第207話 剝がれた仮面

「キサマ……いったいどうやって……」


 アウラムは、いま自分の身に起きた出来事に脳の処理が追い付かず、冷や汗までもが彼の額から流れていた。


「質問をしているのはこっちだろうが。俺たちだけならまだしも、実の兄弟にまでこんなマネするなんてどういう神経してんだよ」


「あの紅茶には全部、スリーピー・マンドラゴの体液を混ぜたはずだ。あれを少しでも飲んでしまえば激しい睡魔に襲われ、そいつらのようになるはずなのに……」


 紫音からの質問に一切答えず、アウラムは未だに現状を直視できずにいた。


「睡魔……? マンドラゴ……? ああ、なるほど。それでこういう状況に……」


 アウラムの言葉から状況を把握した紫音は、現実を受け止められずにいるアウラムに向かって言った。


「話から察するにそのマンドラゴは魔物の一種なんだろ? 残念だが俺はそういうのに耐性を持っているからそもそも効かないんだよ」


「な、なにっ!?」


「みんなが次々と倒れていくもんだから、これはなにかあるだろうなと踏んで狸寝入りをして様子を見ていたんだが……まさかそっちから本性を現してくれるとはな」


 紫音の咄嗟の機転により、思いがけない失態をしてしまったようだが、当のアウラムは悔しがる様子を見せず、静かに笑みを浮かべていた。


「……フフフ。正体がバレてしまったのはこの際どうでもいい」


「……っ?」


「お前はさっき言ったよな。耐性があると……。馬鹿馬鹿しい。ただの人種ごときがあれを飲んで眠らないはずがないだろう? 上位種である竜人族が飲んでも眠ってしまうのだぞ」


(……竜人族? ああ、フィリアのことか。他のみんなまで寝てしまうってことはかなり強力な代物なのか。……このおかしな能力があってホント命拾いした)


 紫音の後ろで寝息を立てているフィリアたちを見ながら胸中でほっと安堵した。


「予想外の事態だが……まあいい。実力行使に出るまでだ」


(――来るか!)


 アウラムの発言から瞬時に身構える紫音。

 するとアウラムは、大きく跳躍し、空中で腰に携えていた剣を抜く。


(これで終わらせる!)


 次の瞬間、アウラムの姿がまるで分身でもしたかのように次々と増えていく。

 わずか数秒で、紫音の前方に数十人ものアウラムが出現し、一斉に襲いかかる。


(どうだ? オレの幻術は? オレと同じ気配と魔力が含まれているおかげで、一目見ても見破ることなどできないだろう? オレの本体が分かったとき……それは、お前の体に剣の刃が通ったときだ)


 勝利を確信したまま紫音との距離を縮めていく。

 しかし紫音は、この危機的状況に陥っても取り乱すことなく、じっと前を見つめていた。


「――っ!」


(《フィジカル・ブースト――二重詠唱ダブル》……《両手両足集中》)


 自身の両手と両足に身体強化魔法をかけ、アウラムと同じように跳躍する。

 強化魔法により、段違いに上がったスピードでアウラムよりも先に距離を詰めた紫音は、数十人もいるアウラムの分身体のうち、迷わず一人に狙いを定める。


「――っ!?」


「ハアアァッ!」


 瞬間、紫音が振り上げた拳がまたもやアウラムの頬に放たれた。


「ガハッ!」


 見破られるとは思っていなかったせいか、防御をとることもできずに殴り飛ばされる。


「……まったく、まだこっちの質問に答えてないっていうのに攻撃してきやがって」


 地べたに倒れているアウラムを見ながら紫音は盛大なため息をついた。


「な、なぜだ……」


「……え?」


「オレの幻術を見破れるものなど……いないはず……。ましてや、人種ごときに……」


「……なんだ幻術って? 俺の目にはお前一人で襲いかかってきたように見えた――っ!?」


「なっ!? 幻術が効いていなかったというのか!」


「……いやそれよりも……お前、その顔……」


 ため息をついていた顔から一変、紫音は驚いた顔を見せながらアウラムの顔に指をさしている。

 その指の先には、アウラムの顔の一部が剥がれ落ち、その下にまた別の顔の一部が露出していた。


 アウラムは、露出した顔を手で隠しながら再び笑みを浮かべていた。


「……まさか人種に、オレの変装が解かれるとはな」


「変装……だと? お前、いったい何者だ?」


 紫音の問いかけに対してアウラムを名乗る男は、ゆっくりと立ち上がりながら答える。


「オレは、アトランタ王家より命令を受け、ここオルディスに潜入していたグラファという者だ」


 グラファはそう自分の名を告げた後、アウラムの変装を解き、紫音の前に素顔をさらした。


 切れ長の目に灰色の髪。

 凛々しい顔立ちをしており、変装という名の仮面の下には美形の青年の顔が隠れていた。


「――っ!?」


 しかし紫音の目には、その美形の顔など映っておらず、別のものに目がいっていた。


 まず目に入ったのはグラファの首元、そこには見覚えのある首輪がはめられていた。

 驚くべきことにグラファは、アトランタより派遣された工作員だけでなく、奴隷という身分でもあったようだ。先ほどの「王宮からの命令」という言葉から察するにグラファは王宮が所有する上級奴隷である可能性が高い。


