亜人至上主義の魔物使い
栗原愁
第1章 異世界転移編
第1話 天羽紫音の人生
もう死のう。
扉を開けると錆びついた鉄の音が響き、ブワッと冷たい夜風が紫音の体を襲った。
屋上は四方八方をフェンスで覆われており、まだ春とはいえ夜のせいで寒く、ひんやりとした風が微かに吹いていた。
そんな夜の屋上の中を一歩一歩、着実にフェンスの向こうへと歩いていた。
それにしてもうまく忍び込めたと、紫音は少し唇に笑みを浮かべていた。
本来、屋上は立入禁止と書かれていたテープが貼られており、誰も近寄らない場所だった。
しかし、このテープを見る限りしっかりと施錠されていると思いきや、実際は屋上に続く扉の鍵は壊れており、簡単に開くことができる。
なんとも杜撰な管理をしているものだと呆れながらも今の紫音にとっては逆に都合がいい。
紫音がこんな夜中に屋上へ来た理由はもちろん、死ぬためであった。
人へのどうしようもない憤りや不条理なところに常日頃から嫌気が差していた。
そもそも紫音自身、生まれてくる家族や環境が間違っていたのではないかと本気で考えるほど不遇な人生を歩んでいた。
両親はともに競馬やパチンコといった大のギャンブル好きで家庭を顧みない親だった。そのため貧乏な生活を送り、ギャンブルに負ければ、腹いせに紫音を殴り、酒に溺れては紫音を蹴るなどする最低な親だった。
そんな家庭環境のもと、早々に両親を見限った紫音は、バイトをしながらお金を貯めて一日でも早く両親のもとから離れようと日々、お金を稼ぎ続けていた。
しかし彼の悲劇はこれだけではなかった。
紫音が通っていた高校は、入学試験を含めテストの際に上位の成績を収めていれば学費が免除となる高校であり、彼自身、入学試験及びテストの際には常に一位の順位を保ち続け、学費を免除ずるほど頭の方は良かった。
しかし、彼の家庭環境の中でこの成績ということでや嫉妬するものがいた。
その人物は不幸なことに紫音が通う高校の理事長の息子であった。この生徒は、クラス中を巻き込み、紫音を目の敵にするようになる。理事長の息子だったせいで教師は口を挟めず、彼がクラスの中でリーダー格だったためクラスメイトも彼に従うように紫音に執拗な嫌がらせを繰り返していた。
人間の中でもこういう奴らは本当に腹が立つ。自分たちがやっていることに疑問に思っていない。ただ力の強い奴、権力のある奴に従い、弱い者を虐げるだけの肉人形と化す。
この精神が侵されるような二つの生活が長く続く中、紫音は歯を食いしばりながら我慢していた。
そんな彼にも一つだけ心が安らぐ場所があった。
学校の通学路にある人気のない古い神社。そこの軒下にこっそりと飼っていた白と黒の野良犬二匹が紫音にとっての精神安定剤だった。活発に動く黒犬に大人しく恥ずかしがりやな白猫。そんな2匹との触れ合いを通していつしか紫音に癒しを与えてくれた。
人間に嫌気が差したから動物に逃げるというなんともありきたりな話だが、その時の紫音にはそれしか日々を乗り越える手段がなかった。半年前に出会った二匹の犬ために生活費や独り立ちするときの貯金から犬用の餌を与え続けてきた。
誰にも飼われていない野良犬だったせいか、一度餌をやると次の日もその次の日も神社にその犬たちは紫音のことを待っていた。
始めは本当に単なる気まぐれで与えた行為だったが、今となっては紫音の習慣となり、同時に癒やしの存在ともなっていた。
しかし、そんな日も長く続かなかった。
紫音が野良犬と毎日のように戯れていた光景を不幸にも紫音を目の敵にしていたリーダー格の生徒に見つかってしまった。これに対して面白くないと感じた彼は、不敵な笑みを浮かべながらある行動に移す。
紫音がいつものように餌を片手に神社へと立ち寄ると、そこには信じられない光景が映った。
耳は削ぎ落とされ、体中を切り刻まれ、血溜まりの中にぐったりと横たわっている2匹の姿であった。
紫音は
そして獣のように泣き叫び、大好きだったその犬の亡骸を抱きかかえた。
なぜこんな目に、誰がこんなことを、怒り狂う中、頭の中で考えを巡らせていたが、その場には犯人の特定に繋がるようなものは何一つとして見つからなかった。
しかしその次の日、紫音を悩ませていた事件はあっさりと解決へと至った。
気持ちが沈んだまま登校した紫音をリーダー格の生徒とその取り巻きたちがにやにやと下卑た笑みを浮かべながら紫音を見ていた。
いつもの他愛もない嫌がらせだと思い、そのまま無視を決め込み、素通りしようとした瞬間、リーダー格の生徒にあることを言われた。
「貧乏人のクズが調子に乗りやがって、あの糞犬のようになりたくなかったらせいぜい馬車馬のように働くんだな」
その発言で犯人はこいつだと紫音は一瞬で理解した。
あまり怒りは感じなかった。ただその言葉を聞いた瞬間、頭がすうっと真っ白になり、気づいたらその生徒に殴りかかっていた。
マウントポジションを取り、一発、二発、三発、無心になりながらそのムカつく顔に向かって拳を振り下ろしていた。
取り巻きの生徒に取り押さえられそうになったが、噛み付くか、そいつらにも殴り掛かることで振りほどき、またリーダー格の生徒に襲いかかる。途中、「もう……やめて…くれ」などという情けない声が聞こえたような気がしたが、そんなものはお構いなしに気が済むまで殴っていた。
ハアハアと肩で息をするほどの息切れを起こす中、紫音は彼の顔を見下ろしていた。
顔は血まみれ、殴ったことで顔は腫れ上がり、ぐったりと気絶している。自分の中ではまだまだ物足りなかったがひとまずこれで報復を成し遂げたと感じた紫音はざまあみろという意味を込めてそっと笑みを浮かべていた。
そうしていると、教師陣が何事かと教室に入ってきた。もう少し早く来ていればお前らの大事な理事長のご子息様は傷つかずに済んだのに何とも遅い登場だと、教師の対応に嘆いた紫音はこれから起こるであろう教師たちに捕縛されるという未来を回避するために脱兎のごとく教室から逃げた。
教師人もまだ状況が把握できず困惑していたせいか、教室から逃げるのことなど容易なことだった。
それから場所を転々としながら夜が更けるのを待つと、学校の屋上へと向かい、今に至る。
フェンスへと向かっている紫音はすでに精神的にも体力的にもボロボロだった。いつも死を望んでいたがなかなかきっかけがなく今日までみっともなく生きてきたが、今日のことでようやくきっかけが見つかり、人生を終わらせる覚悟ができた。
そうこうしているうちにいつの間にかフェンスを飛び越え、あと一歩足を前に出せば、そのまま地上へと落下する位置まで来ていた。
「ようやく開放される……」
そう紫音の口から漏れた言葉からはこれから死ぬという恐怖心よりも安堵の表情が見られる。
ただ一つ心残りなのは、彼の人生を苦しめた人間の存在だった。しかし紫音一人だけではどうにもできず、せめてこの先、あいつらに不幸が訪れますようにとそんなことを願うだけにしておいた。
人生の別れを告げ、いざ来世への第一歩を踏み出し、紫音は屋上から消えていった。
――せめて次の人生は幸福だと願って。
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