第160話 不可解な軍勢

 北の森から現れた数千人にも及ぶ軍勢を見たある者がポツリと呟いた。


「援軍……か?」


 その声は決して大きなものではなかったにもかかわらず、戦場に響き渡り、伝播していく。

 魔物と戦いながらも、戦場にいた者の視線は突如として現れた援軍と思われる軍勢に自然と集まり、次々と歓声が上がる。


「お、俺たちは助かったんだ!」


「あれほどの数の援軍が来れば、勝ったも同然だ!」


 喜色を露にする者が続出する中、ちょうど一体の魔物を倒し終えた近衛騎士団副隊長のダニエルと、忙しなく指示を出していた王国騎士団団長のマティアスだけが眉間に皺を寄せ、困惑していた。


 二人が困惑したのには二つの理由がある。

 一つは魔物と対峙する前に開かれた魔物襲来の対策会議で、援軍が来るなどという話がエドガー国王から一切なかったからだ。

 むしろ、王都周辺の森が魔物に囲まれてしまっていたことから、救援を周辺貴族に求めることが出来なかったため、援軍が来る可能性は殆ど無いとまで言い切られていた。


 そして、二つ目の理由こそが二人を困惑させた主な原因となっている。

 それは北の森から現れた軍勢が掲げている旗にあった。

 旗には、ある上級貴族の紋章が描かれている。


 その貴族とは――反王派の旗頭、マルク公爵家である。


 冒険者や傭兵、または貴族社会に詳しくない者からしてみれば、あの旗がどの貴族のものなのかはわからない。

 また、王派と反王派の派閥争いに疎い者も、マルク公爵家が王都に援軍をよこした理由に疑問を持たないでいた。


 これらの理由を知らない多くの者たちにとっては、森の奥から現れた軍勢は希望の光であり、理由を知る二人にとっては不穏な気配を感じざるを得ない軍勢であった。


 援軍が来たと信じてやまない者たちの士気は上がり、満身創痍の身体に鞭を打って、ひたすら魔物を討伐していく。

 五分、十分と必死に戦っていく内に、疑問を覚え始めるものが徐々に現れ出す。


「何で援軍は助けに来ないんだ……?」


 戦場にいる誰かが口にした言葉が多くの者に疑問を抱かせる。

 何故その場から一歩も動かずに、こちらを眺めているだけなのか、と。


 そこからさらに二十分が過ぎても、北の森から現れた軍勢は微動だにせず、こちらが戦っている様子をただ眺めているだけだった。

 いくら待っても援軍が助けに来ない様子を見て、満身創痍の状態で必死に戦っていた者たちの士気は次第に低下していく。


「一体何がどうなってるんだ! 助けに来てくれたんじゃないのか!」


「俺らを見殺しにするつもりなのか!?」


 士気の低下だけに留まらず、混乱までも招いていく光景を見たマティアスは声を張り上げる。


「――狼狽えるな! 目の前の魔物に集中せよ!」


 しかし、マティアスをもってしても混乱は収まることはない。


(一体どうなっている……。援軍に来た訳ではないのは間違いないだろうが、これはどういうことだ……?)


