第161話 狂った感情

 残った約五百体もの魔物を北の森の入り口にいたマルク公爵家の軍勢に押し付けた『比翼連理』の働きによって、それまで戦場で魔物と戦っていた者全てが北門から王都内へと撤退することに成功。

 その後、マティアスは即座に全ての門の完全封鎖を部下に指示し、王都は敵勢力に囲まれながらも、一時の時間稼ぎにも成功していた。


「『比翼連理』のおかげで、僅かながらも時間を稼ぐことが出来そうだ。礼を言う」


 全ての魔物がマルク公爵家の軍勢に処理されるまで、どれほどの時間が掛かるかは不明だが、一時間前後の足止めは可能だろうとマティアスは踏んでいる。


「礼には及びませんわ。それに残念ながら、私たち冒険者の仕事はこれで終わりのようですし」


 エルミールは遠回しに、これ以上手を貸すことは出来ないと告げる。その言葉に同調するように、周囲にいた冒険者も苦い表情をしながら、僅かに頷いていた。

 いくらこの国の貴族について疎い冒険者でも、先程までの光景を目の当たりにすれば、クーデターが起きようとしていることに感づく。


 そして――このままでは王都が陥落するだろうということにも。


 冒険者が内戦に参加することは自由ではある。しかし、負け戦に参加する物好きはいない。

 ひとたび内戦に参加してしまえば、冒険者ギルドの庇護は受けられず、内戦によって殺されても文句は言えないのだ。

 さらに、半日以上にも渡る魔物との戦いで心身ともに疲労困憊。内戦に巻き込まれないよう身を隠すことで精一杯であった。

 故に、冒険者たちはエルミールの言葉に同意を示したのである。


「……そうであるな。ここからは我ら王国騎士団だけの戦いだ。傭兵として戦ってくれた皆にも、ここまで共に戦ってくれたことを感謝する」


「……すまない」


 傭兵を代表して、一人の男が謝罪の言葉を口にした。つまり、傭兵たちも内戦には参加しないという意思表示だ。


「謝ることではない。傭兵の皆には、この戦いが終わった後に報酬を渡さねばならぬし、我ら王国は負けられぬな」


 重たい雰囲気を何とかしようと、微笑みながら軽い冗談を口にしたマティアスは表情を一変させ、騎士団に命じる。


「――聞け! 王国の存亡は我ら王国騎士団の働きにかかっている! 即刻防衛戦に備えるのだ! 何としても王都への侵入を許すな! 第一、第二部隊は――」


 マティアスの指示によって、各隊はそれぞれ指定された門へと王都を守るため、身体に鞭を打ちながら駆けていった。


 ――――――――――


 一方、北の森の入り口で待機していたジェレミー・マルク公爵は此度の戦の軍団長に任命されていた配下からの質問に耳を傾けていた。


「閣下、何故この場での待機を命じられたのでしょうか? 奴らが魔物と戦っていた隙に攻め入れば、間違いなく殲滅させられたと思いますが」


 マルク公爵家が今回率いている兵の数は約五千。

 東から来たパスカル・バランド辺境伯家と西から来た複数の反王派貴族が率いた軍勢と共闘すれば、間違いなく勝利を手にしただろう。

 だが、ジェレミーは共闘を選択せず、待機を命じていた。


「簡単な話だ。冒険者に手を出した場合のデメリットが大き過ぎる」


「しかし、絶好の機会を失ってまで考慮すべき点とは私には思えません」


「我ら反王派の目的が王国を滅ぼすことのみであったのなら、それで良かっただろう。だが、私の目的は王国を手に入れることだ。冒険者ギルドを敵に回せば、王国を統治することは叶わなくなってしまう」


 冒険者ギルドが王国中から撤退してしまえば、魔物への対処に手が回らなくなる。そうなってしまえば、王国を手に入れたとしても、王国は衰退していく一方だ。

 それほどまでに冒険者は国を統治するにあたって必要不可欠な存在なのである。

 さらにジェレミーは言葉を続けた。


「それに、既にこの戦いは勝利したも同然なのだ。今更焦る必要はないだろう。それよりもバランド辺境伯に援軍の要請をしてくるのだ。さっさと目の前にいる邪魔な魔物共を駆逐せよ」


