第149話 王の三腕

 魔物の到着まで後三時間を切った頃、エドガー国王は自身の執務室に娘であるアリシアを呼び寄せていた。


「お父様、このような非常事に何か私にご用件が?」


 魔物が王都に迫ってきていることは勿論、アリシアも知っている。だからこそ、何故このタイミングで自分が呼び出されたのかと疑問を抱いたのだ。

 いくら父親がこの国の国王であり、前線に出ないからといって、悠長にしている場合ではない。

 国王としてやるべき事は山のようにあるにもかかわらず、時間を割いた理由がアリシアには理解出来ずにいた。


 しかし、その答えはすぐに告げられた。


「――ああ。アリシアに頼みがあってな」


「頼み……ですか?」


 思わぬ話にアリシアは僅かに眉間に皺を寄せ、父親の言葉の続きを待つ。


「時間がないから手短に話すが、アリシアにはコースケの屋敷に行き、手助けをしてもらえるように呼び掛けてもらいたい」


「コースケ先生にですか……。お父様も存じ上げているとは思いますが、先生は表立って動く方ではありません。私がお願いしたとしても断られる可能性が高いかと」


「それでも、だ。リゼット嬢と一緒に行っても構わない。頼まれてくれるか?」


 言葉こそお願いという形を取ってはいるが、エドガー国王の真剣な眼差しは言外に拒否は許さないと匂わせるもの。


「……承知致しました。すぐにでもリゼットと共に向かいたいと思います」


「いや、二時間後くらいに城を出てくれ。今は王都中が人でごった返してるだろうしな。それにアリシアが多くの者の目に留まれば、余計な混乱を招く可能性もある」


 聞く限りでは、筋が通っている話のようにも思えたが、アリシアの聡明な頭脳はすぐに話の筋が通っていないことに気づく。

 確かに王女であるアリシアが多くの民衆の目に留まれば、混乱を招いてしまうだろう。

 しかし、先生を説得し、助けを乞うのであれば、戦闘開始の一時間前では間に合わない恐れがあるのだ。

 普通なら、一刻も早く説得に向かうよう命令するべきであるとアリシアは考えたため、不自然な父親の頼みに不信感を抱いた。


「……お父様。何か隠し事をされてはいませんか?」


「隠し事? そんなものはない。それよりも俺にはやるべき事がある。悪いが、自室に戻ってくれ」


「……わかりました。失礼致します」


 父親が自身に話を聞かせるつもりがないと理解したアリシアは、納得がいかない気持ちを抑え、執務室を後にしたのだった。




「ふぅ……。流石に今の話は無理があったか」


 一人残された部屋で、エドガー国王は独り言を呟く。

 娘に嘘を吐くという行為は、父親として気分の良いものではない。だが、この嘘は娘を守るためにも必要な嘘だった。


 そもそもの話、エドガー国王は紅介が屋敷にいないことを知っている。

 つまり、アリシアへの頼み事は実現することがない真っ赤な嘘であり、無駄足に終わることは確実。

 だが、エドガー国王はどうしても愛しの娘であるアリシアを王城から出さなければならない理由があった。


 それは――魔物の襲来の後に訪れるであろう反王派によるクーデターのため。


 実のところ、エドガー国王はクーデターの兆候を掴んでいた。

 王都の北部にあるマルク公爵領・産業都市リシェスを中心に武具が買い占められ、なおかつマルク公爵が兵を集めているということを。

 しかし、致命的な事に情報を掴むのが遅すぎた。


 武具が買い占められている事については数週間前に、密かに潜り込ませていた諜報の者から報告があったのだが、魔物が増えたことによる対策だとマルク公爵が民衆に向けて公言していたため、諜報の者に監視を続行させるだけに留めてしまったのだ。

