第252話 優しい嘘

 孤児院強盗殺人事件の第一発見者は、孤児院の院長であるボーゼ・レーガーだった。

 教会での仕事を終え、朝日が昇る直前にボーゼは孤児院へと帰って来たのである。


 孤児院の大広間へ足を踏み入れたボーゼを待ち構えていたのは、赤く染まった壁や床と愛する子供たち。それといくつかの死体だった。


「……」


 理解の及ばぬ光景を目の当たりにしたボーゼは言葉を発することすら出来なかった。血に染まった子供たちが薄暗い大広間の片隅に集まり、震えていたにもかかわらず。


 そんな状況に陥っていた中、最初に沈黙を破ったのは冷たい笑みを浮かべたエルミールだった。


「院長先生、お帰りになられたのですね」


「エルミール……なのか?」


「――ふふっ。少しお出かけしていた間に私の顔を忘れてしまったのですか?」


 ボーゼは決してエルミールの顔を忘れてしまっていたわけではない。ただ、エルミールが持つ特徴的なライトブルーの美しい髪が血に染まっていたため、思わずそう問いかけてしまったのだ。


「一体、何が起きたと言うのだ……」


 エルミールの冗談に付き合う余裕はボーゼにはなかった。

 今は一刻も早く事態を把握しなければならないという思いから、エルミールに説明を求める。


「見ての通りですわ。強盗が押し入ってシスターと子供たちを殺したので、私とエドワールが強盗を返り討ちにした。ただそれだけのことですわ」


 ボーゼは笑みを浮かべ続けているエルミールを見て悟った。

 エルミールの心は壊れてしまったのだと。


「あ……ああ……あああああああッッ!!」


 冷静さを取り繕い続けていたボーゼはついに限界を迎え、慟哭した。

 頭を乱暴に掻きむしり、両の眼からは大粒の涙がこぼれ落ちていく。


「どうしてだッ!? どうしてこんなことになってしまったのだ! ああ……神よ……」


 膝をつき、ボーゼは血で服が汚れることを厭わずに神に祈りを捧げ始める。

 しかし、エルミールはそれに待ったを掛けた。


「何をなさっているのですか? 神様なんていないのに」


 首を傾げ、純粋で真剣な面持ちでエルミールはそう問いかけた。

 聖ラ・フィーラ教が運営している孤児院の子供であるにもかかわらず、エルミールとエドワールは信仰心を失っていたのだ。


「エル……ミール? 何を言って――」


「――あぁ、院長先生が知らないのも当然ですわね。院長先生、私はシスターや子供たちが殺されていく様を見てわかってしまったのです。毎日お祈りを捧げている私たちを神様は救ってくれないのだと。いや、それだと少し違うわね……。神様なんていないのだと理解したのです。エドワールもそうよね?」


 エルミールの問い掛けに応じてエドワールがボーゼの前に姿を見せる。エドワールも姉と同様に血塗れになっていた。


「うん、僕もそうだよ。だって神様は皆のことを助けてくれなかったんだ。助けてくれないんだったら、それはいないのと同じだよ」


 そう言い放ったエドワールの空虚な瞳を見て、ボーゼはようやく確信に至る。この姉弟はもう神を信じてはいないのだと。


「……そうだな」


 ボーゼは表面上だけの同意を示す。

 ここで双子の姉弟に神の存在を改めて説いたとしても意味はないと察したからだ。むしろ、不安定な精神状態であろう二人に否定的な意見を述べてしまえば、二人の心が修復不可能なほどに壊れてしまうだろうと考えた。

 故にボーゼは未だに信仰心を捨てていないにもかかわらず、二人の『神はいない』という意見に同意したのだった。




 日が昇り、ボーゼから通報を受けたノイトラール法国の憲兵が孤児院を訪れ、そして愕然とした。


「なんだ……これは……」


「本当に人の死体なのか……?」


 孤児院の大広間に足を踏み入れた瞬間から強烈な血の臭いが漂ってきていたことからも、憲兵たちは嫌な予感を抱いてはいたが、予想を遥かに上回る凄惨な光景がそこには広がっていた。


