第251話 攻略の鍵
「――ハッ!? い、いまのは……いったい……」
見えない壁のようなものに弾かれたと思ったら、そのまま意識を失い、気付けば甲板の上で横たわっていた。
「シ、シオンさま!? 大丈夫ですか!」
状況を把握できずにいると、すぐ後ろのほうからリーシアの声が紫音の耳に入ってきた。
「……え? リーシア……? なんでお前ここにいるんだ。後ろのほうに下がっていたはずだろ?」
「なにを言っているんですか? シオンさまのほうからこっちに来たんじゃないですか。シオンさまの体が突然吹き飛ばされたのを見て、わたしものすごく驚いたんですよ」
「吹き飛ば……ああ、そういえばそうだったな。……なあ、俺はどのくらい気を失っていたんだ?」
「ほんの数秒ほどだったと思いますよ」
「……そうか」
意外にも時間が経っていなかったことを知り、紫音は急いで体勢を整えようとする。
「シオン、お主も無事だったか」
「ヨシツグ……。ええ、なんとか」
「なにが起きたかは私にも分らぬが、どうやらすぐにここを離れたほうがよさそうだな」
「……え、どういうことですか?」
「シオンさま、前を見てください!」
リーシアにそう言われ、紫音は顔を前のほうへと向ける。
「…………オイオイ、なんだよありゃあ」
最初見たときはなにを言っているのか理解できなかったが、よく目を凝らしてみてみると、ある光景が目に飛び込んできた。
それは、甲板に倒れていた兵士や魔物たちがズルズルと引きずられながらこちらへと近づいてくる奇妙な光景だった。
(……な、なにが起きてる? ――っ!? も、もしや、さっきの見えない壁みたいなのがこっちにまで押し寄せているのか!)
ようやく事の重大さを理解した紫音は、ヨシツグの言う通り撤退を決意する。
「みんな、ここは危ない! すぐに海に逃げろ!」
その言葉を合図に、全員が一斉に海に飛び込んだ。
「ふう……危なかった……」
海のほうへ避難した紫音は、そこに控えていた魔物の体によじ登りながら安堵のため息を漏らした。
そして、再び船のほうへと目を向けると、見えない壁はそのまま浸食を続け、兵士や魔物たちを海へと弾き飛ばしながらついには船全体を覆うほどにまで拡大していった。
(本当になんなんだ、この壁は? 魔物たちが落ちているところを見る限り、この壁は前方だけでなく、周囲にも広がっている……。それにこの硬さ……。まるで、強固な結界でも張られたみたいだな)
しばらくの間、正体不明の壁を眺めていたが、このまま続けても埒が明かない。
そう思い、紫音は行動を起こすことにする。
「ヨシツグ、ちょっと手を貸してくれ。こいつを壊すぞ」
「……それはずいぶんと大掛かりな仕事だな。……だが、任せろ!」
ヨシツグはそう意気込むと、刀を取り出し、天に掲げるように刀を振りかざす。
「でやああぁぁっ!」
刀身に氣を込めたヨシツグの斬撃が見えない壁に直撃する。
――ギイイィィン。
衝突する瞬間、鈍い音が周囲に響き渡る。
「……これは、参ったな」
ヨシツグは結果を見るや、残念そうな顔をしながら肩を落とした。
見ると、見えない壁には刀傷の一つすら見当たらず、なんのダメージも与えられなかったようだ。
「今度は俺が……」
残念ながらヨシツグはダメだったが、紫音にならまだ可能性はある。
(この結界みたいなのが、あの女が張った結界なら、たぶん壊せるはず。あいつもリーシアたちと同じ人魚族だし、俺の特異能力だったらおそらくいけるだろ)
亜人種や魔物相手のみに適用される紫音の特別な力を使えば、この見えない壁も突破できるはず。
そう考え紫音は、拳にいくつもの付与魔法をかける。
(フィジカル・ブースト――右腕集中・5重詠唱展開! 近くにフィリアがいないから竜人族の身体能力は借りれないけど、これくらい重ねれば同等の力になるはず)
付与魔法によって最大にまで強化された拳を、見えない壁に向かって勢いよく解き放った。
「ハアアァァッ!」
振り下ろされた拳が見えない壁に衝突する。
――ドオオオオォォンッ。
瞬間、激しい衝突音が鳴り響く。
「…………くっ!」
確かな手応えもあり、これは決まったと自分自身、そう思っていたが、現実はそううまくはいかない。
紫音の特異な力をもってしても、その壁は砕けることなく、紫音たちの前に立ちはだかっていた。
「俺でも……ダメか……」
今打てる手を使い果たしてしまい、これからどうしたものかと、考え込んでいると、
