第190話 馬鹿げた命令

「……ふぅ。後は時間が解決してくれるでしょう」


 ホッと安堵の息を漏らしたのは、マルク公爵軍魔法部隊の指揮を任されている青年――エタンだ。

 紅介が生み出した幻影の弱点を見抜き、さらには『暴風結界』の弱点をも見抜いたエタンは、魔法部隊の指揮官という立場にありながら、その身分は平民であった。

 遠縁に貴族がいるなどといったこともない平民中の平民。むしろ、貧しい家庭で育てられた過去から考えれば、それ以下かもしれない。

 では何故、平民という身分にもかかわらず、魔法部隊の指揮官を任されたのかといえば、それは単に彼が優秀であったからに他ならない。

 元は少しばかり魔法が得意というだけの青年であったエタンは、魔法の才能ではなく、勉学に励んで得たスキルや兵法の知識がジェレミー・マルク公爵に認められ、今の立場にまで登り詰めたのであった。


 そんな経緯を持つエタンは現在、防戦一方となっている仮面の男の挙動を注視していた。

 このまま仮面の男が動かずに防御に回るのであれば、時間が全てを解決してくれると踏んでいる。そのため、『じっとしていてください』といった気持ちで、半ば祈るように注視していた。


 しかし頭の中では祈るまでもなく、ほぼ間違いなく勝てるだろうとも計算していた。

 相手は所詮一人。

 どんなに強かろうが、強力なスキルを所持していようが、数の暴力で押しきれる自信があった。

 何より、仮面の男の戦い方は幻影や風系統の魔法を多用していることから、魔力は必須。

 今のまま仮面の男の魔力を削ぐことに重点を置けば、魔力を枯らし、無力化することもそう難しい話ではない。


 エタンの知識にある限り、どんなに凄腕の魔法使いであろうと無限に魔力を持つ者などおらず、平均的な魔法使い数十人分の魔力を持っているかどうか。

 仮面の男を超が付くほどの凄腕だと見積もったとしても、その魔力量は百人分がいいところだろう。

 百人分の魔力量を仮面の男が持っていると仮定しても、それに対し、エタンの指揮下にある魔法部隊の人数は三百を優に超える。

 魔力量だけで比較したとしても戦力比は百対三百超。

 今のまま魔法戦を繰り広げていれば、負けようはずがないとエタンは冷静に考えていた。


 けれども、不安が全く無いと言ったら嘘になる。

 その不安がどこから来るものなのかはわからないが、底知れぬ何かを仮面の男からエタンは感じていた。


(……何故だか胸がざわついてますね)


 原因は不明。

 不気味な白い仮面が不安を掻き立てているのかもしれない、と一瞬馬鹿なことを考えてしまうが、即座に頭を振ってその考えを追い出す。


 もうじき魔力が尽きるはず。このままいけば何も問題はない――しかし、その予想は大きく外れることになる。

 人外の領域に足を踏み込んでいる紅介をエタンが持つ知識という物差しで測ろうとしたのが、そもそも間違っていたのだ。


 そして、注視していたエタンの眼から仮面の男が突如として姿を消した。


―――――――――――――――


 回避と防御を繰り返しているだけでは埒が明かない。魔力を浪費するだけだ。

 だったら、多少大胆になってしまうが、攻撃に転じる他ない。

 そう判断をしてから迅速に行動に移っていく。


 まず手始めに砂嵐を発生させ、俺の姿を眩ませる。

 眩ませる時間はほんの数秒の間だけでいい。重要なのは俺が何をしたのかを見られないようにすることにあるからだ。


 砂嵐が吹き荒れる中、俺は新たに幻影を五体生み出し、その後『空間操者スペース・オペレイト』を使用。

 空間を敵魔法部隊の後方へ繋げ、幻影と共に転移し、後方から急襲をかける。


 砂嵐が晴れた後には俺の姿はそこにはもうない。

 俺の姿が消えたことで魔法部隊は明らかに困惑し、周囲に目をさまよわせているようだが、まさか後方にいるとは考えていないのだろうか、後ろを振り返る者は全くといっていいほどいなかった。


