第61話 悪夢からの目覚め

 少女はあの日以来、地獄のような日々を送っていた。


 自分に付き従うものに守られながら抵抗もできずに故郷を襲った犯人に連れ去られる無力な自分に。

 同胞が次々に奴隷として売られていき、散り散りになっていくというのに何もできずにただ見ているだけの情けない自分に。

 奴隷となった今でも変わることも逃げ出すこともできず、ただただあの牢屋で過ごす毎日を送る空虚な自分に。


 少女は嘆き悔やんでいた。

 自分自身を責める毎日、もっと自分に力があればという無力さに少女はずっと涙を流していた。


 しかし、それはもう過ぎてしまったこと。自分を責めても戻ることのない現実。助けを呼んでも誰も助けてはくれない。


 ――そう少女は、ただの無能なお姫様。


「はっ!?」


 何の前触れもなく少女は夢の中から現実へと引き戻される。


「……はあ……はあ……」


 少女はいつも見る悪夢から目を覚ますと、ぐっしょりと寝汗をかいていることに気付き、気持ち悪い感覚に襲われる。


(……あ、あれ? そういえばここは……どこ?)


 夢から醒めた少女は次に周囲の変化に気付き始めた。

 真上から見える光景は石造りの牢屋の天井ではなく、木造の天井が見えていた。


「うぅ……くぅ……」


 大分体が弱っていたためか起き上がるのにも一苦労だった。しかしその甲斐あってようやく周辺を見渡すことができた。


「ここは……いつもの牢屋……じゃない? なんでこんなところに……うっ、なにも……思い出せない」


 ろくに食事もとっておらず、衰弱していたためつい最近の記憶さえ曖昧になっていた。

 木造の部屋にベッドが置かれているだけの簡素な部屋。しかしそんな部屋にどこか温かい雰囲気を少女は不思議と感じていた。


「私は確か……あの牢屋に奴隷として入っていて…………って、あれっ!? 首輪が……ない?」


 奴隷の証とも言える首輪に触れようと首に手を当ててみると、そこには鉄のひんやりと硬い感触がなかった。

 どういうわけか、首輪が外れている。


「……な、なんで? ――っ!? だれか来る」


 ふと、部屋の向こう側に目を向けた少女は姿を捉えていた。


(数は三人。……え? ひ、一人は見たことないほどの魔力量。あとは魔力がほとんどないのが見えるけどこれは獣人族に見られる魔力に似ている。……最後は平均並みの。二人と比べると変わったところがないように見えないけど)


 少女が部屋の向こうにいる存在を観察していると、それは少女がいる部屋の前に止まった。


(く、来る……。首輪がないなら逃げる手も……。で、でも逃げて捕まったらお仕置きされるかも。……うう、もういや……。いたいのもくるしいのも)


 逃げることも考えた少女だが、それよりも奴隷であった日々を思い出してしまい、そこでひどい目に遭ったせいで逃げる勇気が出なかった。


「……おっ、なんだ目が覚めていたのか」


 少女がオロオロとしている間に部屋の中に侵入してきたのは紫音だった。続けて後方に控えていたディアナとリースも紫音に続くように少女の部屋に入っていく。


「き、きゃああああっ!」


 なにをされるか分からない恐怖と少女の性格も相まって少女は怯えてしまっていた。


「……吐いた次は悲鳴って、本当に厄介なもの押し付けられたな」


「お兄ちゃん! 女の子に向かってその言い方はないですよ!」


 紫音の発言に少しムッとしたリースはまるで子どもを叱るかのように言った。

 叱られた紫音は、さすがに悪いと思ったのか、頭を掻きながらごめんと誤る。


「それで、調子はどうだ。三日も寝たきりだったから心配したぞ」


「イ、イヤ……」


 少女はまたもや怯えていた。紫音が話しながらこっちへと歩いてきているせいだった。奴隷時代の嫌な記憶のせいという理由もあるが、その他にも少女の内面に抱えている問題のほうが大きいかった。