「なにをしても無駄よ……。この呪縛牢は決して崩れることはないわ」
どこからか、コーラルの声が聞こえてきた。
(い、いったい、どこから……。っ! あそこか……)
辺りを見渡し、声を頼りにしながらコーラルの居場所を特定しようとしたところ、船の船主の上に立っているコーラルの姿が見えた。
「――お姉さま!」
「お姉様、いったいなにをしたの!」
「……あなたたちのせいで、ずいぶんと予定を狂わされてしまったわ。でも、それももうおしまい……。もう、あなたたちの好きにはさせないわ」
リーシアたちの呼びかけにも応じず、姿を現したコーラルは、冷酷そうな顔を向けながら言う。
「呪縛牢……といったな。それはこの結界のようなもののことか?」
「ええ、そうよ。この結界は私が持つ呪術の中でも特別強力な防御陣の一つよ。正規の手順を踏まない限り、決して解けることはない鉄壁の牢獄。いくら、破壊しようと工作しても傷一つすらつかないわ」
「……正規の手順?」
「悪いがこちらも、その正規の手順とやらを辿っている暇などない。この結界も術者であるお主を倒せば消滅するはずだ!」
ヨシツグはそう言い終えると、「飛炎」を放ち、遠距離からコーラルに攻撃を仕掛けた。
「……届かないか」
しかし、その斬撃はコーラルに届く前に結界に阻まれてしまう。
無駄な攻撃を仕掛けてきたヨシツグを見ながらコーラルは静かにため息を吐いた。
「言ったはずよ。この結界は正しい解き方をしない限り、絶対に敗れることはないわ。だから、もう諦めてここから去りなさい」
(……なんだ、この口振りは? その船から俺たちを遠ざけようとしているのか?)
コーラルの口から発せられる妙な言葉の数々に、紫音は怪訝そうな顔をしながら考えを巡らせる。
(……そもそもだ。あんな強固な結界を張れるなら最初からそうすればいいのに、なんでヨシツグの侵入も俺たちが足を踏み入れてからもそうしなかったんだ?)
考えれば考えるほど不可解なことが浮かんでくる。
(……もしかしたら、自分で対処できると思っていたから今までしなかったのか? でも、それでも無理だったから結界を張った……? それにしては、この結界の規模は大きすぎる。そうなると、この結界は自分の身を守るものではなく……この船そのものを……っ!?)
考え抜いた結果、コーラルの真意に気付き、それを確かめるためにヨシツグに問いかける。
「ヨシツグ、あの船の中にコーラル以外にだれかいるか?」
「……あ、ああ、中にまだ一人いるな。そこから一歩も動いていないようだが……それがどうした?」
「あの中にいるのはおそらく……この戦いを引き起こしたアトランタの王子が乗っているはずだ」
「――っ!?」
紫音のその言葉を聞いて、マリアーナは驚きの顔を見せた。
「シオンさん、それは本当ですか!」
「たぶんな……。コーラルの奴が結界を張ってまでこの船を守っているのはそれしか理由はないと思うんだ。アトランタの王が人魚側の手に落ちてしまえば、この戦いも同時に終わる。コーラル自身、それは望んでいないはずだから、わざわざこんなバカでかい結界を作ったんじゃないか?」
「……確かに、それは一理あるわね」
「本当に厄介ね……あなた」
「……っ」
紫音の推測を聞いていたコーラルは、観念した顔をしながら話を続ける。
「やはりあなただけは、あのとき潰しておくべきだったわね」
「その言葉……。俺の予想は当たっていたとみていいんだな?」
「ええ、そうよ。この船の中にはアトランタの王子が乗っているわ。確かにあなたの予想通り、王子を押さえてしまえばこの戦いは勝ったも同然よ。……でも、あなたたちにそれができるのかしら? この結界を突破することもできないのに……」
「わざわざ、『正規の手順』とか言って、わざとらしく強調しているほどだ。ヒントくらいは教えてくれるんだろ?」
このままノーヒントでは八方塞がりになると思い、少しでも情報を引き出すために紫音はわざと挑発するような言い回しをしながらコーラルに質問する。
「……いいわ、教えてあげるわ。どうせ、無理だと思うしね……」
半ばダメもとではあったが、思いのほかコーラルも乗ってくれて情報を提供してくれるようだ。
「今、この結界は4人の手によって維持されている状態よ」
「……4人?」
「さっきも言ったと思うけど、私は呪いを通して、いろいろと行使することができるのよ。脳に直接呼びかけて操り人形にしたり、魔力を繋げ、自身のものへと変換させたりね。この結界もそれと似たような作用で維持されているわ」