 マティアスが頭を悩ませていると、一人の騎士がマティアスに駆け寄ってくる。


「報告致します! 東の森からバランド辺境伯家の軍勢が現れました!」


「……何? それは真か?」


「間違いありません!」


 バランド辺境伯家は王都から東に遠く離れたラバール王国とシュタルク帝国の国境付近に領土を持つ上級貴族。

 王都が魔物に襲撃されようとしているという情報を掴んで援軍を出したとしても、絶対に間に合わない距離にあることをマティアスは当然の知識として持っていた。

 だからこそ騎士の報告が信じらず、再確認を行ったのだ。

 余計と困惑するマティアスだったが、さらに信じられない報告が別の騎士からもたらされる。


「団長! 西から複数の旗を掲げた軍勢が現れました! ……ですが、動く気配がありません」


「――ッ! そういうことか!! 南はどうなっている!?」


「南には何も確認されておりませんが、そういうこととは一体……?」


 騎士の疑問に答えている余裕はマティアスには一切なかった。

 マティアスは気づいたのだ。北、東、西と現れた軍勢の目的に。

 そして、それに気づいたのはマティアスだけではなかった。


「――バイヤール殿ッ!」


 そうマティアスを呼んだのは、息を切らしながら駆け寄ってきたダニエルだった。


「オードラン殿か! 早速で悪いが、この状況……もしや……」


 声を潜め、周囲の者に聞こえないよう配慮しながら、ダニエルに問う。


「バイヤール殿の考え通りかと。それと、私から一つ報告が」


「……報告とは?」


 ダニエルの険しい表情からして、朗報ではないことは間違いないだろうとマティアスは察する。


「近衛騎士団隊長のジスラン・バルテルを含む約半数の近衛騎士が忽然と姿を眩ましました」


「魔物にやられたということは?」


「ありません」


 そう断言するダニエルに、マティアスは激しい焦燥感に駆られる。

 マティアスは近衛騎士団の内情にもある程度精通しており、ジスランが反王派貴族の旗頭であるマルク公爵に縁があることも知っていた。


「バルテルは一体どこに消えたと言うのだ!」


 焦燥感のあまり、ダニエルに八つ当たりをするかのように声を荒げ、叫ぶ。

 すると、先程報告を済ませた騎士が恐る恐るといった様子でマティアスに声を掛けた。


「こ、近衛騎士団の方でしたら、私が団長に報告へ向かう途中で見かけましたが……」


「何だと? どこで見たのだ」


 思わぬ情報にマティアスは荒げていた声を抑え、真剣な眼差しで騎士に問い掛ける。


「西門を開門させ、中へ入ろうとしていたところを目にしました」


「「……」」


 信じられない情報にマティアスとダニエルは声を失う。

 援軍ではない軍勢に囲まれつつある異常な状況の中、マルク公爵家との繋がりが深いジスランとその部下である半数の近衛騎士が王都内に入ったという事実を直視出来なかったからだ。


「あ、あの、どうかされたのでしょうか?」


「……撤退だ。撤退し、籠城戦に移行する他ない……」


「撤退……でありますか? ふ、不可能です! 魔物がまだ残っている中で開門などしたら、王都へ魔物が雪崩れ込んでしまいます!」


 騎士の忠言はもっともであった。

 未だに魔物は五百体近く残っている。しかも強敵ばかりだ。

 そんな状況で開門などしようものなら、魔物は撤退する自分たちを追い、王都内へ雪崩れ込んでしまうことは明らか。

 しかし、それでも王都内へ撤退しなければならない。

 魔物をここで全て倒したが最後、周囲の森の入り口で待機している数多の軍勢に、一網打尽にされてしまうだろうことは想像に難くない。

 未だに攻めてこない理由は、おそらく魔物が生き残っていることに加え、冒険者が多数こちらにいるからだとマティアスは考えている。


 冒険者は各国に拠点を持つ冒険者ギルドに属しているため、内戦や戦争へ強制的に参戦させることは国際条約で許されていない。

 勿論、自主的な参戦は自由なのだが、今回集まっている冒険者たちはあくまでも魔物の襲撃に対して参加しただけの者たちであるが故に、内戦に巻き込んで手を出してしまえば、冒険者ギルドだけではなく、全世界を敵に回してしまうことになる。