 この戦いの勝敗は既に決しているとジェレミーは考えていた。

 反王派によって、北、東、西を封鎖し、王都から援軍要請が送られないよう遮断している。

 後は到着が遅れている南から来る複数の反王派貴族家の軍勢が到着すれば包囲網は完成し、残すは王都を陥落させるだけ。

 王都に残っている騎士団との兵力差は歴然としており、時間が掛かる可能性こそあるが、勝利は確実だと言えた。

 そしてさらなる決定打として、近衛騎士団隊長でありながら、ジェレミーの息がかかっているジスラン・バルテルが今頃王都へと侵入し、与えた使命を果たそうと動いている。

 ジスランの働き次第では、無血開城の可能性すら十二分に考えられるのだ。

 下手に焦って計画を無理に進め、頓挫させてしまうことをジェレミーは恐れた。


「かしこまりました。閣下」


 マルク公爵家の軍団長に任命された男はバランド辺境伯に伝令を送るよう部下に指示し、その後、魔物を殲滅すべく自ら前線へと向かっていった。


―――――――――


 遡ること数十分前。

 北門で『比翼連理』の双子が魔物を退け、王都内に撤退していた頃、近衛騎士団隊長のジスランは反王派に属している約四百人の部下を引き連れ、ある場所へと向かっていた。

 その場所とは、ジスランたちが通った西門から近い、王都の裏通り。そこでジェレミー・マルク公爵の息子であるディオン・マルクとの合流を果たす予定となっていた。


「待っていたぞ、ジスラン。魔物と戦っていたようだが、どうやら全員怪我はないようだな」


「ディオン様、お待たせ致しました。この後の計画に支障をきたさぬよう、極力魔物との戦闘を避けたためでございます」


 ジスランとその部下は魔物との戦いで、ほとんど剣を振るってはいなかった。ジスランは隊長という立場を利用し、ダニエルとその部下ばかりに魔物との戦闘を押し付け、自分たちが疲弊しないようコントロールしていたのだ。

 全てはディオンと合流後の計画のために。


「それは結構なことだ。では早速、行こうじゃないか。僕の妻となるアリシアを迎えに、ね。……ははっ。ははははは!」


 ディオンの陰湿で狂喜に満ちた高笑いが王都の裏通りに響き渡っていく。


 この日を最も待ち望んでいた者はディオンだと言っても過言ではない。

 学院ではアリシアに派閥のメンバーを奪われ、苦汁を舐めさせられる日々を過ごし、ディオンのプライドは深く傷つけられていた。

 嫉妬、憎悪、憤怒が胸の内に溜まりに溜まっていたが、それも今日この時までの辛抱だと堪えていたのだ。

 その暗い感情がたった今爆発し、笑いを堪えることが出来ない。


「――はははははっ! 今日! 僕が! この国の王子になるんだ! アリシアを捕らえ、僕の妻にした後はどうしてやろうか! まずはそうだな……あの澄ました顔を歪めてやろう。……ふははっ! 僕に泣いて懇願する姿を想像するだけで笑いが止まらないな!」


 ディオンの心は完全に闇に支配されていた。

 秘密裏に行動しなければならない状況だということは、既にディオンの頭の中から消え去り、アリシアのことだけで満たされている。

 そんなディオンの狂った姿を目の当たりにしても、ジスランの態度は変わらない。淡々とした声音でディオンに忠言するだけであった。


「ディオン様、時間がありませんので、行動に移らねばなりません。一刻でも早くアリシア王女を捕らえに王城へ向かわなければ」


 ジスランがそう告げると、ディオンは暗い笑みを更に深め、首を横に振った。


「アリシアが王城から出ていったとの報告が僕にあったんだ。そして向かった先も聞いている。僕たちが向かう場所は――あの忌々しい講師だった男の屋敷だ」

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