第239話 届かないその背中
――そして時は戻り現在。
女王ティリスが敗北した姿を映像にて発信され、オルディスの国民たちはその映像を啞然とした表情で眺めていた。
しばらくすると、唖然とした顔からは徐々に焦りや恐れなどの負の勘定へと変わり、全体の士気にも影響を及ぼしつつある。
それは、肉親であればあるほど影響力も大きかった。
ティリスの家族であるブルクハルトやリーシアたちまでもが、放心状態となったままその映像から目を離せずにいた。
「――ハッ!?」
しかしそんな中でもただ一人、マリアーナだけは誰よりも早く正気に戻った。
まだ動揺を隠しきれずにいるが、戦場の最中、そのようなことも言っていられない。ひとまず深呼吸したのち、未だ現状を受け止めきれていないブルクハルトたちの正気を取り戻すことに専念する。
「お父様! ガゼットにリーシアもいい加減現実を見てください!」
「――っ!?」
「……し、しかし……」
マリアーナの呼びかけに応じてリーシアたちもようやく正気を取り戻したが、ブルクハルトだけはまだこの事実を受け止めきれず、動揺からか不規則に息を荒げていた。
「しっかりしてくださいお父様! お母様は生きています!」
「……な、なに?」
「あの映像をもっとよく見てください。微かにですが、体が動いているのが見えます。重傷であることには変わりませんが、生きているのは確かなのでまだ助かるはずです」
マリアーナにそう言われ、再び空中に映し出された映像に目をやると、言われた通り体の一部が時折、ピクリと動いているのが見える。
「お母様のことは後はで考えるべきです。それよりもいまは、エメラルダお姉様から情報を引き出す――」
――ドオオオォォォン。
そのとき、マリアーナの後方から爆発音が鳴り響いた。
「――え?」
突然起きた爆発にマリアーナたちは驚きつつもパッと後ろを振り返る。
「エ,エメラルダお姉様!?」
先ほどの爆発のせいで拘束が解かれてしまい、コーラルが自由の身になってしまった。
「
すかさずマリアーナは、拘束の魔法を使ってコーラルを捕らえようとする。
逃げようとするコーラルの足元に海色の魔法陣が浮かび上がり、その中から液状の手のようなものがいくつも現れ、コーラルの体にしがみ付きながら身動きを封じていく。
「……っ!」
「エメラルダお姉様! 逃がしませんよ」
「……マリアーナ。残念だけど、その程度で私を捕まえることはできないわよ」
「な、なにを言って……」
「――――っ!」
すると、コーラルの口から美しくも悲しき歌声が流れてくる。
先ほどの不快感を覚える歌声とは違い、今回のは心の奥底にまで伝わるような深い歌声だった。
「……え?」
その歌声に警戒していると、マリアーナが展開した拘束魔法に異変が起きる。
あれだけコーラルの動きを封じていたというのに、歌声を聴くにつれて魔法自体にエラーでも起きているのか、魔法の原型を留めきれず、暴れ始めた。
拘束魔法はやがて、その効力を失い、跡形もなく霧散してしまった。
「言ったでしょう。この程度で私を捕まえることなんてできないって……」
マリアーナからの妨害に何度も乗り越え、再び自由の身になったコーラルは船から飛び降りようと身を乗り出していた。
「クラーケン!」
コーラルがそう呼ぶと、船の激しい揺れとともに船内に隠れていたクラーケンが海へと移動していく。
それに続くように、コーラルもクラーケンの体の上に飛び降りながら船から離れる。
「待て! エメラルダ! お前にはまだ、いろいろと聞きたいことがある。だから行くな!」
「エメラルダお姉さま! お願いですから行かないでください。わたしお姉さまがいなくなってからずっと帰りを待っていたんですよ……。それなのに……」
必死に止めようとするブルクハルトと涙目になりながら懇願するリーシアの言葉に負け、コーラルはこの場から去ろうとする足を一度止めた。
「お父様、マリアーナにガゼット……そしてリーシア。本当に久しぶりね……。この再開を本当なら喜んでいるところだけど、それは無理よ」
「な、なんで……ですか?」
「……もう私はあなたの知っている人じゃないからよ。エメラルダという名前は当の昔に捨てていまはコーラルと名乗っているわ。……いままで私の身になにがあったのか、それを話す時間はないけれどこれだけは信じて。……私はいまも昔もあなたたちの味方よ。それは名前を変えても変わらないわ」
「それならすぐに戻ってくるんだ! なぜアトランタの軍の中にいる! 戻って理由を話してはくれないか?」
ブルクハルトにそう問いかけられたが、コーラルはその質問に答えることもせず、ブルクハルトを一瞥した後、顔を背けた。
「……想定外だったけど、最後にお父様の顔を見られて嬉しかったわ。……さようなら……お父様。二度と会うことはないでしょうね……」
「待てっ! エメラルダ!」
なにかこれから大きなことをしでかそうとするコーラルを止めようと、ブルクハルトじゃ必死になって手を伸ばす。
しかし、その手は決してコーラルに届くことはなく、ただ空を切るだけだった。
ブルクハルトは去って行くコーラルの後ろ姿を見ることしかできず、最後にはその後ろ姿すら見えなくなってしまった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(……そろそろ……いいわね)
ブルクハルトたちから逃げるような形で去り、その姿が完全に見えなくなったところでコーラルはある人物に連絡を取る。
……、……っ。
「グラファ! これはいったいどういうことよ! なぜお父様から目を離したのよ!」
