第125話 安全地帯は作るしかない

 庭に張ったテントは、以前に小屋を作る前に芽衣が使っていたものであり、そこに寝袋を使って鷺花は一夜を明かした。翌日からは農作業の手伝いを軽くやったり、周辺の見回りや山の中の調査などを行い、その八割は口喧嘩だった。

 そして夜、二十三時を過ぎた頃、そろそろたき火を消すかと思って、自然鎮火を待っていたら、がちゃりと玄関が開いてジニーが顔を見せる。

「どうした師匠。老人はトイレが近くなると聞いたが、それか?」

「そこまで齢を積み重ねちゃいねえよ。鷺城は?」

「テントの中だ」

「そうか」

 欠伸を一つしながら出て来たジニーは、その流れ作業でテントを蹴り飛ばした。

「――ちょっ、ちょっとなに!?」

「なに、じゃねえよ馬鹿。俺が出てくるのを気配で掴んで顔を見せろ」

 もそもそとテントから出てきた鷺花は、一体なんなのよと口を尖らせていた。

「ジニーの気配は掴みにくいのよ」

「言い訳どうも。そんな鷺城に朗報がある。俺は結構優しくて甘いから、初回の本格的な戦闘訓練ってこともあって――八時間の設定にしてやった。ほれ、感謝の言葉を口にしろ」

「そういう言い方が朝霧そっくり!」

「馬鹿な、何を言っている。私は師匠ほど口が悪くはない」

「鏡見て言えよ芽衣、お前の方がよっぽどだ」

「あーもう……で、なんだって?」

「今から八時間、つまり明日の七時まで戦闘訓練だ。事前に告知していたよう、D山デルタを使ってのものになる」

「私眠いんだけど?」

「そりゃ芽衣だって同じだ。戦闘中に寝ろ。それができないなら、戦場で敵さんに対して、今から寝ますので攻撃しないでくださいって頭でも下げてみるんだな」

「あーもう! はいはいわかりました!」

「一応、繰り返しておく。殺すな、殺されるな。んで、俺が止めろと言ったら止めろ。さて、サーヴィスの続きだ鷺城、先逃げと後追い、どっちにする?」

「言葉が気に入らないけど、先逃げで。十五分ちょうだい」

「いいだろう、十分後に徒歩で向かわせる」

「ん」

「ああ待て――俺の目を飛ばすが、消すなよ」

「はいはい。以上?」

「以上だ」

 すぐに、鷺花は空間転移ステップの術式で消えた。

「――どうだ、芽衣」

「まだわからん。だが、底知れない女だ……」

「その底を覗き見た、そう感じたらこう思え。そこが始まりだってな」

「それは期待しろと?」

「ああ、そうだ。癪な話だが、鷺城には期待していい。どこまでもお前を殺してくれる。だからお前も、せいぜい殺してやれ」

「うむ」

「……はしゃぐなよ」

「なにを言っている?」

「いい、時間だ行け」

「そうしよう」

 気付いていないのだ、このガキは。

 さっきからずっと――口元には消せない笑みが浮かんでいるのに、自覚がない。

 だが、その原因は自分にあるのだと、ジニーはわかっている。今まで、あまり人に触れなかった反動と、楽しみ方を教えたせいだ。

「さてと」

 さすがに現場を動きながら観客に徹するほど、躰は動かないし、邪魔になる。だから、視界そのものを飛ばす。

「リズィ、頼む」

 白色のワンピース姿の女性が、ジニーの背後に現れた。頬にキスをされたので、軽く頭を撫でてやれば、重力を無視するよう飛び上がり、山へと消えた。

 憑依ドレスコートと呼ばれる術式の本質はどこだろうか。

 最初、ジニーが扱っていたのは物質へ憑依することでの同化だ。これを簡単に言ってしまえば、見ている者にとっては物質透過の現象として映っただろう。つまり、障害物そのものに自身を同化することで、同じものであればこそ、躰がぶつかることもない。窓ガラスだとて、そこにあるだけで、ぶつかるのは〝人〟だからだ。ガラスは自分に向かってガラスをぶつけることなど、ありはしないのだから。

