四章 王都動乱
第109話 珍入者
魔武道会が終わってから今日で約二週間。
長かったようで短かった特別講師の依頼も一週間程前に無事終了し、俺たち『紅』は働き詰めだったこともあり、ここ最近はのんびりとした日々を過ごしていた。
今もあと少しで夕方になる時間にもかかわらず、俺は自宅の広い庭にあるベンチで寝転びながら自堕落に過ごしている。
ちなみに特別講師の最終日にはSクラスを代表してなのかはわからないが、アリシアとリゼットから花束と感謝の言葉を貰い、教師の真似事も悪くなかったと思ったり、生徒たちとの別れに少し目頭が熱くなったりしたのだが――
「はぁぁーっ!!」
「――くっ! ……流石はアリシア様。私ももっと鍛えねば」
「以前に比べ、リゼットも着実に強くなっていますよ」
アリシアとリゼットの会話が寝転がっている俺の耳に届いてくる。もちろんここは俺の屋敷の庭であり、突如俺が学院に転移していたなんて事実はない。
では何故二人が屋敷の庭で武器を振り回し、訓練をしているのかといえば、それは花束と感謝の言葉を貰った時に遡る。
「先生方、短い間でしたがご指導いただき感謝致します。先生方と
「そう言ってもらえて嬉しいよ。何か教えて欲しいことがあったら俺たちの家に来てくれればいつでも教えるから」
と、社交辞令のつもりで言ったのだが、それからというもの二日に一度のペースでアリシアとリゼットは学院が終わり次第、屋敷に来るようになったのだった。
正直、俺としては予想外過ぎる展開だ。
社交辞令を真に受けたのも驚きだが、何しろアリシアはこの国の王女であり、本来なら易々と会えるような人物ではない。しかもこれほどのペースで屋敷に来るとは思いもしなかった。
王城にいるお偉いさん方はこの事に何も言わないのだろうか、とむしろ俺が心配してしまうほどだ。
それにしても帰りに迎えが来るとはいえ、いつも護衛を連れていないし、大丈夫なのかな。
アリシアが訓練のため屋敷に来たのは今日で三回目。
一回目と二回目に来た時には護衛を連れていなかった。
もしや陰ながら護衛を付けているのでは、と考えてアリシアが来た初日に『気配探知』を使ってみたがそれらしき反応もなく、直接アリシア本人に護衛の有無を聞いたところ『送り迎えはしてもらっているので護衛は必要ないと伝えました』と言っていたこともあり、初日以外は『気配探知』を使っていなかったことを思い出す。
アリシアの身に何かあったら問題になりそうだし、一応『気配探知』で警戒しておくかな。
この屋敷がある区画は治安が良いため、あまり意味はないとは思いながらも俺は周囲の反応を探る。
すると屋敷の敷地内にある小さな雑木林に二つの人の気配を察知した。
アリシアとリゼット以外に誰かを招き入れた記憶はない。無論、屋敷に住んでいる他の皆でもないことは確かだ。
やっぱり護衛を陰ながら付けられている……? いや、だとしても俺の許可なしに無断で敷地内に入るなんて考えられない。
即座に撃退するか悩んだが、万が一護衛の可能性がある。
ひとまずは寝転がっていた身体を起こし、リゼットと再び訓練を始めようとしていたアリシアに声を掛けることに。
「アリシア、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
もう先生と生徒の関係ではないが、アリシアと呼び捨てにさせてもらっていた。これはアリシアからのお願いでもある。
「どうか致しましたか? コースケ先生」
抜いていた訓練用の刃を潰した剣を鞘に戻し、アリシアが俺の近くへ駆け足でやって来た。それに合わせてリゼットも。
「ここからは大きな声を出さないで質問に答えて欲しい。今日はアリシアに護衛が付いていたりする?」
「いえ、そのようなことはありませんが……」
首を傾げながら困惑した表情を見せる。
どうしていきなり俺がこんなことを聞いてきたのかがわからないのだろう。