「……つまりは、お前の呪いに侵された奴らのうちの4人が、この結界を維持するための人柱になっているってことか?」
そう言うと、リーシアは笑みを浮かべながらうんと頷いた。
「一つ訂正するとすれば、人柱になっているのはなにも呪いに感染した者だけじゃないわ」
「……え?」
「私はね、この戦いが始まる前にアトランタや教会のニンゲンに限らず、結界の発動と維持を担うための起動キーをそいつらにあらかじめ仕込んでおいたのよ」
「っ!?」
「だからね……この結界を破壊するための鍵となる者は、この戦場にいるすべてアトランタ軍が対象になるのよ。果たして、あなたたちに見つけられるかしら?」
紫音へのお返しと言わんばかりに、コーラルも挑発するような言い回しで尋ねてくる。
「ついでに言うとね……。その鍵を見つけるだけじゃ結界は攻略できないわ。そいつらは気付いてもいないと思うけど、鍵となる者には結界を維持するために魔力や生命力を絶えず送ってもらっているわ」
「つまりは……その元を潰せばいいんだな」
「ええ、その通りよ。ただ鍵を見つけるだけでなく、その者たちの命を奪うか意識を失うほどの戦闘不能状態に陥る必要があるわ。そうすれば維持するためのエネルギーが途絶え、鍵としての役目を失うことになるわ」
「ふ、ふざけないでください! エメラルダお姉様! この戦場にいったい何千人いると思っているんですか! そのうえ、そいつらを倒せだなんて……。いい加減、早くその結界を解いておとなしく投降してください!」
「投降……? それもいいわね」
「で、では……」
「そうしてほしいならこの結界を打ち破って見なさい。白状すると、これさえなくなってしまうと、私にはもう打つ手はないわ。だからこれを攻略したなら負けを認めてあげる。……もちろん、できたらの話だけどね」
「なっ!?」
「せいぜいがんばりなさい。……期待せずに待っているわ」
すると、コーラルの体がまるで霧のように徐々に消えていく。
「エメラルダお姉様!?」
「まってください、お姉さま!」
リーシアたちの呼びかけに応えることもなく、コーラルの姿が完全に消え去ってしまった。
「まさか今のは幻術だったのか……? くそっ! 奴に逃げる時間を与えてしまった」
わざわざ結界の説明をしたのもすべてはコーラルがこの場から去るための時間稼ぎだった。
それを今になって知り、紫音は悔しそうな顔を出すが、すぐに切り替え、リーシアたちのほうへ顔を向ける。
「リーシア! お前たちはすぐにコーラルを探しに行け! 奴も鍵の一つかもしれない!」
「か、かぎ……ですか? で、でも、鍵に選ばれるのはエメラルダお姉さまの呪いをかけられた人がなるんじゃないですか?」
「あいつはアトランタ軍の者としか言ってないだろ。それに、こいつがコーラルの奥の手だとしたら絶対に攻略できないようにする必要がある。そうなると、おのずと鍵に選ばれる奴らも分かってくるだろう?」
「……そういうことね。絶対に倒されないほどの実力を持つ強者を鍵に選定したのね。エメラルダお姉様も呪術や呪歌を駆使すればそう簡単にやられることもないはず」
「そういうことだ……。俺らもある程度、鍵の目星は付けているから、今からそこに向かうつもりだ。コーラルのことはお前たちに任せたぞ」
「わ、わかりました! 絶対に見つけてやります!」
自らそう鼓舞しながらリーシアたちは紫音と分かれ、コーラルの姿を追いかけていった。
「それじゃあヨシツグ、俺たちは……」
「待て! シオン……」
リーシアたちを見送り、自分たちも向かおうとしたところ、ヨシツグに呼び止められた。
「どうしたんだ、ヨシツグ?」
「……どうやら、その前に片付けなくてはならない敵がいるようだぞ」
「……ああ、確かにそのようだな」
ヨシツグにそう言われ、同じ方向に顔を向けると、そこにはコーラルの置き土産である2体の戦闘型ゴーレムが2人の前に立ちはだかっていた。
「まったく……すっかり忘れていたよ」
「あまり時間はない。……手早く仕留めるぞ」
「ああ、やるぞ!」
紫音とヨシツグの行く手を阻むゴーレムたちを排除すべく、2人はゴーレムの討伐へと意識を切り替えながら戦闘の態勢に入った。
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