第154話 主不在の屋敷

「陛下。アリシア王女殿下の護衛交渉は無事成功致しました」


 ロザリーはエドガー国王の執務室に入るなり、すぐさまイグニスとの交渉結果について、報告を行う。


「……そうか。よくやった。下がってくれ」


 心配事が一つ消えた事にエドガー国王は安堵した後、忙しいこともあり、即座にロザリーへと退出を促す。


「――はっ! しかし、その前にイグニス殿から陛下へ一つ言伝が」


「……言伝? 内容はなんだ?」


「『私めへの依頼は安くはない』とのことでございます」


「そうか。まぁ重々承知はしていたし、問題はない。言伝はそれだけか?」


「以上になります。では、私はこれにて失礼致します」


「ああ。ご苦労だったな」


 ロザリーが退出し、一人残された部屋でエドガー国王は大きなため息を吐く。


(心配事は一つ減ったが、大きな借りを作ってしまったか。さて……どうしたもんかな)


 悩みの種が消えたかと思いきや、再び増えたことで、戦後処理を思うと頭を抱えざるを得ないエドガー国王だった。



――――――――――――――


 紅介が屋敷から宿場町ロージへと転移し、約一時間が経った頃、イグニスがロザリーから聞き及んでいた通りの時間にアリシアがリゼットと共に、一台の馬車に乗って屋敷を訪れた。

 アリシアとリゼット以外には御者の老執事のみ。アリシアは護衛を一切引き連れずに紅介不在の屋敷を訪れたのには理由があった。

 それはエドガー国王の指示によるもの。

 だが、何故護衛を付けられなかったのかは、アリシアには知らされていない。

 答えを知っているのは指示を出した父親と、ここまで馬車を操ってきた老執事だけだろうとアリシアは読んでいたが、理由については詮索せずにいた。


「リゼット、付き合わせてしまってごめんなさい。私だけでは不安だったので、甘えてしまいました」


 馬車から降りる直前にアリシアは、自分に付き合わせてしまったことに対して、リゼットに謝罪をする。


「――いえ! 気にしないで下さい! むしろ、私としてはアリシア様に頼られたようで嬉しいくらいなんですから」


 謝罪に対し、リゼットは激しく首を左右に振り、慌てた様子をみせると、最後に柔らかな笑みを浮かべた。


 二人は互いに立場上、普段から敬語を使いながら会話をするが、唯一無二の親友である。

 アリシアはリゼットに心の底から信用と信頼を寄せ、リゼットはアリシアを敬愛している。

 身分の差こそあれど、そこには確かな友情が存在しているのだ。

 だからこそ、アリシアはリゼットに甘え、リゼットはそれに応えて行動を共にしていた。


「ありがとうございます。それでは行きましょう。コースケ先生を説得しに」


 馬車を降りた二人は早速、屋敷の門に設置されたインターフォンに似た魔道具のスイッチを押した。


 そして待つこと数十秒。

 二人の前に現れたのは待ち望んでいた人物の姿ではなく、見たことのない一人の執事服を着た男性であった。


「お待たせ致しました。わたくしめは当屋敷で執事をしている者でございます。当屋敷に何かご用件がおありでしょうか?」


 恭しく頭を下げながら、イグニスは内心でほんの僅かに困惑していた。


(アリシア王女の保護と護衛との話でしたが、どうやらもう一人追加されたようですね。……まぁいいでしょう)


 イグニスはロザリーからリゼットについての話は聞いていなかったため、僅かに困惑したが、即座に問題はないと判断し、アリシアが屋敷に来た理由を何も知らないといった演技を続けることに。


「申し訳ありませんが、本当に執事の方なのでしょうか? コースケ先生のお屋敷に執事の方がいらっしゃるとは聞き及んでいなかったもので」


 アリシアは警戒心を心のうちに隠しつつ、用件を告げる前に、目の前に現れた見知らぬ男性の素性を確認するために話題を逸らす。

 何故なら、アリシアはこの屋敷を何度も訪れたことがあるの中で、一度たりとも目の前の男性を見たことも、執事がいたという話さえも聞いたことがなかったからだ。


「はい。先日から執事として、このお屋敷の管理を任されているイグニスと申します。とはいえ、証拠になるようなものはございませんが」


「証拠でしたら問題はありません。先生方から直接お聞きすればいいのですから。それで申し訳ありませんが、コースケ先生に取り次ぎをお願いしてもよろしいでしょうか? アリシアとリゼットが来たと伝えて下されば、問題はないと思いますので」


