第191話 追い込まれるジェレミー

 マルク公爵軍の最後方で戦場をじっと見つめていたジェレミー・マルク公爵のもとに一人の兵士が駆け寄る。


「――報告します! 弓兵隊、魔法部隊共に全滅! その他の部隊にも大きな被害が出ております!」


 耳を塞ぎたくなるほどの報告を受けているにもかかわらず、ジェレミーの表情は小揺るぎもしない。

 何も悟らせぬポーカーフェイスを保ったまま、淡々とした声音で一言返すのみ。


「そうか」


「閣下、御言葉ですが……このままでは……」


 この先の言葉を紡ぐことは、一兵士でしかない男では無理があった。

 だからといって、今回の反乱の首謀者であり、総大将でもあるジェレミーに苦言や諫言を告げることが出来る人物など、報告を行った男には誰一人として思い当たらないのだが。


「其方が気にすることではない。元の配置へと戻れ」


「は、はい! 失礼致しました!」


 酷く重たい空気が漂うこの場から離れられる喜びから、兵士は声を裏返しながらも、ジェレミーのもとから離れていった。

 そして、ジェレミーは報告された内容を噛み砕き、戦況を精査するために思索に耽る。


(戦況は悪化の一途をたどっている。このままでは全滅させられるのも時間の問題かもしれん。それにしても……まさかこれほどまでとは、な)


 感情を表に出すことはないが、ジェレミーの心の内は驚きと憎しみに支配されていた。

 全ての原因はトムという名の謎に包まれた仮面の男にある。

 正体は不明。素性は勿論、年齢や出自さえもわからない。

 判明していることといえば、トムというあからさまな偽名と性別、そして常人では到達しえないほどの実力を持っていることだけ。

 そんなどこの馬の骨かもわからぬ一人の男に戦場を掻き乱され、さらには単独でジェレミーに王手をかける数歩手前まできているともなれば、ジェレミーが驚きと憎しみの感情を持ってしまっても仕方がないというもの。


 相手はたったの一人。

 ジェレミーは魔武道会を観戦してはいなかったものの、試合内容等の情報は手に入れていたこともあり、トムとラムと名乗る二人の実力をある程度は把握していたつもりだった。

 実力を把握していたからこそ、警戒もしていた。だが、心のどこかで甘く考えてしまっていたのだ。

 数千――いや、王都を囲む反王派軍の総数で計算すれば万を超える兵を相手にしては、トムとラムという規格外の実力を持つ二人が王都の防衛に加わろうが、数で押し切れるのではないか、と。

 しかし、一度戦場に目を向けてみれば、その考えは甘過ぎたと言わざるを得ない散々な光景が広がっている。

 ましてや、トムより実力が上だと思われるラムがいないにもかかわらず、だ。


(国王の懐刀とも言われている二人の内、トムだけが王都の防衛に手を貸しているとは考え難い。おそらくラムも別の戦場で防衛に加わっているとみて間違いないだろうな……。であれば、ラムが現れた戦場では、こちらと同様かそれ以上に散々なことになっているはずだ。……忌々しい)


 そう考え、ジェレミーのポーカーフェイスが僅かに崩れる。

 奥歯を強く噛みしめ、口角を歪めたのだ。

 そして、そんな悪い予想は見事に的中してしまう。


「きゅ、急報です! 東にて、バランド辺境伯が討ち死にされたとのこと!」


 焦燥感からか、報告を行った兵士はジェレミーを前にしているにもかかわらず、馬から降りることを忘れ、顔色を悪くしながらジェレミーに凶報を伝えた。


「……何だと? その情報は間違いではないのか?」


 俄には信じがたい情報にジェレミーは誤報なのではないかと疑う。

 まだ戦闘が開始されてから一時間も経っていないのだ。いくらなんでもバランド辺境伯が殺されたにしても早すぎる。

 戦力が少ない西や南なら、まだジェレミーも納得出来たかも知れない。だが、ジェレミーに並ぶほどの大きな戦力を持つバランド辺境伯が討ち死にしたとの情報だけは信じられなかったのだ。


「……間違いありません。付け加えますと、東にいたはずの兵士全てが姿を消しています。今や東の戦場は焼け野原が広がっているだけとなっています」


「……焼け野原が広がっている? ……そうか。そういうことか」


 東の戦場が焼け野原になっているという情報にジェレミーはピンと来るものがあった。


(ラムが東に現れ、バランド辺境伯をこの短時間で討ったということか。納得は出来んが、それしか考えられんな。トムとラム……どこまで私の邪魔をしてくれるつもりだ!)


