第246話 無能王子の末路
アトランタとオルディスが戦争を始めた時点でコーラルの目的はほとんど達成していた。
これを機にアトランタを隠れ蓑にするのはやめ、コーラルは最後の仕上げへと取り掛かろうとしていた。
「オイッ! なんとか言ったらどうなんだ、コーラル! この責任、どう償ってくれるんだ!」
「――っ!」
コーラルがそのようなことを画策していたことなどつゆ知らず、パトリックは罵倒しながらコーラルに制裁と言わんばかりに手を出していた。
何度も体を叩かれ、その度にコーラルは痛みに耐えるような顔を見せるが、抵抗する素振りも見せず、されるがままでいた。
そのまま罵倒と暴力が幾度となく繰り返され、もうこの時間自体が無駄に成り果てたころにコーラルは襲い掛かってくるパトリックの手を掴んだ。
「……なんだ、この手は? 自分でミスを犯しておきながらこの僕に反抗しようというのか?」
「反抗……? まだ自分が上の立場にいると思っているの?」
「……っ! なに……? この僕に逆らうつもりか」
突然、別人のように口調が変わったコーラルにパトリックは一瞬たじろぐ。
しかし、すぐに立て直しながら改めて問いかける。
「逆らうもなにも、すでにあんたの役目は終わったのよ。……つまり、あんたはもう用済みってことよ」
「ハアッ!? いったい、なにを言っているんだ!」
「安心して。ここまで利用させてくれたお礼にちゃんと説明してあげるわ。どうせ最後になるだろうし……。でもね、その前に一ついい?」
「……な、なん――ぶへっ!?」
こちらから聞く前にパトリックの顔に激しいビンタがお見舞いされる。
コーラルからビンタを喰らい、情けない声を出しながらパトリックはそのまま尻もちをついた。
「全部……とまではいかないけど、これで少しは私の気も晴れたわ。あんたのわがままにはいつも振り回されていたからね」
「よ、よくもこの僕に手を出してな。拾ってやった恩も忘れて――」
「そう、それよ!」
「っ!?」
「まずは、そのことについて話さないとね」
そう前置きの言葉を口にしながらコーラルは話を続ける。
「……ねえ、パトリック王子。あなたはなぜ、私を拾ってくれたの?」
「そ、それは……お前が優秀な呪術師だったから……使えると思って拾ったまでだ」
「へえ……。でもなんで私が優秀な呪術師だと思ったの? 出会ったばかりで私のことなんてなに一つ知らなかったくせに、よく優秀だと見抜いたわね」
「……あ、あれ?」
そこでパトリックは、違和感を覚え始める。
(そういえば、なんでそう思ったんだ? 城を抜け出して街へ繰り出したときに偶然見つけたまでは覚えているが、なぜそれで城へ招いたんだ? 城に迎えたときも大臣たちに猛反対されたが、そのときも確か「優秀な呪術師」だと言って、口うるさい大臣たちを説得させていたような……)
しかしその際も、コーラルが優秀だという証拠を見せたわけではなく、パトリックが強引に話を進めてコーラルを傍に置いたようなものだった。
さらに付け加えて言えば、そこまでしてコーラルを城に迎え入れたことに、パトリック自身、なんの疑問にも思っていなかった。
(な、なんだ、この腑に落ちない話は? よくよく考えてみれば、不自然な点などいくらでもあるはずなのに、どうしてあのときの僕は、そんなことにも気づいていなかったんだ?)