 ディアナたちからの報告の中に上級奴隷の情報が出ていたが、まさかこんなにも内部に入り込んでいるなんて、紫音は思いもよらなかった。


 だが、驚くべきところはそこだけではない。

 首輪の次に紫音の視線は上に移動し、グラファの頭部に目がいく。そこにも見覚えのある角が二本生えている。


 その角は、鬼人族であるヨシツグのように上へと伸びているのではなく、グリゼルの角のように後ろに反り返るように生えていた。


(……こいつ……フィリアやグリゼルと同じ竜人族だったのか!?)


 その見覚えのある角からグラファが竜人族であることが判明した。


「お前……竜人族なのに奴隷でもあったのかよ……? いったいなんで……」


 フィリアやグリゼルという例外はいるものの、基本的に竜人族の国は鎖国国家であり、外界との交流を一切持たない国である。

 それだというのに、グラファは外の世界に出ているうえに奴隷という身分にまで落ちている。ありえない現状に紫音の口から疑問の声が漏れた。


「……フッ、残念だがそう簡単にオレから情報を聞き出せるとは思わないことだな」


「偉そうに……。それで、正体を明かしたってことはお前の目的でも教えてくれる気になったのか?」


「その通り、とでも言っておこうか。オレの変装を解いた褒美に少しだけ話してやろう」


 尊大な口調でグラファは、オルディスに潜入した目的について話し始めた。


「キサマらも感づいているように、いま海底で起きている『呪怨事件』、あれはアトランタの仕業だ」


「……だろうな」


「オレは王宮からの命令を受け、オルディス内部に潜入し、動向を探っていたんだ。『呪怨事件』に対してオルディスはどう動いているのか、呪いの広がり具合とかな。キサマが海龍神の呪いを浄化したと聞いたときは驚いて思わず素が出ちまったよ。海龍神さえ抑えてしまえばこの事件は際限なく広がるはずだったのにそれを解決してしまうのだからな」


「もしかして、俺らの情報もアトランタに流れているのか?」


「簡単に『部外者が介入している』ぐらいしか話していないが、おまえたちの存在もアトランタに漏れているぞ」


 まずいことにオルディスだけでなく、紫音たちアルカディアの動向までもが筒抜け状態になっていたようだ。

 想定外のできごとに紫音は悔しがりながら奥歯を噛み締める。


「……じゃあ、さっきまでいろいろと俺たちについて聞いてきたのも?」


「ああ、そうだ。お前たちから少しでも情報を聞き出すためにこうして対話の場を設けたのだが、まさかエリオットまで来るとは思わなかったが……面倒だ。一緒に消えてもらおう」


「い、いまなんて?」


 聞き捨てられない発言に、紫音は聞き返した。


「話を聞いた結果、計画の支障になる可能性があると判断し、今からおまえたちには別の場所に移動してもらうことに決定した」


「べ、別の場所……だと?」


「安心しろ。オレは人を欺いても殺しはしない。……だが、余計なことをさせないようしばらくの間、その場所にいてもらうことにする」


「俺たちを監禁しようっていう腹積もりか?」


「そう捉えてもらってもけっこうだ」


「そうか……。だが、俺たちを監禁してもいいのか? そんなことをすればリーシアあたりが大騒ぎするんじゃないか? 俺たちはここに来る前にリーシアと会う約束をしていたからな」


