第187話 込み上げる怒り
北の外壁へと到着した俺とセレストは、直に開戦するであろう防衛戦に向けて動いていた王国騎士団の人たちとの挨拶をそこそこに、外壁の上に続く階段を駆け上がった。
階段を上りきって真っ先に目に入った光景は、数人の騎士が一ヶ所に集まり、話し合っている姿。
俺はなんとなく騎士が集まっている様子が気になり、セレストと一緒に騎士のもとまで足を運び、声をかけた。
「どうかしたんですか?」
仮面を着けた怪しい人間に突然声をかけられたからなのか、こちらの顔を見や否や、騎士たちは僅かに警戒の色を見せる。
「何者だ?」
「こちらの御方は国王陛下からの要請に応じ、王都の防衛に手を貸してくださることになったトム殿です。決して怪しい御方ではありませんので、ご安心ください」
セレストが間に入り、俺について簡単に説明をしてくれたおかげで警戒はすぐに解かれる。
実際はエドガー国王からの要請に応じたわけではなく、自ら防衛戦に加わったのだが、それをわざわざ訂正する必要はないと考え、俺はセレストの言葉に頷くだけに留めた。
「そうでしたか。これは失礼を。それで、どうかしたのかという話でしたが、死体の扱いや処理について話し合っていたところです」
この場に集まっていた騎士の中で最も立場か地位が高い人物なのか、一人の騎士が代表して俺の質問に答える。
「死体……ですか?」
俺がそう口にすると、話に上がっていた死体が俺に見えるよう騎士たちは少し横へと移動した。
そして、俺の目に入ってきたのは、頭部のない男の死体だった。
「――ッ」
死体を見た瞬間の、仮面で隠された俺の表情はかなり酷いものになっていただろう。
魔物や動物の死体は、この世界に来てから何度も目にしていたため、だいぶ慣れているが、人間の死体となれば話は別だ。それも首から上が無くなっている酷い有り様の死体ともなると、余計に心にくるものがあった。
俺は誰にも気づかれないように、ゆっくりと深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせる。そこまでしてようやく落ち着きを取り戻し、死体と向き合えることが出来るようになった。
医学関係の知識など俺には全くないが、何か気づくことがあるかもしれないと死体に目を向ける。
床には赤黒い血液が広がってはいるものの、多少血が乾きかけていることから、男が殺されたのは数分前の出来事というわけではないだろうことは想像がつく。
そして、死体となった男の体格や平民では着ることがないような衣服をヒントに、俺はこの死体の正体に気づいてしまった。
「……ディオン」
思わずポロっとそう口にしてしまう。
幸いにも、誰にも聞こえないほどの小さな声だったため、俺の呟きを拾った者はいないようであったが、今の発言は危険なものだったと言わざるを得ない。
トムと名乗る仮面の男はディオンのことを知っている、などという余計な情報を与えてしまうところだったのだ。不用意な言動は控えなければならないと気を引き締める。
死体の正体がディオンであると気づいた最大の理由は、イグニスがディオンを捕らえ、引き渡したという話を聞いたことにある。
だが、何故ディオンが殺されたのかが俺には理解が出来なかった。
ディオンがマルク公爵家の嫡男であることは知っている。
捕らえたディオンを交渉材料とし、ジェレミー・マルク公爵に兵を退かせるよう取引を持ちかけたということも。
だからこそ、俺には理解出来ない。
ディオンは謂わば人質なのだ。仮に交渉が決裂したのだとしても、安易に騎士団が独断でディオンを殺したりするとは思えない。
エドガー国王がそう言った指示を出していた可能性がないとまでは言い切れないが、エドガー国王の性格からして、おそらくそんな指示は出さないだろう。
では、ディオンを殺したのは一体誰なのか。俺はそれが気になり、先ほど質問に答えてくれた騎士に尋ねることにした。
「一体この者を誰が殺したのですか?」
「ジェレミー・マルクの側近だと思われる者の仕業です。その者についての情報は今のところ入手出来ていませんが、ジェレミー・マルクの隣に立っていたことから、側近中の側近とみて間違いないかと」
