第158話 譲歩
意識が徐々に覚醒していく。
朧気な意識の中、アリシアは柔らかな何かに自分が包み込まれていることに気付いた。
「……ここは」
酷い眠気に襲われながらも、それを振り切って目を開くと、視線の先には白く高い天井が見える。
「アリシア様、目を覚まされたのですね。本当に良かった……」
リゼットのホッとしたような声が真横から耳に届き、アリシアは顔だけをそちらに向けた。
そこには今にでも泣き出しそうな顔をしたリゼットの姿があり、自分は何故ベッドで寝ていたのかと、ふと考える。
「私は……一体……」
そう自ら口ずさんだことによって、何故自分がベッドで寝てしまっていたのかを思い出す。
「――っ!」
ガバッと勢いよく身体を起こし、周囲にイグニスがいないかどうかを確認しようとしたが、長く眠らされていたせいか、立ちくらみのような目眩がアリシアを襲い、ベッドへと逆戻りさせられてしまう。
「大丈夫ですか!?」
咄嗟にリゼットが椅子から立ち上がり、アリシアの身体を支えると、ゆっくりと再びベッドへと寝かせる。
「リゼット、ごめんなさい……。もう大丈夫です。それよりも、どうして私がイグニスさんに突然眠らされたのか、わかりますか?」
「はい。あの者曰く、アリシア様をこの屋敷から逃がさないためとのことです」
リゼットはイグニスの名前を口にはしなかった。名前を呼ぶことさえ嫌悪感を覚えてしまっていたからだ。
「……逃がさない? どういうことでしょうか?」
アリシアは自身が誘拐されたとは一切考えず、イグニスに何かしらの理由があっての行為だと考えていた。
「申し訳ありません。言葉が足りませんでした。真偽はわかりませんが、あの者の話によると、国王陛下からのご依頼でアリシア様の保護と護衛をあの者に任されたとのことです。それともう一点報告が。先生方は冒険者活動のため、現在は遠く離れた地にいると……」
「私の保護と護衛……ですか? そのような話は父から聞いていません。それに、私は父からコースケ先生へ援助を求めるよう言われ、ここを訪れたのです。父からイグニスさんに依頼があったなど考えられません」
アリシアからしてみれば、リゼットからの説明に納得することなど到底不可能な話。
何しろ、父親から直接話を聞いているのだ。イグニスの話を真実だとすると、父親が自身に嘘を吐いたことになってしまう。
「……国王陛下は嘘を吐いてまでアリシア様の安全を確保しようとしたようです」
苦渋の表情を浮かべながら、リゼットはイグニスから聞いた話をアリシアに告げた。
「……そんな、あり得ません! 先生方に護衛を依頼されたのであれば、まだわかりますが、執事であるイグニスさんに頼むなんて――」
アリシアにしては珍しく感情を剥き出しにしながら否定している途中で、突如部屋の扉がノックされる。
リゼットは視線でアリシアから許可を取り、椅子から立ち上がると、部屋の扉を開いた。
「どうやらお目覚めになったようですね。お飲み物を用意致しましたので、入室してもよろしいでしょうか?」
扉の先に立っていたのは、ちょうど話題にしていたイグニスだった。
イグニスはティーカップとティーポットを片手で持っていたトレーに載せ、入室の許可を求める。
アリシアはベッドから起き上がり、空いていたもう一脚の椅子に座った後、入室の許可を出す。
「どうぞお入り下さい。私としてもイグニスさんにお話を伺いたいと思っておりましたので」
入室したイグニスは手際よく二人に紅茶を用意した後、アリシアの用件を尋ねる。
「私めに話があるとのことでしたが、どのようなご用件でしょうか?」
「私の保護と護衛を父がイグニスさんにご依頼したとの話をリゼットから聞きました。それは本当の事なのでしょうか?」
「事実でございます。従順な執事である私めがコースケ様の信用を傷付けてまで嘘を吐くはずがございません」
アリシアからしてみれば、イグニスがどのような人物なのかが不明な以上、信じることは難しい。
何よりアリシアはこの屋敷に執事がいることを知らなかった。つまり、イグニスはここ最近執事として雇われたばかりのはずだ。
そんな雇われたばかりの者が屋敷の主に深い忠誠心を持っているとは考え難いこともあり、信用するには至らなかった。
「……」
「どうやら信じてもらえていないご様子ですが、紛れもない事実でございます」
「一つ質問があります。何故、父がイグニスさんに私の保護と護衛を求めたのでしょうか?」
嘘を見抜かんとばかりにアリシアはイグニスの瞳をじっと見つめる。
「同じご質問をリゼット様からされたのですが……まぁいいでしょう。簡潔に申しますと、私めが強いから。ただそれだけでございます」
イグニスの目の動き、息遣い、態度のどれを観察しても、嘘を吐いている様子は見受けられない。
「強いから……ですか。つまり、イグニスさんと父は互いに面識があり、強さを知っていたために依頼をしたと?」
「いえ、面識はございません。ですが――」
そこで一度言葉を切り、アリシアに向けて僅かに笑みを見せてから言葉を続けた。
「私めが何者なのかを国王陛下は存じ上げているのでしょう。だからこそ、アリシア王女殿下を私めにお任せになったと愚考致します」
