第155話 優先すべき選択

 アリシアがテーブルに突っ伏した姿を目にしたリゼットは勢いよく椅子から立ち上がり、激情を露にする。


「――貴様! アリシア様に何をした!」


 荒々しい口調へと変化し、今すぐにでも掴みかからんとばかりにイグニスへと詰め寄る。

 その怒りは本物で、返答次第では武力行使も辞さないとさえ考えているほど。

 仮に普段から愛用しているレイピアをこの場に持ち込んでいたとしたら、即座にレイピアを抜いていたことは間違いない。

 レイピアを持ち込んでいなかったからこそ、今は詰問だけで済ませているに過ぎなかった。


 リゼットからの激しい詰問に対し、イグニスは慌てるようなことはなく、ましてや反省の色などは一切見せない。

 イグニスは薄暗い笑みを浮かべたまま、淡々とリゼットに返答した。


「眠らせただけですので、ご安心を」


 イグニスの淡々とした声音は、何も悪いことはしていないといったような雰囲気を感じさせるもの。

 そんな雰囲気を感じたことによって、リゼットの怒りは更に増幅していく。


「――ふざけるな! 何故アリシア様にそんな真似を! そもそも王族に手を出したともなれば、貴様は死罪だ! 決して許されることじゃない!」


 激情に駆られるリゼット。

 冷静な態度を崩さないイグニス。

 そんな異様な雰囲気の中、ただ一人慌てふためいていたナタリーが恐る恐る口を開く。


「……リ、リゼット様、落ち着いて下さい」


 どうにかこの場を収拾しようと、勇気を振り絞ってナタリーは声を上げたが、失敗に終わる。


「落ち着いてなどいられません! ナタリーさん、貴女も覚悟をしておきなさい」


 リゼットの言う覚悟とは『死罪』のことを指しており、ナタリーはその意味をたがうことはなかった。


「……イ、イグニスさん」


 震えた声でナタリーはイグニスに呼び掛ける。

 最早、この場を収拾することが出来る者は実行犯であるイグニスにおいて、他にはいないからだ。


「やれやれ……困ったものです。まさか、ここまでリゼット様がお怒りになるとは思いもしませんでした」


 イグニスからしてみれば人間の国の王女という地位などに意味を見出だすことはない。所詮は数多いる人間の一人でしかないと考えていた。

 無論、知識としては、アリシアが人間の中では敬意を払われる地位にあることは知っている。

 しかし、優秀であるイグニスでさえも、人間という種族を格下の存在としか見ていなかったため、リゼットの気持ちを汲み取ることが出来なかった。


 そんな認識を持ったイグニスが敬意を払うべき人間は一人しかいない。

 それは自身の王であるフラムの主――紅介ただ一人である。

 勿論、ナタリーとマリーに対しても他の人間とは違い、格下に見るような真似はしておらず、同僚として対等な立場であると考えていた。

 そして現在、同僚であるナタリーから助けを求められていることもあり、イグニスは事態の収拾に取り掛かる。


「貴様――」


 リゼットが再び怒りの声を上げた瞬間、それを遮るようにイグニスが口を挟む。


「リゼット様。事情をご説明致しますので、今一度お座り下さい。さもなくば……」


 イグニスはどこからか食事用の銀ナイフを取り出し、その刃を眠っているアリシアの首にそっと近づけ、話を続ける。


「――アリシア王女殿下の命は消えてなくなるでしょう」


 相手が冷静に話を聞くことが出来ないのであれば、無理矢理にでも話を聞かせる手段を取るだけ。

 リゼットに対し、その手段は効果覿面だったようで、表情こそ険しいままであったが、おとなしく椅子に座らせることに成功した。


「……卑怯者が」


 リゼットに出来ることは小さな声でイグニスを罵ることのみ。

 おとなしく椅子に座ったことを確認したイグニスは銀ナイフをテーブルの上に置き、話を始める。


「ようやく静かになってもらえたようで、なによりでございます。本来であれば、リゼット様の意識も奪うつもりでしたが、お二方が意識を取り戻した際に暴れられると面倒だと判断し、このような形に致しました」


「……」


 リゼットからは返事も反応もなく、厳しい視線を向けられつつ、話の続きを促されるだけ。


「では、何故わたくしめが、このようなことをしたのかをお話致しましょう。理由はただ一つ。アリシア王女殿下をこのお屋敷で保護し、私めに護衛をして欲しいと依頼があったからに他なりません。勿論、コースケ様もこの件については把握しております」