 後方を警戒する者がいない状況での急襲。失敗するはずがない。

 別部隊の者が俺が転移した姿を見て、何やら叫んでいるようだが、喧騒に包まれている戦場でその声がはっきりと魔法部隊に届くことはなかった。


 完全に不意を突いた俺の急襲に、敵魔法部隊は混乱の坩堝と化していく。


「――い、いつの間に!? 後ろです! 仮面の男は後ろにいます!」


 魔法部隊の中腹にいる若い男が指揮官なのだろう。

 俺の急襲に気づくと共に、指示を次々と出している様子が視界に入る。

 だが、気づくのが遅すぎる。

 俺の幻影は既に魔法部隊の二割を削っていた。

 相手は魔法をメインとした部隊だ。一度近づいてしまえば動かない的とそう変わりはないため、容易く無力化していくことが出来る。


「石の礫を上から降らせてください!!」


 指揮官と思われる男がそんな指示を出す声が俺の耳に届く。

 そして、その指示通りに石の雨が敵味方関係なく降り注いでくる。

 しかし、幻影への対策で降らせた石の雨が意味をなすことはない。そうしてくるだろうことは想定していたため、対処するのは簡単だった。

 小粒の石が上空に現れた瞬間に暴風を巻き起こし、排除するだけ。

 所詮は味方に怪我をさせない程度の小粒の石だ。吹き飛ばすだけなら造作もない。


 これで幻影の安全は確保された。

 後は魔法部隊を無力化していくだけである。

 スムーズに事を為すためには、指揮官の男を真っ先に無力化した方が良いと考えた俺は、幻影ではなく自ら指揮官のもとへと突撃をかけることにした。


 密集している敵の間をすり抜けていく。

 敵も俺を指揮官に近づけさせんとばかりに様々な妨害をしてくるが、その悉くを『暴風結界』で防ぐ。

 中には武器を手に持つ者もいたが、『暴風結界』を破れる者は誰一人としていない。

 ここにいるのは魔法部隊に属している者たちだ。武器を持とうが、その腕はたかが知れていた。


 あっという間に指揮官らしき男の眼前にまで近づいた俺は、その男の首を掴もうと手を伸ばす。


「このままやられるわけにはいきません!」


 高らかに男がそう宣言した瞬間、俺とその男を取り囲むように兵士が動き出す。

 つい、何をするつもりなのかとぼんやり眺めてしまっていると、敵は信じられない行動に出たのである。


「――僕ごと仮面の男を!!」


「――ちょッ!」


 馬鹿げた命令に驚き、俺は咄嗟に声を上げてしまう。

 これでは犠牲者をなるべく出さないよう立ち回っていた甲斐がなくなってしまう。

 だが、敵は待ってはくれない。

 命令に従い、俺たちを取り囲んでいた兵士が魔法を放とうとする光景に焦りを覚えながら、俺は指揮官と思われる男の首を乱暴に掴み、再度後方へと転移した。




「……えっ?」


 気がついたら別の場所にいたことに呆然としたのだろうか、男は驚きを呟くように口にする。

 俺はため息を吐きたい気持ちをぐっと抑え、掴んでいた男の首を離す。

 ポスンと尻から地面に落ちた男は、痛みを忘れた様子でこちらをじっと見つめたまま黙り込んでいた。


「……」


「馬鹿なことを考えないでくれ。とりあえず貴方には大人しくしててもらおう」


 素性を悟らせないようにわざと口調を変えて、それだけを男に告げた後、一番近くにいた幻影を呼び寄せ、男の意識を刈り取らせた。

 あまり痛みを感じないよう配慮したつもりだったが、意味がなかったようだ。意識を無くした男の表情は苦悶に満ちていた。




 やはり先ほど意識を刈り取った男は指揮官だったようで、その後の魔法部隊の動きは雑なものになっていった。

 結果的に、指揮官を失った部隊は幻影によって僅かな時間で壊滅。


 こうして、最も厄介な敵魔法部隊の無力化に成功したのであった。

 しかし、不特定多数の人間に空間転移をしたところを見られてしまったことについては、失敗したと思わざるを得ない。

 せめてもの救いは、冒険者コースケではなく、仮面の男トムとして戦いに参加していたことだ。

 いずれトムの正体を探ろうとする者が現れるだろうことは想像に難くないが、今はそれについて考えている暇はない。


 俺は次の標的を探しながら、無意識に白い仮面をそっと擦っていたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る