ヴェネツィア総督

 怪傑カサノバが出現して二ヶ月。街の夜はいっそう賑やかさを増していた。


 そんな慌ただしさが広がる某日、夜。


 付き人を二人引き連れて、総督がヴェネツィアを歩いていた。

 三人は人通りのない路地の角を曲がる。


「動くな」


 総督の首にナイフが当てられる。

 そして次々に、物陰から数人の影が現れた。


「総督!」


 ガスパロ准尉が脇の剣に手を伸ばすが、総督は軽く手を上げてそれを止める。


「一体私になんの用だ」


 総督は臆することなく問う。


「怪我をしたくなければ財布を出すんだ」


 ナイフを持った男がいうが、総督は笑みを作って、


「護衛に持たせているよ。私の財布は少々重いんだ」


 渡してやれ、と、総督は護衛の一人に指示をした。

 言われた護衛は、ひどく苦い顔をして小さな布袋を取り出した。

 その財布を、無頼漢のうちの一人がひったくるように受け取る。


「……お前が言ったとおり俺たちは夜盗なんかじゃない。これは物取りに見せかけるためのただの偽装だ」


 総督はうなづく。


「ああ。さしづめ、ゾロに感化された幼稚な輩だろう」

「なんだと?」


 総督の首筋にナイフを突きつけている男は、更に手に力を込める。

 漸近するナイフの切っ先に総督は怯むことなく、


「偽装だと私たちに告げるということは、こちらを一人残らず殺すつもりか。だがお前らは、狐の威を借るダニでしかないよ。まったく無茶をしたな」

「……ゾロのように、我々もお前の独裁は許さない。お前がこれから国民を苦しめ、この国を戦火に晒そうと企んでいることは知っている」

「その程度だから幼稚なのだよ。税金の負担はなにも国民を苦しませるためのものではない」

「この国がお前一人のものになってたまるか。……おい、お前達は早く護衛を片付けろ」

「一般人風情がなめるな! 俺たちを誰だと思っている!」


 護衛のガスパロ准尉が怒声を張り上げ、腰の剣に手をかけようとするが、


「抵抗すると、総督の命はないと思え」


 総督を拘束している男が、ナイフを総督の首にひたりとくっつける。

 ガスパロは、言われるまま剣を地面に投げ捨てるしかなかった。


「これでお前らも終わりだ」


 ナイフの男が言い、他の男達が護衛の二人へと襲い掛かる――。

 そのときだった。


「ぐわあ!」

「ど……どうしたっ!」


 騒然とする男たち。

 総督を脅していた男が叫び声を上げ、どさりと地面に倒れたのだ。

 見ると、総督はなにかの金属棒を手にしていた。

 しかし……総督が男を殴った様子はない。


「ちくしょう、早く殺せ!」


 不気味に佇む総督へ、男の一人が踊りかかる。

 だが、総督は男の剣をかわし、すぐさま金属を男の胸元に突き当てた。

 途端に撥撥ばちばちと蜂の飛ぶような音が鳴り響き、男はくず折れる。


「そ……総督は魔法使いなのかっ!?」


 混乱する男たち。

 ガスパロ准尉は剣を拾い、一人の悪漢を押さえ込む。


「今だ! 制圧しろ!」


 そしてもう一人の護衛と共に、悪漢たちを捕らえ上げた。

 男たちを縛り上げて、一息をつく。


「ご苦労だった、准尉」

「いえ。ぬかりました。それにしても……」


 ガスパロは総督の手元をみて、


「凄まじいですね――それが雷を発生させる武器ですか」


 総督は棒で手をぽんぽんと叩きながら、


「雷というのは、起こすよりも留めておくことのほうが難しい。しかしインドでみつかったこの神器は、その蓄えができるのだ。一度に二回程しか使えはしないが……素晴らしい働きだな」


 総督は棒をためつすがめつし、腰に差す。


「ところで准尉、狐の動向はどうだ?」


 総督に言われ、ガスパロは肩の力を抜きながら、 


「……ゾロも相変わらず、我々の邪魔をしてくれます。民衆のいい語り草です」

「ほう」

「それに、例のカサノバというならず者ですが……女たちは声を上げては言いませんが、あの号外が出てからというもの、奴が婦女子の寝室を荒らしまわっているのは周知の事実です。それに加え、ゾロの争いに首を突っ込んで金品を掠め取るようなこともしばしば。……ご用命下されば、カサノバ退治についてはこの私が――」

「構わん。放っておけ」

「は……? しかし、カサノバもゾロに負けず劣らずの反逆者で――!」


 准尉は抗弁を垂れるが、


「心配せずとも、どうせあいつには何もできんよ。それよりも今日はアレ・・の具合が肝要だ。この不穏分子たちを檻に入れ、早く様子を見に行こう」

「は……」


 准尉はしぶしぶと下がり、悪漢を引いて連行する。


「厄介なのは……やはり狐か」


 総督は、欠け始めた月を見上げて呟いた。

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