 つまり、何かしらの対象に己を移すからこその憑依。そこからジニーが使い始めたのは、己の感覚の移行である。

 たとえば――。

 弾丸に〝眼〟を乗せれば、それだけで飛距離ぶんの視覚情報を得られる。相手が絞ろうとしている引き金を見て、その指に己の指を憑依させれば、発砲を防げる。

 そういった小さなものの積み重ね。こっそりと隙を縫うようにして術式を使い、戦況を変えていく。


 ――そして〝彼女〟の死を前にして、その可能性を実行した。


 自分の感覚を憑依させたのならば、五体満足の自分に欠けが生じることは不利に繋がる。であれば、たとえば影複具現魔術トリニティマーブルと呼ばれるもののよう、自分の魂魄を利用してもう一人の己を創りだす方法なども、模索していた。

 ああだが、もっと簡単な方法がある。

 誰かを、自分に憑依させてしまえばいい。

 その発想は死霊操傀術式ネクロマンスと呼ばれるものに近く、忌み嫌われ禁じられたもの。どうして? 死者をいたずらに操るから? ああ否だ、断じて否――倫理も当然だがそれ以上に、何よりも、その術式は

 生きている者に特定の因子を仕込むだけで、死した後もリビングデットのように歩き回る。意のままに、核を潰されるまでは屍体のまま、命令に従ってなんでもやる。だからこそ、未だに核兵器が二次大戦以降使われていないよう、戒めとして使わないことが暗黙の諒解ルールであった。

 きっと、ジニーの選択は、それに限りなく近かったのだろう。

 そもそも、憑依させたところで、生きているとは言えない。肉体はなく、それこそ幽霊のように、曖昧な存在のまま、けれどジニーの片割れとして、好き勝手使われることが決定されているようなもの。


 ――なにより。

 死に行く者を前に、その摂理を曲げようなど、言語道断。


 生きていて欲しい、そんな生者の言い訳。生きたい、それが死者の本音。けれど、死なせないのはただのエゴ。

 全てを飲み込んで、ジニーは彼女を、己に憑依させた。

 謝罪はしなかった、責任が薄れるから。彼女は責めもしなかった、自分は死者だと認めたから。

 そうして、リズィと呼ばれる存在が、ジニーの片割れとして、できあがったのだ。

「ま、もう三十年以上前の話だ……」

 今でも、お互いのスタンスはそれほど変わっていないが、一人でいる時の話し相手にはなる。

 意識せずともリズィの視覚情報を視認することができる。戦闘はもう始まっているようで、図式としては術式を複数展開する鷺花に、芽衣が対していた。順当な流れだったので、しばらく様子見をしていたが、立ち上がるのと同時に視界を切った。何かあればリズィの方から声をかけてくるはずだ。

 さてと、倉庫脇に詰んであったシートを剥し、いくつかの荷物を取り出す。庭の隅に設置するのは、まず六つの支柱。その上に厚いシートを乗せて紐で縛れば、天幕の完成だ。そこにテーブルを設置し、医療品の入った箱を乗せていく。就寝用のテントは、本人が来てからで問題ないだろう。

『うふふ、芽衣ちゃんやるぅ』

「――ん? なんかあったか?」

 脳内に響くのではなく、耳元で話しているような感覚で伝わってくるリズィの言葉に、ジニーもまた、そのまま言葉を口に出して伝える。

『なんも。ただ若い子の成長って、面白い』

「成長ねえ。どうだかな、まだまだひよっこで目が離せねえ」

『今くらいの時期が、一番危ないものねえ。これくらいならできて当然って顔のまま、あっさりくたばっちゃうから』

「……まだまだ甘いってことを、俺が教えてやれりゃいいんだけどな」

『うん。ジニー、だいぶ衰えた』

「はっきり言うなよ。確かに今なら、一度か二度くらいなら戦闘もできるだろうが――思考そのものに躰が追いついてこねえ。常時、お前の手伝いが必要になる」

『うっわ、それめんど!』

「言ってろ。んなことよりそっち、よく見てろよ」

『だいじょうぶだって。気付かれないようにしてるから、一応』

「おう」

 そして、声はぴたりと止み、山の方で騒がしい物音が響く。

 八時間の戦闘は、間違いなく長い。ともすれば戦闘など、数秒で片がつくものであって、五分も続ければそれは、泥沼だ。故にこれは、戦闘訓練とは呼ばないのかもしれない。

 疑似的な戦場での、連続戦闘だ。

 長いのか短いのかで問われれば、八時間ならば標準だろうと、ジニーは思う。もちろんジニーが仕事として請け負った戦場であるのならば、最長で八時間程度、なんて解決速度を持ってはいるのだが、戦場に出て何かしらの仕事をする兵隊にとって、日常的なもの。現場に投入された人数にもよるが、だいたいは八時間交代になる。