協力者であるグラファとの通信が繋がった途端、コーラルは開口一番で声を上げながらグラファを問い詰める。
『その件でオレに当たるな……。こっちだって予想外の事態で迷惑しているんだぞ。……それで? わざわざ文句を言うために連絡をしに来たんじゃないだろうな?』
「……ええ、もちろんよ。これより作戦を次の段階へ進めるつもりよ。予定と違うけど、大丈夫なんでしょうね?」
『ああ、その点に抜かりはない。標的との距離は離れてしまったが、こっちもその場合のことを考えて特別な移動手段をすでに仕込み済みだ』
「……そう。それならいいのよ」
『それで……いいのか? 本当に殺してしまっても……』
「……ええ。これも私たちのため。すぐに実行しなさい」
『……了解しました。その
コーラルからの命令を受け、グラファは作戦の遂行のために動き出す。
「これでいいのよ……これで。ここから先は私たちの時代よ……」
自分に言い聞かせるように言いながらコーラル自身もやるべきことを遂行するためにグラファとは別に動き出していく。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
コーラルに逃げられてしまい、取り残されてしまったブルクハルトたちはしばらくの間、呆然とコーラルが去っていった方向に目を向けていた。
「――親父っ! いったいなにがあったんだ!」
「……ラ、ラムダ」
すると、海中で魔物と戦っているはずのラムダがいつの間に甲板に上がり、声をかけてきていた。
「海中にいた魔物はどうしたんだ?」
「それならとっくに逃げられたよ。どういうわけか、あんなに暴れていた魔物どもが急に進路を変えてここから離れていったんだよ。親父たちのほうもそんなに呆けていったいなにがあったんだよ? ……そういえばあのローブの女はどこだ?」
「じ、実はだな……」
ブルクハルトはラムダたちと離れてなにがあったのか、その詳細をラムダに伝える。
「――っ! あ、あの女がエメラ――むぐっ!」
「ラムダ! それ以上先は言ってはなりません! 他の者たちにこのことが知られると、全体の士気に関わります」
コーラル=エメラルダだという事実は、家族以外に知らせてはならない。というのが、ブルクハルトたちの見解だった。
数年前に行方不明になったとはいえ、国民からの彼女の支持は絶大なものだった。
そんな中、コーラルの正体が他に漏れてしまうと、ただでさえ士気が落ちているというのに、またさらに落ちる恐れがある。
「そ、そうか……。エメラルダ姉さんの目的はまだわかっていないようだが、もうここには用がないことだし、早く戦場に戻ったほうがいいな」
「それには同感ね。お父様もつらいでしょうが、お母様がやられたいま、この戦いに勝つためにはお父様の力が必要です。どうか私たちを導いてください」
「……ああ。エメラルダのことはこのしょうもない戦いにケリを付けた後にするとしよう。そのときはどこに逃げようとも必ず見つけ出して、引きずり出してやる」
そう言いながらブルクハルトは、コーラルの件を一度頭の隅に追いやり、目の前の戦争のほうへと頭の中を切り替えた。
一度本陣へ戻り、全体の状況確認をするために足を進めようとしたところ、
「お父様! ご無事でしたか」
「……アウラム。なぜお前がここに?」
いままさに、ブルクハルトに代わって本陣の総指揮を任せていたはずのアウラムがブルクハルトたちの前に現れた。
「総指揮の務めを放っておいてなにをしている」
「申し訳ございません。……敵の進行の勢いも衰え、膠着状態が続いて少し余裕ができたので、お父様の応援に来たのですが……」
「……それなら無駄足だったな。こっちはもう終わったところだ。今から、本陣に戻って総指揮を代わろうと思っていたところだ」
「どうやら余計なお世話だったようですね。……あ、そうでした。お父様、ここに来る途中、敵について有力な情報を掴んだのですが……」
「……ほう、なんだ?」
「少し……耳を貸してくれませんか?」
その場では言わず、誰にも聞かれたくないのか、アウラムは耳打ちを要求してきた。
「……時間がないんだ。早くしろ」
ここで拒否することもできるが、そうしている時間も惜しいと思い、素直に従うことにした。
「ありがとうございます。……実は……ですね」
アウラムはブルクハルトのほうへ一歩一歩足を進め、そっとブルクハルトの耳元に顔を近づける。
「……その情報っていうのはですね」
「……っ?」
「…………ここであなたが死ぬということですよ」
ブルクハルトに近づき、アウラムが妙な言葉を発したときにはもう遅かった。アウラムはおもむろに動き出し、どこに隠し持っていたのか、彼の右手には短刀が握られており、その切っ先はブルクハルトの心臓目掛けて向かっていた。
あまりにも殺意がなく、自然すぎる流れで誰もアウラムの行動を気に留める者はいなかった。
(――殺った)
これまで幾度となく暗殺してきたグラファは、長年の勘からこれは確実に殺れる、そう信じていた。
…………そうなるはずだった。
……しかし、
「…………は?」
心臓目がけて放たれた短刀がブルクハルトの心臓に届くことはなかった。
その寸前で、短刀を握っていた腕をブルクハルトの手によって掴まれてしまい、それより先に進むことはできずにいた。
奇襲にも似たグラファの暗殺はブルクハルトの予想だにしなかった行動のせいで失敗に終わったのだった。
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