 そういった背景があるため、手を出さずに全ての魔物が倒されるまで傍観している可能性が高いと踏んでいた。


「それでもやらねばならんのだ。事は一刻を争う」


「でしたら北門からではなく、他の門からでも!」


「全員分の馬もなく、さらには怪我人が多い中で別の門まで辿り着けると思うのか? 少しは頭を使え!」


 考えなしの発言に苛立ちが隠せず、激しく叱責してしまう。

 普段のマティアスであれば注意こそするが、ここまで厳しく叱りつけることはない。

 それほどまでにマティアスの心には余裕がなかった。


「申し訳――」


 騎士が謝罪の言葉を述べようとしたところで、会話に割り込む者が現れた。


「私たちが撤退の時間を確保して差し上げましょうか? いいかしら? エドワール」


「少しは魔力も回復したし、大丈夫だよ。エルミール姉様」


 聞き耳を立てていたのか、会話に割り込んできたのは『比翼連理』の双子の姉弟であった。

 三十分間の休憩を経て、魔力が僅かながらも回復した二人が協力を申し込んだのだ。


「『比翼連理』よ。……真に出来るのか?」


 マティアスは半信半疑だった。

 残る魔物は強敵揃いの五百体。『比翼連理』の二人が万全の状態であればまだしも、二人の会話の内容から察するに、魔力は残り僅か。

 とてもではないが、全員を逃がしきる程の時間を稼げるとは思えなかった。


「騎士団の方々に手伝って貰えるのなら、問題はありませんわ」


「手伝い? 我々に出来ることがあるのならば、喜んで手伝わせてもらうが……」


 今の混乱した状態の騎士団に出来ることは少ない。

 士気はどん底まで落ちており、マティアスが何度も檄を飛ばすことで、何とか戦えているといった具合でしかないのだ。

 手伝うとは口にしたが、過度な期待はしないでくれ、と表情でエルミールに語りかけていた。


「簡単な事をしてもらうだけですので、ご心配なさらず。私が騎士団の方々にやってもらいたい事は一つだけ。それは、装備している盾を全て手放してもらうだけですわ」


 無茶な、と声に出したいところをぐっと堪える。

 装備の殆どはラバール王国から支給されたものだ。そう簡単に手放して良いものではない。

 しかし、現状を打破するためにも『比翼連理』の提案を無下にすることは出来ず、渋々ながらもマティアスは頷いた。


「……わかった。今は一刻を争う事態だ。『比翼連理』の指示に従おう。オードラン殿は門が開き次第、すぐさま国王陛下のもとへ」


「承知しています。では、これにて失礼」


 言葉を残し、オードランは信頼出来る部下のもとへと戻っていった。

 その姿を確認したマティアスは全騎士団員に呼び掛ける。


「全騎士団員に告げる! 全員、盾をその場に放棄し、北門へと走れ! 冒険者や傭兵も隙を見て、離脱せよ! 殿は騎兵隊だ!」


 マティアスの言葉を聞いた騎士団員は即座に行動に移っていく。

 だが、冒険者と傭兵は魔物からの圧力もあり、離脱出来ずにいた。


「騎兵隊! 冒険者と傭兵の離脱を支援せよ!」


 騎兵隊が囮となり、離脱の支援を行う。

 そして冒険者と傭兵が北門へと走っていく姿を確認し、マティアスは騎兵隊に撤退の指示を送る。

 騎兵隊は魔物から追走されるが、何とか振り切り、『比翼連理』の二人の横を通り過ぎていく。


「頼んだぞ、『比翼連理』」


 マティアスはそれだけを言い残し、騎兵隊の後ろに続いて離脱した。


「準備はいいかしら? エドワール」


「大丈夫だよ。配役はいつも通りでいいよね? エルミール姉様」


「ええ。そうしましょう。エドワール」


 戦場に放棄された幾千にも及ぶ盾をエドワールが『念動力』で操る。

 盾は宙に浮かぶと、壁のように見えるほど綺麗に横一列に並んでいく。


「――それでは、さようなら。お馬鹿な魔物の皆様?」


 エルミールが天使のような微笑みを見せ、魔物に別れを告げると同時に、横一列に並んでいた盾が一斉に魔物へ押し寄せる。

 エドワールが『念動力』で操っていた盾をエルミールが『多重加速』で盾を加速させたのだった。

 これは双子だからこそ成し遂げられる高等技術である。


 その結果、魔物の群れは幾千もの盾によって北の森まで吹き飛ばされた。


「次は貴殿あなた方が魔物と戯れるといいわ。では私たちも戻りましょう? エドワール」


「うん! エルミール姉様」

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