 事実、北部は魔物の出現数が他と比べて多く、都市部から離れた村などで小規模ながらも被害が出ていた。

 そして何より、魔物が産業都市リシェスを襲撃せず、王都だけを狙ってくるなどという事態を予想出来るはずがなかった。

 他の方角から迫ってきている魔物もそうだ。

 王都までの道中にある都市や街に大きな被害があったという報告は届いていなかった。


 これらの情報を整理した結果、エドガー国王はマルク公爵が何らかの方法で魔物に王都を襲撃させているのではないかと考えた。

 そして、これも憶測でしかないが、魔物を退けたと同時にマルク公爵率いる反王派が王都に攻めいる可能性が高いとも考えている。


 だからこそ、アリシアを無理矢理に王城から離したのだ。

 クーデターが発生した後に王城から逃がしたとしても、それでは遅すぎる。

 王城には多くの者が働き、中にはマルク公爵の手の者がほぼ確実に潜んでいるのだ。クーデターが発生している中、監視者の目を掻い潜り、アリシアを逃がすのは難しいと言わざるを得ない。

 しかし、今のタイミングであれば、監視の目が緩んでいる可能性がある。

 魔物への対応で王城にいる者全てが忙しくしている中、アリシアを監視しようものなら、明らかに不自然な行動取らざるを得なくなるからだ。

 クーデターが始まる前に捕らえられるなどという失態は流石に避けようとするはず。

 このような考えの上、エドガー国王はこのタイミングでアリシアを王城から脱出させる決断をしたのだった。


 では何故アリシアだけを逃がそうと考えたのかだが、これには大きな理由がある。

 それはアリシアが唯一、王家の血を引いた女性だからだ。


 マルク公爵がクーデターを成功させるためには二つの条件がある。

 一つは王都を制圧し、国王とその息子たちを討ち取ることだ。

 マルク公爵が国王の座を狙っていることは一部の貴族にとっては周知の事実。

 ともすれば、玉座を得るためには国王とその息子たちは邪魔者でしかない。

 仮にエドガー国王だけを討ち取ったとしても、息子が一人でも存命する限り、王派の人間が息子に王位を継がせようと動き出すことは明白なため、確実に討ち取ろうとしてくるだろう。


 そして二つ目の条件がアリシアの確保。

 マルク公爵は王派の人間を掌握しなければならない。

 しかしその問題はアリシアを娶ることで、王派からある程度の理解を得ることができ、なおかつ王派の人間に対しての人質として機能させることで解決することが可能なのだ。

 是が非でもアリシアを手に入れようとしてくるだろうとエドガー国王は考えている。


 何故、アリシアの逃亡先を紅介の屋敷にしたのか。それはある情報を密かに得ていたからに他ならない。

 その情報とは突如紅介の屋敷に現れた謎の執事についてだ。

 優秀でありながら、その出自は不明。さらにいつ王都に入ったのかさえも掴めなかった人物。

 その人物は現在、屋敷の留守を紅介に任されているほど信頼されている点を考慮し、エドガー国王はその人物の正体が竜族である可能性が高いとみていた。


 無論、これはあくまでも憶測でしかない。

 その憶測を確かにするために、エドガー国王はある人物をこの部屋に呼び出していた。




 アリシアが執務室を出て数分後。部屋の扉が二回ノックされ、一人の女性が入室した。


「陛下、参りました」


 入室と同時に片膝をつき、頭を下げる短い黒髪の女性の名はロザリー。第一王子ジュリアンの護衛兼メイドである。

 その実、ロザリーにはもう一つの顔があった。

 それは――国王直属秘密部隊『王の三腕サード・アームズ』の部隊長という顔だ。


『王の三腕』とはエドガー国王を影で支える秘密部隊。

 この部隊を知る者は片手で数えられる程しかおらず、王家に連なるアリシアやジュリアンでさえも認知していない部隊である。


「早速で悪いが、コースケの屋敷に行って執事の男にアリシアの保護についての交渉をしてもらいたい」


「かしこまりました。いつ向かえばよろしいでしょうか?」


「今すぐに、だ。交渉の結果を問わず一時間以内に俺に報告してくれ。その後はジュリアンの護衛に戻れ」


「直ちに行動を開始致します」


「任せたぞ」


 時間にして、僅か一分少々でロザリーは王命を遂行すべく、退出していった。


(後はロザリーの交渉次第……だな)

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