 怒りのあまり、ジェレミーは自分のために用意されていた簡易的な作りをした椅子を強く蹴り上げる。

 宙を舞う木製の椅子は木の破片を飛び散らせながら、地面へと叩きつけられた。

 流石のジェレミーでもポーカーフェイスどころか、感情を抑えることすら出来なかったのだ。


 戦闘が始まる前までは王都側との戦力差は比較にもならないほど圧倒的に反王派貴族軍が上回っていた。

 王都を守る王国騎士団は先の魔物との戦いで疲弊し、冒険者や傭兵も王都の防衛に手を貸していた様子もなかったこともあり、一日と経たずに王都を陥落させられたはずなのだ。


 しかし、現実はどうだろうか。

 北の戦場はトム一人の力によって、今やジェレミーの軍は崩壊寸前。

 東の戦場については詳細こそわからないものの、おそらくラムによって一時間も経たずに終わりを迎えてしまった。


 トムとラムという圧倒的な個の力で全ての計画が狂い、破綻したのだ。ジェレミーが感情を抑えられなかったのも仕方がないと言えよう。


 未だに怒りが収まる様子のないジェレミーのもとに、さらに追い討ちをかけるかのような凶報がもたらされる。

 馬を必死に走らせ、こちらに向かってくる兵士の姿を目にしただけでジェレミーは悪い報告が届けられるのだろうと見当をつけていた。


 そして案の定、兵士から告げられた報告は最悪なものであった。


「西に布陣していた連合軍が潰走したとのことであります! アブラーム子爵を始めとする指揮官は全て討たれ、指揮官不在となった兵たちは統率を失い、投降する者や逃げ出すものが跡を絶たないと……」


「西だと!? 一体何が起きたと言うのだ!」


 ジェレミーは怒りに身を任せ、怒声を兵士に浴びせる。

 北にトム、東にラムがいるはずなのに、西の貴族連合軍が王国騎士団に早々と敗北するとは思えなかった。

 東西南北に配置された王国騎士団の総数はおよそ五千との情報が入っている。それを均等に分けたとしても、各方面に配置された王国騎士団はそれぞれ千と少ししかいないのだ。

 地の利は向こうにあるとはいえ、千人強程度の王国騎士団に貴族連合軍の指揮官全てを討つことなど、常識的に考えても出来ようはずがない。


 情報が足りない――ジェレミーはそう考え、事の詳細を兵士から聞き出す。


「突如として仮面を着けた執事服の男が現れ、たちまち指揮官を討っていったとのことであります」


「仮面を着けた男だと!? 馬鹿な! トムは北に、ラムは東にいたはずだ!」


 常に冷静さを保っていたジェレミーの姿はそこにはもうなかった。完全に感情に身を委ねてしまっている。


「わ、私にはこれ以上のことは……」


「ならば、今すぐにでも情報を集めてくるのだ!」


「は、はい!」


 ジェレミーから逃げるかのように兵士はその場を後にした。

 そして、ジェレミーは大きく深呼吸を繰り返し、普段通りの冷静さを取り戻そうと努力する。

 しかし、冷静さこそ取り戻したものの、頭の中は北の戦場のことではなく、仮面を着けた三人目の人物のことで一杯になってしまう。


(どういうことだ? トムの幻影が西に現れたということか? ……いや、あり得ぬ。幻影に人を殺すことは出来ないはずだ。では、トムとラム以外にも国王の懐刀がいたということなのか? いや待て、それこそあり得ぬ。単独で数千にも及ぶ軍を相手にすることが出来る稀有な者など、いくら国王とはいえ、用意出来ようはずがない)


 自問自答を何度も頭の中で繰り返そうが、答えは出ない。

 ただただ焦燥感と苛立ちがジェレミーに募っていくだけである。


 そんな時だった。

 ジェレミーの側にいるだけで、ずっと口を閉ざしていたルッツが口を開いたのは――

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