「それとだな……落ち着いてからでいいんだが、お前に話しておきたい――」


「こ、来ないでください!」


 少女の防衛本能が目覚めたのか、咄嗟に手を紫音に向け、風魔法の《ウインド・エッジ》が無詠唱で発動された。


「っ!?」


 刃のような形を模した風がくうを切りながら紫音に迫る。

 その威力は大木ですら簡単に切り倒されるほどであったが、


「…………え?」


 少女が放った魔法は紫音に直撃すると同時に霧散した。

 紫音の右頬に小さな切り傷ができるだけで大した被害にはならなかった。


(ど、どうして? 私の魔法は確かにあの人に直撃したはず。……それなのにあんな小さな傷だけですむなんて……)


 今の光景に少女は驚きを隠せずにいた。まるで少女の魔法が紫音によってかき消されたかのように見えていた。


「……ああ、あの……ごめんなさいごめんなさい。もうしませんからいたいのはやめてください」


 今さらになって自分がしたことの問題に気付いた。紫音の特異な能力がなければ本来、重体に陥っていた可能性があった。それはまさしく反逆を示す行為。


 また奴隷の日々のようにお仕置きをされると思った少女は毛布を手に取り、体全体を包むように被るとその中でずっと謝罪の言葉を述べていた。


「お、おい……」


 その姿にさすがの紫音も困惑していた。

 助けを求めようとディアナたちを見るが、助け舟を出してくれる様子もない。仕方ないと、小さくため息をつきながら紫音は少女に声をかけた。


「俺は全然気にしていないから大丈夫だよ。だから顔だけでも見せてくれないかな」


「…………ほ、ほんとうですか?」


 長い沈黙の後、紫音の言葉に疑いを感じながらもひょこっと顔だけを毛布から出してくれた。


「本当だよ。それと、お前の容態もみたいからそっちに行ってもいいかな」


 そう言いながら紫音は少しずつ前へと少女の元へと歩みを進める。


「うっ……」


 慎重に進めた歩みも少女の吐き気を催す声を聞いた途端、その足を止めた。


(ここまでか……)


 紫音の立ち位置と少女との間の距離は測りながらこの辺りが限界だと理解した。モリッツから聞いた話では半信半疑だったが、先日紫音が実際に経験したこととこの反応を見て確信へと変わった。