「その様子だと、いくら考えても見当がつかない、という顔をしていますね。まあ、私がそうさせたんですがね」
「ど、どういう意味だ!」
「まあまあ、落ち着いてください。まずはこちらを……」
そう言いながらコーラルは、ミミズのように小さく細長い体をした黒い生き物をパトリックに見せる。
「……こ、これは? 前に見せた呪印生物とやらに見えるが?」
「あのとき見せたものとはまた別の個体よ。……この呪印生物も寄生型だけど、海に放ったものと違う特性を持っているの。それはね……一度宿主の体内に寄生すると、術者の意のままに宿主を動かすことができるのよ」
「ま、まさか……お前……」
そこまで聞けば、どんな人でもある結論に至る。
「僕にそれを飲ませたのか?」
「ご明察。実に簡単な仕事だったわ。あなたって、いつもお忍びで城下町に出ていたからね。仕込むスキなんていくらでもあったわ。……例えばそうね、あなたがいつも行っているレストランで出されている料理に紛れ込ませるとか、方法ならいくらでもあるわ」
「うぅ……っ!」
コーラルの説明を聞いて、突然吐き気を催し、口を抑える。
「本当なら寄生させた段階でずっと私の操り人形にしてもよかったんだけど、この呪印生物はまだ試作段階でね、あまりやりすぎると宿主の精神が崩壊する恐れがあるから、重要な場面以外では使わないようにしていたのよ。あのときのあなたには、まだまだ役割があったからね」
「い、いったい……なんの目的でこんなことをしたんだ! まさか、僕の国を乗っ取るつもりか!」
「乗っ取る……? おかしなことを言いますね? 私はね、今も昔もオルディスのために動いているんですよ」
「オ、オルディスだと! お前はいったい何者なんだ!」
敵であるオルディスの名前がコーラルの口から飛び出し、パトリックは慌てた顔をしながら問い詰める。
「この姿を見れば、言わなくても分かりますよね?」
コーラルは、そういった後、自らフードに手を伸ばし、パトリックに自分の素顔を晒す。
「――っ!? そ、それは……」
その素顔を見た瞬間、言葉通りコーラルが何者なのかすぐに分かった。
「お前……人魚だったのか! ……ということはオルディスの回し者だな、この悪女め! 操られていたとはいえ、これまで面倒を見てやった恩も忘れやがって……」
「恩……? 私がいなければここまでオルディスを追い詰めることもできなかったくせに、なにを言っているの?」
「な、なんだと……。お前がそういう態度をとるならこっちにも考えがある。……お前ら、出てこい!」
パトリックが声を上げると、部屋の外に控えていた兵士たちが足音を立てながらコーラルたちのいる部屋へと入ってきた。
「……」
「バカめ、ここがどこだと思っているんだ。アトランタ側の船にいるくせにベラベラと自分の罪を告白しやがって。だが、もうお前はここで終わりだ。オイ、お前ら! この船に反逆者が紛れ込んでいた。すぐにこの女を拘束しろ!」
パトリックは笑みを浮かべながら兵士たちに捕縛するよう指示をする。
……しかし、
「…………」
部屋に入ってきたまではいいが、兵士たちはパトリックの指示になど耳を傾けず、ただその場に突っ立っていた。
「なにをやっているんだ! 早くこいつを捕まえろ!」
再度指示を出すが、兵士たちは微動だにせずに、まるで別の誰かの命令を待っているかのように待機している。
「……無駄ですよ」
「……な、なに?」
「まさか、あの呪印生物の被害に遭っていたのが、自分一人だと思っていたんですか?」
「……えっ?」
「アトランタお抱えの呪術師としてあの城に仕えていた数年間、私がなにもしていなかったと本当に思っていたんですか?」
(……ま、まさか)
「お察しの通り、時間はかかりましたが、あの城にいる全員、呪印生物たちの宿主になっていたんですよ。もちろん、ここにいる兵士たちもね」
時すでに遅し。
コーラルの数年間に渡る工作はとっくに終わっており、もはやパトリックの周りに味方など誰一人いなかった。
「私からの説明はこれで終わりよ。最後にあなたにはもう一仕事やってもらおうかしら」
「ま、待て! 結局、お前の目的はいったいなんなんだ! お前はいったいこれからなにをしようとしているんだ!」
「ここで用済みとなるあなたに教えると思う?」
何度も疑問を投げかけてくるパトリックに、コーラルはすべて無視して話を続ける。
「まずは……『そこの椅子に座りなさい』」
「――っ! な、なんだ、体が勝手に……」
どういうわけか、自分の意志とは関係なく、コーラルの言葉通りに体が動いてしまう。
これが呪印生物の能力なのか、と操られた状態でパトリックはそう推測する。
「それじゃあ次は、全部隊にこう指示を送りなさい。『今から全権限をコーラルに譲渡する。これより先はコーラルの指示に従え』ってね」
「そ、そんなこと――っ!」
拒否しようとするが、口が勝手に開いてしまい、全部隊に先ほどのセリフをそっくりそのまま通達することになった。
アトランタ及び教会所属の者たち全員に行き届き、もう取り消すことすらできない状況に陥ってしまう。
「ご苦労様……。お次は
「なっ!? そんなことできるわけないだろうが! あれは国王の証そのもの。お前なんかやれるものではないぞ!」
玉璽とは、王家の実印のような代物。
書類などにハンコを押す際に用いられるが、それとは別にアトランタの王としての証明書の役割も担っている。
代々、アトランタでは王位を継承する際にこの玉璽もともに継承される。