 イグニスからの詳細を省いた説明を聞いたリゼットはようやく反応を示す。


「……二つ聞きたいことがあります」


 リゼットは未だに刺々しい声音ではあったが、言葉遣いは普段のものへと戻っていた。


「どうぞ、何なりと」


「まず一つ。アリシア様の保護と護衛を依頼されたとの話でしたが、どなたからの依頼ですか?」


「リゼット様もご理解しているとは思いますが、それは勿論、エドガー国王陛下でございます」


 王女であるアリシアの保護と護衛を依頼出来る人物は国王か女王をおいて、他にはいないことをリゼットも理解していた。

 しかし、だからこそ疑問が残る。

 もとより、紅介に助けを求めるようにアリシアへ命令をしたのはエドガー国王その人のはずなのだ。リゼットがアリシアから聞いた話と、かなりの食い違いが起きている。


「あり得ません! 私はアリシア様から、コースケ先生に援助を求めるよう国王陛下からご命令をお受けしたと聞いています!」


「そのご命令とやらは真っ赤な嘘でございます。全てはアリシア王女殿下をここへ向かわせるための芝居に過ぎません。そもそもエドガー国王陛下はコースケ様が不在であることを知っていましたので」


「そんな話を私に信じろと?」


「信じていただきたいのは山々ですが、到底受け入れられないだろうことは理解しております。ですので、もし信じることが出来ないのであれば、国王陛下に直接お聞き下さって構いません」


 自信満々に言い切ったイグニスに、リゼットは戸惑いを隠せずにいた。一体、どちらの話を信じればいいのかがわからなくなってしまっていたのだ。

 そのため、リゼットは一度この話を切り上げ、別の質問をぶつけることを選択した。


「……二つ目の質問です。もし先ほどの話が本当だとしたら、何故国王陛下はアリシア様を貴方に託したのですか? コースケ先生に託したのであれば、私は十分理解出来ます。けれど、一介の執事である貴方に託す理由がわかりません」


 リゼットの疑問はもっともなものだった。

 一執事でしかない者にアリシアの護衛を託すくらいであれば、王城にいた方が余程安全だと言えるからだ。

 だからこそ、どうしてエドガー国王が一介の執事であるイグニスに護衛を託すなどという判断をしたのかが、リゼットには理解出来なかった。


 そしてその答えはすぐにイグニスからもたらされる。


「至極簡単な話でございます。それは――」


 イグニスは笑みを深め、こう告げた。


「――私めが強いから。ただそれだけの話でございます」


「――っ!」


 あまりにも自然で、なおかつ自信に溢れた態度でそう言い切ったイグニスに、リゼットは驚きで声を上げられない。


「国王陛下は聡明な方だと言えるでしょう。愛娘の安全を確保するには出来るだけ安全な場所が好ましい。そして、今王都で一番安全な場所はここだと理解されているのですから」


「……」


 何を根拠にそこまで言い切れるのかはわからない。しかし、不思議とリゼットは、ここが一番安全なのだと本能で理解させられた。


 目の前に立つ一人の執事――イグニスによって。


「話は以上になります。ご理解いただけましたか?」


 茫然自失していたリゼットは、イグニスの呼び掛けで我を取り戻し、再度質問した。


「……理解はしました。ですが、何故アリシア様の意識を奪ったのですか? 今の話をお聞かせすれば、アリシア様も理解して下さったはずです」


「果たしてそうでしょうか? 私めにはそう思えません。アリシア王女殿下は自分だけが安全な場所にいることを良しとしないお方なのではありませんか?」


 イグニスの言う通りだとリゼットは思い改められてしまう。

 アリシアの性格を考えると、今の話を聞かせてしまえば必ず王城へと戻り、父親であるエドガー国王に保護や護衛などはいらないと突っぱねたことだろう、と。


「……」


 何も言い返すことが出来ない。

 イグニスはリゼットの無言を肯定だと捉え、話を続ける。


「そこで、リゼット様にお願いがございます。後数時間もすればアリシア王女殿下はお目覚めになることでしょう。その際、アリシア様がお屋敷から出ていかないようご説得していただきたいのです。残念ながら、私めでは不可能だと思いますので」


「……わかりました。アリシア様をお守りするためなら、協力します」


 完全には納得していないため、リゼットの返答は渋々といったもの。しかし、リゼットはアリシアの命を最優先に考え、協力を引き受けることを選択した。

 そして、もしイグニスの言葉が嘘だと判明したその時には、自分の命を賭けてでも、アリシアを逃がすとも決心していた。


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