第72話 夜明けの旅立ち

 夜が明け、太陽が昇り始める早朝。

 朝早くにフィリアが住まいとしている家の前で紫音は出立の準備に勤しんでいた。


「保存食に飲み水、ポーションも入れたし……着替えも入っているな。こんなもんか。あとはリースたちが来るのを待つだけだな」


 紫音は、リュックの中に入れた荷物を一つ一つ忘れ物がないか確認していた。


「ふわあぁ、眠いわ。なにもこんな朝早くに出発しなくてもいいじゃないの」


 玄関から出てきたフィリアはまぶたをこすりながら文句を言っていた。


「フィリアがぶっ続けで飛んでくれるならもっと遅くに出発してもいいんだが、そうもいかないだろ。休み休み飛ぶんだからその分、早くに出発した方が時間も短縮できるだろ」


「え? もしかして紫音、休みなしで長時間飛び続けさせるつもりだったの?」


「いや、それはどう考えても無理だろ。仮の話をしたまでだよ」


「そ、そうよね……。それで準備はできたのかしら?」


「いいや。リースたちがまだ来ていないからな。まあ、予定の時間までまだ少し余裕があるからそのうち来るだろ」


 その後、しばらくの間準備をしながらフィリアと雑談を交わしていると、大きな荷物を背負ったリースとレインの姿が見えてきた。


「お兄ちゃん、フィリア様お待たせしました」


「兄貴、フィリア様! 今回の旅では俺たち足手まといにならないように精一杯ガンバリます!」


「お、おう。意気込むのいいけど空回りだけはするなよ。……ああそれと、忘れ物はないよな」


 暑苦しい気合を見せるレインに少々たじろいでしまう紫音。


「は、はい。問題ありません!」


「レイン、少し落ち着いてください」


 気合だけが先行しているレインをリースは気恥ずかしそうにしながら制止していた。


「こちらの準備は完了していますのでいつでも出発できます」


「そ、そうか。とはいってもまだディアナとティナの奴がまだ来ていないんだよな」


「ディアナは知らないけどメルティナだったら荷造りに時間をかかっているみたいよ」


「まあ、ティナの方はそのうち来るだろ。問題はディアナの方なんだよな」


 まだ姿を見せていないディアナについて紫音はある心配事を抱えていた。


「どうしたのよ、そんな顔して……」


「いやな、この前ディアナの奴言っていただろ。国の代行と旅への同行両方請け負うって。どうやるんだろうなって思ってな」


「なにか考えでもあるんでしょう。ディアナったらここ最近、新しい魔法の開発をしていたみたいだから……」


「マジかよ。なんだよそれ、俺知らないぞ」


「そんなの私に言わないでよね。――って、どうやら来たみたいね」


 上空を見上げながらなにかを見つけたフィリアに倣うように紫音も空を見上げるとそこには、


「待たせたの。少々準備に手間取ってしまったわい」


「やっと来たか……ん?」


 空からディアナが降りてくる姿が確認できるのだが、紫音は違和感を覚えていた。上空にはディアナと複数の荷物。そしてディアナとよく似た姿がもう一つ紫音の目に映っていた。


「お、おい……ディアナ?」


「なんじゃ、紫音。儂の顔に何かついておるのか? ……ああそうか、此奴こやつのことじゃな」


 そう言いながらディアナは自分の隣にいるディアナによく似た人物を指差していた。それはまるで鏡でも見ているかのように瓜二つであり、まったく見分けがつかないほどよく似ていた。