そのため、玉璽を持っていることはアトランタ王であることを証明している。
「アトランタの兵士たちはともかく、教会の者たちが私の指示通りに動いてくれる保証はないでしょ。……でもそれさえあれば、少しは私の指示通りに動いてくれると思うわ」
「……ふざけるな。そんなこと……絶対に……」
「『今すぐ、玉璽の在りかを教えなさい』」
「――っ! そ、そこにある金庫の中にある。……カギはこれだ」
やはり命令には逆らえず、パトリックは懐からカギを取り出し、コーラルに渡した。
カギを受け取った後、コーラルはその足で金庫のほうへと向かい、中から煌びやかな衣装が施された玉璽を手中に収める。
「確かに受け取ったわ。……なに、その顔? 心配しなくても、この戦争はアトランタの勝利で終わらせてあげるわよ」
「しょ、勝利だと……。指揮権を奪っておいてなにを言っている。だいたいお前なんかにできるはず……」
「剣も魔法の腕も上に立つ者としての資質すらなに一つ持ち合わせていないあなたと一緒にしないでくれる? 想定外のことばかり起きているけど、私が動けばこんな戦況くらいいくらでもひっくり返されるわ」
まだ奥の手を隠しているのか、劣勢気味の戦況だというのにコーラルの顔は自信に満ちあふれていた。
「今からその証拠を見せてあげるわ。『呪印解放』」
すると、部屋にいた兵士たちから黒い瘴気が体を覆うように溢れ出てきた。そして雄叫びのような声も上げ、まるで別人のような雰囲気を醸し出していた。
「……な、なにをしたんだ?」
「先ほど見せた呪印生物ですが、あれには宿主を操る以外にもう一つ能力があったんです。それが、宿主の身体能力を驚異的に向上させる、言うなれば強化魔法に近い状態にさせることができるのです」
「これが、強化魔法だと……」
コーラルはそう言うが、通常の強化魔法とはまるで違っていた。
雄叫びを上げている彼らの様子はどちらかと言えば、狂化状態に近かった。
「さあ、あなたたちは自分の持ち場に戻って仕事をしなさい」
コーラルから命令を受けた兵士たちは、戦意をむき出しにしながら自分の持ち場へと戻っていった。
その様子を見送った後、コーラルは再びパトリックのほうへと体を向ける。
「最後はあなたの処理ね……」
「……ひぃっ! ぼ、僕になにをするつもりだ!」
「あなたにこれ以上、余計なことをされるといろいろと計画が狂ってしまうから、少しだけおとなしくしてもらうだけよ。……そうね。前国王と同じ状態になってもらったほうが私としてはいろいろと楽ね」
(そ、そうだ……。そういえば、父上を病に侵させたのはこいつの仕業だったな)
コーラルの手にかかれば、昏睡状態に陥らせることなど造作もないことにパトリックは今さら気付いた。
「ま、待て! あんな風になるのはイヤだ! 余計なことはしないから、なんならお前の手足にでもなんでもなってやろう。だから……」
前国王と同じ目に遭うのだけはなんとか避けたいと思い、パトリックは必死に命乞いをする。
「なんの能力もなく、ただ権力だけのニンゲンになにができるの。邪魔だから、もう黙っててくれない?」
「は、話を――」
「『覚めることのない眠りにつきなさい』」
「……や……やめぇ……あぁ……」
コーラルから最後の命令が下され、パトリックは椅子に深く座り込みながら終わりのない眠りについた。
「安心しなさい……。戦争が終わったら目を覚ましてあげるから今は少しでもいい夢を見ておきなさい。次に目を覚ましたときは私の操り人形として一生働いてもらうんだから。……さあ次は、あなたたちよ」
そう言うと、コーラルは両手を掲げるように上げ、意識を集中しながら唱える。
「『私のかわいいかわいい呪印生物たちよ。今こそ目覚めのときよ。大いに暴れなさい。全呪印解放』!」
戦場すべてにこの命令が受信され、兵士たちに寄生していた呪印生物が一斉に覚醒した。
心なしか、遠くのほうから獣のような雄叫びが次々と上がってきているのが、耳に届いていた。
「ひとまず仕込みはこれで終わりね。……さあ、どうなるのかしらね」
コーラルは笑みを浮かべながら部屋を後にして、戦況を見渡すために甲板へと上がった。
「――っ!? な、なによこれ……」
甲板に出ると驚くべき光景がコーラルの目に飛び込んできた。
その場に横たわり、動かなくなっている兵士たち。よく見てみると、兵士が来ていた防具には剣で斬られたような傷跡が残されていた。
(まさか、侵入者! くっ! あの王子に気を取られて外にまで意識を向けていなかったのが仇になったわ)
油断していた自分を恥じながらコーラルは、侵入者の姿を探すため必死に辺りを見渡す。
「ぐわあああぁぁっ!」
「っ!?」
すると、悲鳴のような声が近くから聞こえてきた。
その声のするほうへ顔を向けると、そこには今まさに侵入者に襲われていた兵士の姿があった。
兵士は反撃するも、返り討ちに遭い、あっけなくやられてしまった。
そして、その現場には一つの人影が残されていた。
「……ん? なんだ、まだ残っていたのか」
(こ、こいつは確か……難癖を付けて戦場で暴れまわっているという連中の一人だったか?)
コーラルの前に現れたのは、戦争に飛び入り参加し、アトランタの勢力を次々とそぎ落としていたヨシツグだった。
ヨシツグは、コーラルの姿を確認すると、刀についていた血を振り払いながら再び戦闘に備えて刀を構え直していた。
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