(お父様はイグニスさんの事を一方的に知っていた、もしくは調べていた……? そういえば、お父様が私にコースケ先生へ援助を呼び掛けて欲しいと仰った時に何やら隠し事をしているような素振りを見せていた気が……)
その時の事を思い返してみると、父親には不自然な点がいくつかあった。
援助を求めておきながら、出発の時間を魔物の到着が予想されていた一時間前にした点や、先生が不在だと言うことを事前に調べていなかった点など、今考えてみれば不自然極まりないと言えるだろう。
アリシアはそんなことを考えていた途中で、忘れてはいけなかったことをふと思い出す。
「――ッ! 今は一体何時なのですか!?」
眠らされていたことで、すっかり失念していたが、王都に魔物がすぐそこまで迫ってきていたのだ。悠長に会話をしている場合ではないことに気付く。
「後数分で日付が変わる時間でございます」
イグニスから告げられた衝撃の事実にアリシアは居ても立っても居られず、飛び上がるかのように椅子から立ち上がる。
「申し訳ありませんが、コースケ先生がいらっしゃらない以上、ここに居続けるわけにはいきません。リゼット、帰りましょう」
一分一秒でも早く王城に帰らなければという思いで、リゼットに呼び掛ける。
しかし、リゼットはアリシアの呼び掛けにもかかわらず、椅子から立ち上がろうとはせず、申し訳なさそうに視線を床に固定していた。
「……リゼット?」
再度呼び掛けることで、リゼットはようやく視線をアリシアに向け、こう答えた。
「……アリシア様。申し訳ありませんが、私たちはここから離れるべきではないと思います」
リゼットは罪悪感を覚えているような暗い表情をしながら、アリシアの呼び掛けを拒否した。
「リゼット、私は王女なのです。国民の皆様が王都を守るために戦っている中、私だけが安全な場所で何もしないなど、到底許されることではありません。それに、私が私を許すことが出来ないのです」
アリシアの確固たる思いは聞かされるまでもなく、リゼットは理解している。
王女としては相応しくない程の低姿勢で誰とも分け隔てなく接し、王女として懸命に役割を果たそうとするアリシアを。
そんなアリシアのことをリゼットは心の底から敬愛している。だからこそ、リセットは誰よりもアリシアの命を優先すると決めていた。
「……それでも、です」
「リゼット……」
親友であるリゼットに拒絶されたことで、アリシアは言葉を失ってしまう。
そんな二人の沈痛な雰囲気を打ち破ったのは、それまで黙って話を聞いていたイグニスだった。
「アリシア王女殿下、一つよろしいでしょうか?」
「……何でしょうか」
覇気を失った声音で返事をするアリシア。
「失礼を承知で申しますと、今貴女様に出来ることは何一つございません。例え王城にお戻りになられたとしても、お父上の邪魔になるだけかと。それに冷静に考えてみて下さい。魔物が王都に迫っている中、王女である貴女様が王城へと戻れば、兵を割いて護衛を付けざるを得なくなるでしょう。ただでさえ魔物を討伐するために王都中の騎士や兵士が総動員されているのです。兵を割く余裕があるとお思いでしょうか?」
イグニスの告げた言葉は、酷くアリシアを傷付けるものでありながら、納得せざるを得ないものでもあった。
王女であるアリシアが戦場に立つことは許されない。では、王女としては何が出来るのかと問われれば、何も出来ることはないとイグニスの言葉によって思い知らされてしまう。むしろ、足枷にしかならない。
アリシアはイグニスに対して何も反論することが出来ず、全身の力を失ったかのように椅子へとへたり込む。
「ご理解いただけたようで何よりでございます」
「……理解はしました。ですが……」
その後の言葉が続かない。
必死に頭の中で自分に出来ることはないのかと考えたが、答えを見つけることが出来なかったからだ。
自分の無力さに、そして情けなさに、アリシアは気付かぬ間に拳を強く握りしめていた。
その悲痛な姿を見たイグニスはため息を深く吐きながら、アリシアに提案を行う。
「……仕方ありません。アリシア王女殿下の民を思う心意気を買い、私めが協力を致しましょう」
「協力……ですか?」
「はい。もし魔物が防衛線を破り、王都に侵入した場合、私めが魔物を駆逐してご覧に入れましょう。これでしたら私めに与えられた役目に反しませんので」
イグニスの役目とは、この屋敷にいる者の護衛だ。
紅介からは最悪屋敷を放棄してもいいとは言われているが、そのような真似をするつもりはイグニスには一切なく、必ず屋敷を守り切るつもりでいた。
そしてイグニスはアリシアの気持ちを汲み取り、屋敷だけではなく、王都全体を守るとの提案を行ったのだ。
王都を守るということは、屋敷を守ることにも繋がるため、命令違反にはならないだろうと考えた上での提案だった。加えて、イグニスは王都の防衛線が破られないだろうとも算段をつけていた。
そんな提案に対してアリシアは強く握っていた拳を緩め、イグニスに頭を深く下げ、懇願する。
「何卒、よろしくお願い致します」
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