「あらディアナ、もしかして新しい魔法ってそれのこと?」


「そうじゃよ。魔力を媒介として自分の分身を作り出す魔法の開発に成功したんじゃよ。どうじゃ、すごいじゃろう」


 自信満々に胸を張るディアナに対してここにいる一同は激しく同意していた。


「それにしてもすごいな。まるで双子だな。こいつも本体みたいに魔法とか使えるのか?」


「もちろんじゃよ」


「うわぁ! びっくりした……喋れんのかよ」


「あたりまえじゃ! 分身とはいえ会話ぐらいできるわい。それに魔法も本体と同じように出すこともできるぞ」


 数々の強力な魔法を覚えているディアナがもう一人いるとなればかなりの戦力の増強になるな、と分身のほうのディアナを見ながら紫音はそう考えていた。


「しかし、気を付けるんじゃぞ。そいつは儂があらかじめ用意した魔力で動いているようなもんじゃからな、分身に蓄えている魔力が尽きれば消えてしまうからあまり酷使させるなよ」


「そうなのか。それなら分身をここに残して本体の方に同行してもらいたいんだが……」


「無茶を言うな。儂ら森妖精族というのは守護する森を離れられない決まりなんじゃよ。しかしこの分身であれば自由に外でも行動できる。……儂も二年前のときのように後悔したくないからの」


(そうか、ディアナのそうだったんだ)


 二年前、フィリアの危機に森妖精族の制約のせいで駆けつけることができなかったことに対してディアナは悔いていたようだ。

 おそらくこの分身もそのことが原因で開発に取り掛かっていたのだろう。紫音はディアナの憂いた顔を見ながら推測していた。


「ちなみにこの分身だがどれくらい持つんだ? 最悪の場合ディアナにも戦闘に参加させたいんだが……」


「安心せい。それも考慮しており。一応、維持だけで一ヶ月ほど、戦闘は精々二回が限度じゃな」


「それじゃああまりディアナを頼ることはできないようだな」


「兄貴、その分俺らがガンバリます!」


「そうだな。ディアナは最後の切り札ってところだな」


 分身のディアナの扱いが決定している中、フィリアは不思議そうな子をしながらある一点を見つめていた。


「ね、ねえ。ディアナが持ってきたあの大きな籠はなにかしら?」


 フィリアが指を差す方向には人が数人は入れそうなくらい大きな籠がディアナの後ろに置いてあった。


「そういえばフィリアにはまだ言っていなかったな。俺たちあれの中に入っているからフィリアはあの籠を首から下げて飛んでくれ」


「…………は?」


 よく見ればその籠には丈夫で大きな縄が通されており、竜化したフィリアの首にかけられるほどだった。


「い、イヤよ! なんでこの私があんな籠を首にかけながら飛ばなきゃいけないのよ! 竜人族の誇りにかけてそんなの絶対に許さないわ。大体、私の背中に乗ればそれで問題ないはずよ」


「無理に決まっているだろ。少しならまだしも風が吹く中、何時間もお前の背中にしがみつけるわけないだろ。ノーザンレードに行くときだって休み休み行っているの忘れたのか」


「で、でも……」


「それにこの籠は風も通さないし、首をかける部分も丈夫にしたから落下する心配もない。安全にエルヴバルムに行くにはこれが最適なんだよ」


「うぅ……そ、それでも竜人族としてこんなカッコ悪い姿で空なんか飛びたくないんだけど……」


 紫音の説得もむなしくなかなか折れてはくれないフィリア。このままでは出発自体難しくなりそうなので紫音はあることを告げることにした。


「それは残念だな」


「なにがよ?」


「この籠な……国民たちが寝る間も惜しんでせっせと編み込んだ籠なんだよ。ついさっきできたって言うからディアナに運んでもらったものなんだよ。俺たちが一世一代の大仕事に行ってくるもんだからみんなも気合を入れていたな」


「……うっ」


「国民たちが俺たちのために作ったものを国王のお前は無下にできるのか?」


「…………わ、分かったわよ。そこまで言われたらその籠ごと運んでやろうじゃないのよ」


 紫音の説得のおかげでどうにかフィリアも納得してくれたようだった。そんな中、紫音の後ろではレインとリースがひそひそとフィリアには聞こえないように会話を交わしていた。