 未だ警戒心を抱いていたアリシアは用件を告げず、紅介との取り次ぎを願い出る。

 しかし、イグニスの返答はそれを良しとしないものだった。


「いえ、お客様を外でお待たせさせるわけにはいきませんので、中へとご案内致します」


 イグニスには、ここで紅介の不在を伝えるわけにはいかない事情がある。もし、この場で不在を伝えてしまえば、アリシアが踵を返してしまう恐れがあったからだ。

 それではアリシアの保護もとい護衛を達成することは困難。だからこそ、一度屋敷の中へと案内する必要があった。


「……わかりました。お願い致します」


 僅かに躊躇いをみせるアリシアだったが、ここで押し問答をしていても、無為に貴重な時間を浪費してしまうだけだと判断し、イグニスの提案に頷く。

 勿論、屋敷の中に入れば、イグニスの身元の証明を誰かしらがしてくれると考えての判断である。

 そしてリゼットもアリシアと同様にイグニスに対して警戒心を抱いていたが、アリシアの決定に異を唱える真似はせず、おとなしく二人の後ろをついていったのだった。




 アリシアとリゼットはそのまま応接室に案内され、イグニスによって用意された紅茶に手をつけず、椅子に座って紅介を待つ。

 だが、一向にイグニスが紅介を呼びに行く気配がないことに疑問を抱いたアリシアは口を開いた。


「コースケ先生をお呼び下さらないのでしょうか?」


「申し訳ありませんが、少々お待ち下さい」


 イグニスはそれだけを告げ、口を閉ざす。

 だが、それをリゼットは許さなかった。


「早くコースケ先生を呼んでください! 私たちには紅茶を飲んでいる時間なんて残されていないのです。そもそも本当に貴方は、この屋敷に勤める執事なんですか?」


 リゼットはアリシアの代わりに少々刺々しい言葉を用いてイグニスを問い詰める。


「勿論でございます。ですが、口だけでは信じてもらえそうにありませんので、別の使用人に証言していただきましょうか?」


 何故紅介本人ではなく、使用人に証言させるのかとリゼットは不自然に思いながらも、渋々そうしてもらうことにした。




 その後、イグニスは一度応接室を退室し、ナタリーを連れて再び戻ってきた。

 そしてすぐさまリゼットは面識のあるナタリーに、イグニスが本当に執事なのかどうかの確認を行う。


「ナタリーさん。この方は本当にコースケ先生に雇われた執事なんですか?」


「はい。間違いなく」


 ナタリーからの証言を得たことで、二人は警戒心を解く。無論、完全に信用したわけではない。

 だが、面識のあるナタリーが応接室に来たことを機に、アリシアは口を開く。


「ナタリーさんにお願いが。コースケ先生をお呼びしてもらってもよろしいでしょうか?」


 執事が駄目ならナタリーに、とアリシアは考え、そう口にしたが、予想外の芳しくない返事が帰って来た。


「その……申し訳ありませんが、私の口からは何も……」


 ナタリーの曖昧な返答には理由がある。

 それは事前にイグニスからアリシアの保護についての話を聞いていたからに他ならない。加えて、紅介の不在を口にしないようにと止められてもいた。


「……それはどういうことでしょうか?」


「い、いえ……それは……」


 時間が一秒でも惜しい今の状況も相まって、歯切れの悪いナタリーの返事を聞いたアリシアはとうとう我慢の限界を迎える。


「……仕方がありません。こういった事はしたくはないのですが……」


 ここで一度言葉を切り、いつもの柔らかな表情を脱ぎ捨て、威厳のあるものへと変化させた。そして言葉を続ける。


「ラバール王国第一王女、アリシア・ド・ラバールとして申します。コースケ先生を今すぐお呼び下さい」


 アリシアは身分を振りかざすことを極端に嫌う。しかし、今は一刻を争う緊急時。

 王都を守るため、そして何より国民を救うため、自身が最も嫌う身分を利用した最終手段を取ったのだ。


 しかし――イグニスには通用しなかった。


「では、私めからご説明致しましょう。残念ながらコースケ様は現在、屋敷を不在にしておられます」


 暗い笑みをうっすらと浮かべながら、イグニスは堂々とした態度でそう告げた。


「――なっ! アリシア様に対してその態度! 一体どういうつもりですか!」


 リゼットの怒りは頂点に達し、声を荒立てる。

 それに対し、イグニスは更に笑みを深めたかと思うと、驚愕すべき行動に出た。


「どういうつもり、ですか。お答え致しましょう。――こうするつもりです」


 そう告げた瞬間、イグニスはアリシアに一瞬で詰め寄り、額に手をかざす。すると、アリシアは意識を完全に失い、テーブルへうつ伏せの態勢で倒れ込んだのだった。

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