何かそっちに予定でも?」
「まぁそんなところよ。三日後の夜七時に待ち合わせ。それでいいかしら?」
俺たちからしてみれば、早ければ早い方が好ましい。しかし『比翼連理』の二人に予定があるというのであれば、ここは仕方がないと割り切る他ないだろう。
「わかった。それじゃあ三日後の夜七時ってことで」
「くれぐれも遅刻はしないでちょうだいね」
「……? あ、ああ」
遅刻するような性格だと思われているのだろうか。いや、フラムとエルミールの間柄を考えると、俺にではなくフラムにそう忠告したと考える方が妥当かもしれない。
そんなどうでもいいことを考えながら、俺たちは別れの挨拶を済ませ、その日は解散となった。
約束の日はあっという間に訪れる。
俺たちはこの三日間、特段大掛かりな行動は起こさずに大人しくしていた。
教会の周辺を遠目に見て回ったり、気分転換に法国内の様々な場所を散策したりと自由気ままに行動していたが、全くの考えなしに行動をしていたわけではない。
活発的に外を出歩いた目的は、監視者の炙り出しにあった。
一度フラムが監視者を排除したとはいえ、二度目がないとも限らない。そう考えた俺は、自分たちを餌にすることで監視されているかどうかを見極めようとしたのである。
その結果、今現在は監視されている様子はないことが判明している。
俺とフラムに気付かれずに監視している可能性はゼロとまでは言わないが、限り無くゼロに近いと言えよう。
そんな三日間を過ごした俺たちは、エルミールと約束した時間の十分前に目的地に到着した。
念のため、監視されていないか周囲を確認してから入り口の扉を開け、中に入る。
「あら、十分前に来るなんて殊勝な心がけね」
わざとらしいほどに驚いてみせるエルミール。
褒められているのか、はたまた貶されているのかわからないが、無難な対応をしておく。
「まあね」
「とりあえず好きな席に座っててちょうだい。今飲み物を用意するから。エドワール、手伝ってくれるかしら?」
「任せて、エルミール姉様」
俺たちに座るよう促したエルミールたちは、店の厨房へ足を向けた。そこで俺はあることに気がつき、背を向けているエルミールへ声を掛ける。
「あれ? マスターはいないの?」
「そのことなら、マスターにお願いして店を空けてもらったのよ。内緒話をするならその方がいいでしょ? それに、無関係なマスターを巻き込むわけにはいかないもの」
確かに無関係である店主はここにいない方が身のためだろう。
もし俺たちの目的が露呈してしまった場合、店主に火の粉が降りかかる恐れがあることからも、エルミールの判断は適切だと言える。ただし、店を貸した責任を問われてしまった場合はどうしようもないが。
その後、仄かに紅茶の香りが漂ってくる大きなティーポットと六つのティーカップを用意したエルミールとエドワールは、隣合う席には座らずに、何故か間に一つ席を空けて腰を落ち着けた。
「「?」」
その行動に疑問を抱いたのは俺だけではなかったようだ。
ディアを横目で見てみると、不思議そうに首を僅かに傾げていた。
六つのティーカップに、一つ空いた席。
これらから推測するに、この場に呼ばれたのは俺たちだけではないということなのだろう。その証拠に、エルミールの視線は店の出入口へと向いていた。
「誰を呼んだんだ?」
あえて誰が来るのか聞かないという選択肢は俺にはなかった。
しかし、エルミールの返事は素っ気ない淡々としたものだった。
「直にわかるわ」
それだけを言い残し、エルミールの視線は再び店の出入口へと向けられる。
そしてそれから五分が経った午後七時ちょうどに、待ち人は現れた。
白いフード付きのローブを深々と被るその人物は、端から見ると如何にも怪しく映るだろう。現に俺自身も警戒心を密かに高めていた。
「待たせてしまったようで申し訳ない」
フードを脱ぐと男性は軽く頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。
整えられた白髪の混じった金髪と目尻にある目立つ皺から、男性の年齢は五十代といったところだろうか。
「いえ、そんなことはありませんわ」
男性の謝罪に対してエルミールは、『らしくない』気遣いを見せる。
そこで俺はピンと来る。この人物が何者であるのかを。
「そうか、なら良かった。では、先に自己紹介を済ませておこう。私の名はボーゼ・レーガー。エルミールとエドワールの育ての親だと勝手に自負している者だ」
俺の予想は的中する。
裏表のない笑顔を浮かべた男性の正体は、ノイトラール法国の、聖ラ・フィーラ教のナンバー2に位置するボーゼ・レーガー枢機卿、その人であった。
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