「なあ姉ちゃん、確かあれって一ヶ月も前に完成していたやつだよな。……それに兄貴、寝る間も惜しんでって言っていたけどちゃんと休憩を取りながら作業している様子だったけど」


「シッ! レイン、あの場はああでも言わないとフィリア様が首を縦に振ってくれないでしょう。ウソも方便ってやつよ」


「なるほど……さすが兄貴だな」


 そんな会話が行われているとは知らないフィリアは少しばかり嬉しそうな顔を見せながら籠を眺めている。

 ウソをついてしまい、心苦しい気もあるが、こんなことで時間を割くわけにもいかない紫音は気持ちを切り替えることにした。


「お嬢ぉぉ! お嬢っ!」


 突然、森のほうから聞き覚えのある声がこだまのように何度も同じ単語を繰り返し言いながら近づいている。

 少ししてからジンガが森の中から姿を現した。


「あらジンガ? 一体どうしたのよ」


「お、お嬢……。そんな冷たい言い方。そろそろ時間なのでオレはお嬢をお見送りに来たんですよ」


「そう、ご苦労様。でもまだ全員揃っていないのよね」


「そうなのですか?」


「ああ、まだティナの準備ができていないんだよ」


「……ん。紫音、どうやら来たようじゃよ」


「え?」


 ディアナの言葉に対して咄嗟に玄関の方に目を向けると、まるでタイミングを見計らったように扉が開いた。


「お、お待たせいたしました」


 ローブ姿に荷物と弓矢を背負ったメルティナが申し訳なさそうに頭を下げながら現れる。


「ようやく来たわね。さっさと全員その籠に入りなさい」


 いつの間にか竜化したフィリアは籠に取りつけられている縄を首にかけ、準備万端の状態だった。

 そしてフィリアの呼びかけに応じるようにディアナたちが籠の中に入っていく。


「ごめんなさい、私のせいで。シオンさんも早く行きましょう」


「ああ。……その前にティナ覚悟はできているんだな」


「え……? は、はい、あの日シオンさんと話したときから覚悟はできています」


「そうか。でも俺としては嬉しいよ。俺たちの依頼を聞いてくれて」


 あの日、夜に呼び出された紫音はメルティナから依頼を受けるという答えを聞かされた。なんでも紫音たちには恩義があるということで国王との謁見の場を設けてくれるとのことだった。


「私にできることはお父様と話し合う場を提供するだけです。後はシオンさんたちの頑張り次第です。で、でも……もしもそれすらできなかったら本当に申し訳ございません」


「前にも言っただろその時はその時だって。ティナが気負うことじゃないよ」


「シ、シオンさん……」


「引き留めて悪かったな。それじゃあ行こうか」


「はい」


 その後、籠の中に紫音とメルティナも加わりようやく乗組員が揃ったところで今まさに飛び立とうとしていた。


「ジンガ、ディアナ! 後のことは頼んだ!」


「私たちが留守の間、国は任せたわよ」


「うむ、行ってくるがよい。まあ、状況は分身を通して通信ができるようにしておいたからなにかあったら分身を通して連絡するからの」


「お嬢行ってらっしゃいませ! おい、小僧! お前の命に代えてもお嬢の命は守れよ」


「ああ、任せろ。それじゃあフィリア行ってくれ」


「しっかり捕まりなさいよ」


 バサッと翼を広げる音を出しながら勢いよく跳躍した。みるみるうちに地面から離れていき、フィリアたちは今大空を飛んでいた。


「目指すはエルヴバルム! そこにはドラゴンもいるみたいだからついでにそいつとも会ってみたいな」


「それもいいわね。私もメルティナの話を聞いてから実は気になっていたのよね」


「シ、シオンさんにフィリアさん!? 目的忘れていませんよね!」


 紫音たち一行は緊張感を持たないまままるで観光でも行くような気分でエルヴバルムに向かっていた。

 そして紫音たちはこの旅で新たな出会いと事件に巻き込まわれることになるのだが、このときの紫音たちにはまだ知る由もなかった。

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