「御足労いただき、感謝を申し上げます」


 憲兵に対し、ボーゼは腰を低くし礼儀正しく振る舞う。


「ボーゼ・レーガー院長、ご説明を願えますか?」


「勿論です。端的に申しますと、昨夜私が孤児院を空けていた間に強盗が押し入り、孤児院で働いていたシスターと子供たちを殺害しました」


 一言一句も聞き漏らさないように憲兵が紙にメモを取りながら、ボーゼに質問を投げ掛ける。


「なるほど。では、その強盗を退けるどころか、殺害したのは一体どなたなのでしょう? 無論、殺人を犯した人物を罪に問うつもりはありません」


「――私です」


「……はっ?」


 ボーゼは嘘を吐いた。

 エルミールとエドワールが人を殺したという事実を隠すために。

 二人の将来が穏やかなものになるように。


「貴方は孤児院を空けていたのではなかったのですか?」


「その通りです。ですが、その時間はほんの短い間だけでした。教会で与えられた簡単な仕事を手早く片付けた私はすぐさま孤児院へと戻り、子供たちを連れ去ろうとしていた強盗に出くわしたという訳です」


「……そうでしたか。では貴方にお尋ねしますが、どのように強盗を殺害したのでしょうか?」


 憲兵は疑いの目をボーゼに向ける。

 果たして孤児院の院長が複数人からなる強盗グループをたったの一人で相手にできたのか、と。

 しかし、ボーゼは疑いの目に臆することはなかった。


「この剣で」


 感情を覗かせない淡々とした口調でそう返答した。

 憲兵に殺害した手段を聞かれると読んでいたボーゼは、憲兵を呼ぶ前に安物のロングソードを武器屋で購入していた。

 ロングソードを選んだ理由は単純だ。

 治癒系統スキルの他に上級アドバンススキル『剣豪』を所持していたためである。


「剣の腕に覚えがあったのでしたら納得です。それも上級スキルをお持ちだったとは」


 言葉とは裏腹に渋々といった様子で憲兵は頷いた。

 その後、現場検証と遺体の処理を済ませた憲兵たちは孤児院を後にした。




 その日からボーゼの生活はガラリと変化し、多忙な日々を送ることとなる。


 ――孤児たちを救った英雄として。


 聖ラ・フィーラ教が孤児院強盗殺人事件を大々的に公表し、ボーゼ・レーガーを英雄として讃え始めたのが事の発端だった。

 ノイトラール法国に住まう数多くの信徒は、聖ラ・フィーラ教の発表に応えるようにボーゼを讃え、『神が遣わせた英雄』と口を揃えて呼び始めた。


 そこからさらに一ヶ月も経たぬ内にボーゼは孤児院の院長という役職を半ば強制的に解任され、新たに大司教の役職が与えられることとなった。


 大司教になったボーゼは、ノイトラール法国にある教会本部の一室が与えられ、部屋に備え付けられた広いベッドへ倒れ込み一人誓う。


「私はもう二度と愛する者たちの命を奪わせはしない。例え、この地位を利用してでも」




 ボーゼが多忙な日々を送るようになった間に、エルミールとエドワールは孤児院を出ていき、冒険者となった。


 二人の冒険者としての才能は圧倒的だった。

 一年と経たずに上級冒険者に上がり、数々の高難易度の依頼を二人だけで達成していったのである。

 その間、才能溢れる二人に対して数多のパーティーが仲間になるよう勧誘してきたが、その全てを断った。

 二人だけのパーティー『比翼連理』であることに拘ったからだ。

 勿論、二人だけのパーティーであり続けるために障害がなかったわけではない。

 上級冒険者の依頼には大抵人数制限が設けられている。そのため、二人は実力に反してBランクに長い間留まることになってしまったのだ。


 しかし姉弟はそんな障害も乗り越えていった。

 人数制限がある依頼を二人だけで受注出来るよう冒険者ギルドと幾度となく交渉を重ね、特例で人数制限の免除権が与えられたのだ。


 そこから再び姉弟の快進撃が始まった。

 冒険者登録をしてから四年が経ち、『比翼連理』はSランク冒険者パーティーに至ったのである。

 Sランクになった姉弟は、拠点をノイトラール法国からラバール王国へ移し、自由気ままに活動するようになった。




 そして孤児院強盗殺人事件から七年の月日が流れた。

 王都に魔物の大群が現れたと聞いた『比翼連理』は、力無き人々の命を守るために自発的に王都の防衛に力を貸し、見事魔物を討伐してみせた。


 平穏な日常が戻り、王都にある持ち家でのんびりと過ごしていた姉弟に一通の手紙が届けられた。


「手紙なんて珍しいわね。誰かしら……」


 ソファーで寛ぎながらエルミールは封を開け、手紙に目を通す。

 その手紙にはこう書かれていた。


『親愛なる子供たちへ。ノイトラール法国を、多くの人々の命を救ってほしい。――ボーゼ・レーガーより』

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