 グラファは正体を明かすタイミングを見誤っている。

 つい先ほど、リーシアと別れる前に約束を取り付けていたため、ここで急にいなくなってしまえば誰もが不審に思うだろう。

 下手をすれば、最後に一緒に行動していたグラファが疑われる可能性が高くなる。


「そんなもん、作り話でも聞かせればどうともなる」


「ハア! そんな話でだれが――」


「忘れたのか? 今のオレはオルディスの第一皇子アウラムだ。よそ者と皇子の話、この国はどちらを信じると思う?」


 その話を聞き、紫音はただ黙ることしかできなかった。

 グラファの言うように、紫音たちはこの国からの信頼を十分に獲得することができていない。そのため突然いなくなったとしても、問題にすら上がらないだろう。


「……そういえば、アウラムがお前の変装だってことは、本物のアウラムはどこにいる! まさかお前……」


「さっき言っただろう。殺しはしないって……。別の場所で大人しくしてもらっているだけだ」


「くっ!」


「さあ、話はこれで終わりだ。しびれを切らしたリーシアがここに押しかけてしまう可能性もあることだし、そろそろおまえたちには消えてもらう」


「お前にそんなことができるのか? そんなことを聞かされて、俺がそう簡単に引き下がると思うなよ」


 自慢ではないが、いまの紫音はグラファと戦っても負けることはないだろうと踏んでいた。

 相手が亜人種というだけで紫音は優位に立てる。さらにこの勝負、時間稼ぎをするだけでも勝機はある。時間が経てば眠らされていたフィリアたちが目を覚まし、戦力が増えるため一気に形勢が逆転するからだ。


「大層な自信を持っているようだが、おまえのその希少能力レアスキル? そのカラクリはだいたい分かった」


「……え?」


 意味深な発言を口にしたグラファは、ほくそ笑むように口角を上げた。


「――っ!?」


 不敵な笑みを見せるグラファに警戒する紫音だったが、次の瞬間、驚くべき光景が周囲に広がった。

 床を突き抜けて火柱が何本も上がり始める。

 海底だというのに火の手が上がるという不可思議な現象が紫音の目の前で発生していた。


 しかも不可思議な現象はこれだけではない。陥没したように床に穴が空き、その穴からは底が見えないほどの暗い空間が広がっている。

 まるでそこに落ちたが最後、二度と戻れないと錯覚するほどの穴だった。


「なんだよこれ……。まるで地獄絵図じゃないか……」


「……どうだ? オレの幻術は?」


「……っ!」


 グラファが仕掛けた幻術に紫音はまんまとハマってしまい、額から冷や汗が流れ落ちる。

 その紫音の顔を見たグラファは満足そうに笑って見せた。


「思った通りだ。キサマはどうやら自分に直接作用する効果に耐性があるようだな。マンドラゴも先ほどの幻術もすべてキサマ自身にのみ効果があるものだった。……ならば、キサマだけでなく、その周囲を巻き込めばいいだけの話だ。現にこの空間全体に幻術を施した結果、オレの幻術にハマってしまっているようだしな」


「……この程度で俺が止まると思うなよ。こんなもん無視して直接術者を倒してしまえば……」


「いいのか? 確かに幻術とは言ったが、これがすべて幻とは限らない。もしかしたら本物も混じっているかもしれないな」


「……だったら、避けながら進むまでだ」


「……だがそうなると、後ろのお仲間はいいのかな? 無防備で身動きの取れない状況なんだぞ」


 そう指摘され、思わず紫音は後ろを振り返る。


「……オレから目を離したな」


「え? ……っ!?」


 気付いたときにはもう遅かった。

 紫音たちがいる床、部屋全体に大きな魔法陣が浮かび上がる。


(こ、この術式は……転移系の魔法のたぐいか!)


「キサマの意識が別に言ってくれて助かったよ。さっきからオレを警戒してくれていたせいで下手なマネができなかったが、ようやく発動できる」


「俺たちをどこに飛ばすつもりだ!」


「ほう、これが転移の魔法陣だとよく気付いたな。本当なら全員を眠らせて指定の場所に送らせようと思ったが、イレギュラーのキサマのせいで奥の手を使う羽目になった」


 グラファは、忌々しく紫音を睨みつけながら話を続ける。


「前もってアウラムの部屋に取り付けた転移の魔法陣だが、これは使い捨てだ。一度発動させると、また一から魔法陣を描く必要がある。……まあこれで、邪魔者がいなくなるな――ガァッ!?」


 説明口調で話をしていたグラファに、突然激痛が走った。

 いまもなお痛みが走る腹部に目をやるとそこには、斜めに広がる大きな斬り傷がつけられている。


「……グゥ、キサマ……」


 顔を上げ、前方に目を向けるとこの斬り傷を付けた張本人が立っていた。

 刀を振り下ろし、グラファに睨みを利かせている紫音の姿。グラファの傷は、紫音が放った『飛炎』によってつけられたようだ。


「お前らの思い通りに行くと思うなよ! 俺らは絶対に抜け出して、またお前たちの前に立ち塞がってやる! 首を洗って待っとけ」


 もはや転移を避けることなどできないため、紫音は言いたいことだけ言い残し、その後、フィリアたちとともにアウラムの部屋から消え去ってしまった。


「……あの場所から抜け出すだと? 無駄なことを……。やれるものならやってみるんだな……人種が……いいや、シオン」


 そう言うとグラファは、再びアウラムの姿へと顔を変え、全員が納得するような作り話を考えながら部屋から出ていった。

 部屋を出るとき、アウラムの顔から一瞬だけ嬉しそうな笑みがこぼれ落ちていた。

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