「お前、やっぱり極度の人見知りなんだな」


「……えっ? なんでそのことを……」


「いや、お前のところにいた奴隷商からいろいろ話は聞いていたし、それにその……実際にお前に近づくとどうなるか身をもって知ってしまったしな」


「……っ? ……………………あっ!?」


 長い沈黙の後、ようやく少女は紫音の言葉の意味を理解した。


「も、もももしかして、私失礼なことしちゃいましたか?」


「……まあ、盛大にぶちまけられたからな」


「ごめんなさいごめんなさい! 私ったらまた粗相をしてしまったようで、い、痛いのはいやですけどそれ以外でしたらなんでもしていいのでどうか許してください!」


 自分がしでかした失態に責任を感じた少女は紫音に泣いて懇談していた。しかし紫音はそういうことが望みで言ったわけでもないため慌てて弁解する。


「おい待て! そういうことを軽々しく言うな。そのことはもう終わったことなんだからもう気にするな」


「え……? あ、ありがとうございます。……あ、あれ? そういえば、あなたのほかにもう1人いたと思うんですが、その方は?」


「ん? お前、あのときの記憶残っているのか?」


「はい……。まだ曖昧ですが、確かあの場には二人いたような気がして」


「そうなのか。確かに俺の他にもう一人いたよ。まあ、そいつは人の不幸を笑ったからこの前お仕置きしてやったけどな」


「お、お仕置き!? や、やっぱりされるんですか?」


「わああっ! 大丈夫だから! お前にはそんなことしないから安心しろ。お前はもう奴隷でも何でもないんだからよ」


 不用意に口にしたことが少女の不安を駆り立ててしまったため紫音は取り繕いながら少女を宥める。


「奴隷……。そういえば首輪はどうして?」


「その話はあとだ。その前にお前の容態を確認したい」


 そう言いながら紫音はディアナのほうに目を向けながら続ける。


「ディアナ、この位置から容態を見ることってできるか? これ以上行くと、また発作が起きるかもしれないからさ」


 紫音が立っている位置を指差しながら尋ねる。


「それなら心配無用じゃから安心せい。それに、つい昨日まで直に触れて調べたからの。その時は回復傾向に向かっておったから心配いらんじゃろうよ」


「そういえばそうだったな。それじゃあ改めて頼む」


 頼まれたディアナは、紫音と立ち位置を変わりながら少女の検査を行った。

 その間紫音は、少女の様子を観察することにした。


 少女を買ったその日からリースたちに世話を頼み、体を洗せたり、治癒魔法をかけさせたりしてきた。そのおかげで少女の顔色もすっかり良くなっていた。

 ぼさぼさだった髪の毛もフィリアたち女性陣の力によって手入れの行き届いたきめ細かなきれいな髪へと変貌を遂げていた。


 伸びきった髪もこの際切ってしまおうと紫音は提案してみたが、それに関しては断固拒否された。リースから髪は女の命でもあるから本人に決めさせようという強い要望を受け、そのままにしておくことにした。


 そのせいで、今も少女の髪の毛は伸びた状態になっており、相変わらず目を覆うほどの前髪があるため少女の素顔があまり把握できていなかった。

 見えるのは、前髪の隙間からチラチラと見える碧眼の瞳とエルフ族特有の尖った長い耳だけだった。


「紫音、終わったぞ。経過は良好じゃよ。まあ、体力はまだ落ちているから歩けるまでには時間がかかるが大丈夫じゃろ」


 そうこうしているうちにディアナの検査が終わったようだ。容態に異変がない会ことを知った紫音はほっと胸をなでおろした。


 そして紫音はディアナと入れ替わるように少女に近づき、目線を合わせながら話しかける。


「検査も終わったところで自己紹介しようか?」


「……は、はい」


 突然の申し出に少女は首を傾げた。


「お前の全快のためにももう少しここにいてもらう必要があるからな。お互いの名前くらいしたほうがいいだろう」


「あ、はい。そうですね」


「俺の名前は天羽紫音……人間だ。あっちの犬耳の女の子は獣人族のリース。そしてさっきお前を診ていたのは森妖精のディアナだ」


 淡々と紫音たちの自己紹介を行っているが、少女はその異常さに気付き始めていた。


(人間に獣人族に森妖精? なぜそんな異なる種族が一緒に? それにだれも首輪なんかつけていないし、この人が飼い主じゃないの? ……いったいここはどこなの?)


 紫音たちの様子から察するに共存しているように見えるその光景に少女は自分の目を疑っていた。


「わ、私は……」


 少女が自分の名前を言おうとするが、その前にあることを考えてしまい、言葉を詰まらせてしまった。


(ここで私の正体を明かしてもいいのかな? この人たちが私のことをどこまで知っているのかわからないけど……この人たちを信用して身分を明かしてもいいのかしら? ……で、でも)


 少女はこれまでのことを思い返していた。どこに買われてもひどい目に遭うだけの毎日。痛いのも苦しいのもお腹を空かせる毎日。

 しかし今はどうだろうか。目の前にいる人たちの計らいで柔らかいベッドが用意され、体調も以前よりもよくなっているのが実感できる。


 そして他のところとは違う暖かな雰囲気にどこか安心感を覚えていた。警戒心がまだ解けないでいるが、少女はここまでしてくれた恩返しという形で少しだけ信用することに決めた。


「私の名前は、メルティナ・エルフィン・シュベルト。エルフ族の住む国――エルヴバルムの第二王女です。ティナと呼んでください」


 元奴隷の少女改めメルティナは毛布にくるまりながら紫音たちに挨拶を交わした。それに対して紫音は、穏やかな笑みを浮かべながらよろしくと頭を下げた。


「さて、自己紹介も終わったことだし次に行っても大丈夫かティナ?」


「ひゃ、ひゃいっ! だ、大丈夫です」


 自分から言ったことだが家族以外の男性に言われ、途端に気恥ずかしくなってしまった。そんなメルティナのことなどお構いなしに紫音は話を続けた。


「その前にお前、家に帰りたくないか?」


「そ、それはもちろん……帰れるなら今すぐそうしたいですけど」


 当然メルティナは、そのことを強く望んでいたため素直に頷きながら言った。


「それなら仕事の話でもしようか?」


「し、しごと……ですか?」


 突然意味の分からないことを言われ、メルティナは呆然としていたが紫音のほうは大真面目な顔をしていた。


 そしてこの後、アルカディアの命運を分ける話へと進んでいく。

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