「じゃあ、陰ながら護衛を付けられている可能性は?」
「ないと思います。お父様からコースケ先生の家より安全な場所はないから護衛を付けなくても安心出来るとまで言われましたから」
過大評価もいいところだ。
自分の大切な娘に護衛を付けず、素性も知れない俺に任せるとは豪胆な性格なのか、それとも頭のネジが外れているか、判断が難しい。
だが、今はそんなくだらないことを考えている場合ではなさそうだ。
話を聞く限り、雑木林にいる二つの反応はアリシアの護衛ではないのだろう。もしかしたらリゼットの護衛の可能性もなくはないが、俺とアリシアの話に口を挟まないところを見ると、それもないと見ていいはず。
ならやることは一つ。
侵入者の捕獲または無力化。
殺すつもりはないが、仮にアリシアを狙った凄腕の暗殺者であれば俺も覚悟を決めなくてはならない。
相手が強ければ強いほど殺さずに捕らえることは難しくなるため、弱いことを祈るのみ。
「ありがとう。参考になったよ。それじゃ、少しここで大人しく待ってて」
「それはどういう――」
アリシアの言葉を聞き終える前に俺はベンチから立ち上がり、飛び出した。
距離はおよそ二百メートル。
今の俺の全力疾走であれば五秒もいらない。
風を切り裂き走りながら、アイテムボックスから二本のナイフを取り出し、瞬く間に距離を詰める。
どうやら『気配探知』に引っ掛かった二人は俺が近付いてきていることに気が付いたらしく、元いた場所から移動を始めていたが、その移動速度は俺と比べると極めて遅い。まるで赤子と大人の徒競走だ。
そしてついに二人の走る背が視界に入る。
一人は身長175センチ前後の男。
髪は金髪で身体の線は身長の割には細い。
もう一人はロングスカートのメイド服を着たショートカットの黒髪を持つ女。
金髪の男の後ろを走っているが、おそらく男より足が遅い訳ではなさそうだ。走る後ろ姿を一目みただけでこの女の方が手強いであろうことは瞬時にわかった。
メイド服の女はこのままでは逃げられないと思ったのだろう。走るのを止め、俺と相対する。
対して金髪の男は立ち止まらない。未だに走り続けていることから察するに彼女は男を逃がすために立ち止まったのだろう。
だが、俺は両方とも逃がすつもりはない。
正面に立つメイド服の女はどこからか黒塗りのダガーを取り出し、俺の襲撃に備えているが、それを無視して『
瞬時に逃げる金髪の男の真上に転移し、無防備だった男の腕を固めて組伏せ、首元にナイフを突きつけた。
「――動くな。動いたら容赦しない」
あえて声を低くし、威圧的な態度をわざと取った。
男の無力化に成功した俺の視線はメイド服の女に固定し、彼女の一挙一動を見逃さないように気を配る。
彼女と俺の睨み合いが数秒続いた後、彼女は手に持っていたダガーを地面へと落とし、両手を上げた。
「――抵抗はしません。ですのでその御方を解放して下さい」
この一言でメイド服の女が金髪の男を大事に思っていることがわかる。
「それは出来ない相談だ。ひとまず貴女は俺の後ろに付いてきてくれ。変な動きをしたらこの男の命は保証しない」
腕を固めたまま男を立たせ、屋敷の庭に向けて歩き出す。
メイド服の女は地面に落ちたダガーを拾わずに大人しく俺に付いてきたのだった。
俺が賊であろう二人を連れてアリシアたちの所へと戻る。
「今、そこの雑木林で怪しい二人組を捕まえたんだけど、どうすればいいかな?」
アリシアの伝手を使ってどうにかしてもらうかと考えたのだが、何故かアリシアは目を見開きながら口を手で隠し、驚いた表情をしていた。
「どうかし――」
アリシアにどうかしたのかを聞こうと口を開いた矢先、俺の言葉を遮って腕を固められていた金髪の男が大声を上げる。
「――姉上!!」
「……え?」
そんな俺の間の抜けた声が夕暮れ時の庭に響いたのだった。
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