騎士から告げられた情報に俺は驚愕し、そして沸々と怒りが込み上げてくる。
正直な話、俺はディオンのことが好きではなかった。
特別講師として学院で指導していた時には、ディオンは俺たち『紅』に対して敵意を剥き出しにしていたこともあり、好きになれなかったのだ。
敵意を向けてくる相手に好意など持てるはずがない。
俺は聖人君子ではないのだ。誰彼構わず優しく接するなんてことは土台無理な話であった。
しかし、好きではないからといって、『死んでほしい』『殺したい』などといった気持ちを持ったことは一切ない。
それだけに、ディオンの父親であるジェレミー・マルク公爵が息子を切り捨てたことに対して、怒りが込み上げてくるのだ。
隣に立っていた側近がディオンを殺害した。つまりは、父親が息子の殺害を許可したと考えて間違いないだろう。
果たしてそんな非道で残酷なことがあっていいのか。
許されることなのか。
確かにディオンはしてはならないことをしたには違いない。だがそれは、父親であるジェレミー・マルク公爵の指示で行ったことのはずだ。
仮にディオンが独断で犯罪に手を染めたのであれば、多少は理解出来る。
しかし、現実はそうではないにもかかわらず、息子を助けようとしないばかりか、殺すよう指示を出した。そのことが俺は許せなかったのだ。
「……」
怒りの感情が心を支配していくにつれ、強く握っていた拳が震え出していく。
「……トム殿? どうかされたのですか?」
セレストが俺の異変に気づき、声をかけてくれるが、普段通り振る舞える自信が持てなかった俺は、短く返答するに留める。
「いや……大丈夫」
「……?」
首を傾げ、不思議そうにしているセレストを視界の隅に追いやり、外壁に来てから二度目となる深呼吸を行い、気持ちを落ち着かせようと試みる。
ここに来てからというもの、心を揺さぶられてばかりだ。
精神的に不安定な状態で戦いに身を投じることは危険であると重々承知しているが、なかなか冷静さと落ち着きを取り戻せないでいた。
だが、戦いは俺を待つつもりはないらしい。
「――敵軍に動きあり!! 歩兵を先頭に進軍を開始しました!」
マルク公爵軍の動きを見張っていたであろう兵士の一人が焦りを滲ませた声で叫ぶ。それに伴い、鐘が何度も打ち鳴らされる。
「各自戦闘準備! 弓の準備は怠るな!」
慌ただしく騎士団が動き始める中、俺はその場からマルク公爵軍の動きをじっと眺める。
敵軍が動き出したことで、ようやく俺の心はディオンのことではなく、戦いへと向けられるようになった。
「トム殿、私は陛下からトム殿の指示に従うよう仰せつかまりました。ぜひ私にご指示を」
隣に立っていたセレストは、俺が動こうとする気配がないと思ったのか、極めて真面目な声音で俺からの指示を仰ぐために声をかけてきた。
だが、それはセレストの勘違いだ。
俺は俺なりに、これからどう動こうかと頭を悩ませていただけである。戦いから逃げるつもりなど毛頭なかった。
「セレストさんには騎士団の人たちに伝令をお願いしたい」
「どのような内容でしょうか?」
「絶対に王都の外に出ないよう伝えてほしいんだ。たぶん出るつもりはないだろうけど、念のために、ね」
王国騎士団が地の利を捨て、王都の外に打って出るとは考えて難いが、用心するに越したことはない。
「それで、トム殿はどうなさるおつもりでしょうか?」
「俺は外に出て、迎え撃つつもりだよ。それが一番犠牲を出さずに済むと思うから」
未だにどう戦うのかは決めかねているが、王国騎士団と共に王都の外で戦うつもりは俺にはなかった。
魔法やスキルを使うにしろ、使わないにしろ、敵味方が入り混じった状況では味方を巻き込んでしまう恐れがあるため、俺が全力を出すことが困難となってしまうからだ。
だったら、一人で敵軍を相手にした方が余程戦い易い。そう考え、俺はセレストに伝令をお願いしたのであった。
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