 運が悪ければ、八時間もの間、増援や別部隊の仕事を待ちながら戦闘をし続けなくてはならない。

 今やっているのは、だから、あくまでも疑似的なもの。けれど何でもありだと彼女たちは気付いている。

 休んでいるところを襲撃するのも、罠を張って待ち構えるのも、全てが戦闘だ。卑怯者、なんてのは褒め言葉か、死者の言い訳に過ぎないのだから。

 芽衣には気付いて貰わなくてはならない。

 安全地帯セーフティエリアなんて呼ばれるものは、享受するのではなく、自分で作るものなのだと。


 ――いつしか、空が明るみ始めていた。


 眠りと覚醒を行ったり来たり、いつもの睡眠状態を続けていたジニーは、欠伸を一つして時計に目を走らせる。玄関前から立ち上がり、煙草に火を点けたのは、出迎えをするためだ。

 ワゴンが音を立てて停止し、ウインドウがゆっくり下がる。ジニーはそこへ、顔を入れた。

「ようキリタニ、ありがとな」

「朝っぱらから人物輸送とはな。お前さては、俺の仕事を忘れたな……?」

「知ってるよ、俺より便利屋ってことをな」

「うるせえよ。かーちゃんが朝飯を作ってるんだ、俺はすぐ戻るぜ」

「おう、また顔を出すからな」

 後部座席から降りてきたのは、芽衣や鷺花よりも小柄な少女であり、小さな眼鏡を顔に乗せ、白衣を肩にひっかけていた。

 車が去るのを見送ってから、一息。

「ジニーでいい」

吹雪ふぶきえつ――悦と呼んでちょうだい」

 肩に提げていた大きめの鞄を地面に落とした少女は、そう言ってから肩を小さく落とした。

「で、なんなの」

「事情はどう言われた?」

「私の技術向上にちょうど良い場所があるから、椅子に座ってないで行ってこいって言われたのよ」

「あの女の言いそうなことだ」

 吹雪、という医師はジニーの知り合いだ。サディストで口の減らない強気な女だが、医療の腕は比較する者もいないのではと思うほどで、何度か世話になったこともある。その娘――双子の片割れが、この悦だ。年齢が芽衣たちと同じらしいので、そこらの縁を穿って見たくもなる。

 世代交代だ。

 ジニーたちの世代がそうであったように、彼女たちのような、ややいびつとも思える頭一つ抜き出た存在が、複数人出てくる世代――そういうものがある。

「そこの天幕を自由に使ってくれ。で、ここで過ごす間は俺の指示に従え。患者だけは定期的に、まあ、いるから安心しろ」

「ある程度は慣れるし、我慢もするけれど、なにここは野戦病院か何か?」

「そいつぁいい表現だ。――今、患者を二人ほど呼び戻すから準備してろ」

「……? まあ、いいのだけれど」

「そっちの箱、医療品と医薬品が混ざってるから、確認しとけ。さて――ん、よしお前ら、時間だ。とっとと戦闘を止めて戻って来い。医師が、まだかまだかと口うるさく罵って、患者を待ってるぜ」

「罵ってないっての」

「そうだったか? ああ、そうだ、一応傷が残らないような配慮をしてやってくれ。可能な限りでいい――あいつらだって魔術師だ、どうにかなるさ」

「ちょっと待って。どういうこと? その二人ってなに?」

「状況は追追おいおい、説明してやるよ。俺じゃなくあいつらがな。現状だけ説明するなら、今しがた八時間にわたる戦闘訓練が終了した。栄養剤も医薬品の中にあるから、ある程度の体調管理もしてやってくれ。医師なんだろう?」

「こ、この野郎……断れない言い回ししやがって。だいたいなに、なんでこんな朝から私は輸送されたの?」

「足がつかないんだよ、この時間は。夜間だと夜目が利くヤツもいるんだが、朝方ってのはな、いろいろと都合が良い。自分の居場所を隠すための手段としては、一番安易だけどな――っと、戻ってきたか」

 耳を澄ますまでもない。足音を聞く必要もなく、彼女たちは言い争うようにしてこちらへ歩いて来ていた。

「――だから、罠としての有用性に関しての検証をしたかったわけ」

「貴様は魔術師として、魔術の罠を張ったつもりでいるかもしれんが、そもそも、罠だとわかるものをそこに置いてどうする? 犬のフンを見つけて、それをあえて踏むクソ間抜けがいるとでも?」

「隠してたでしょ」

「術式を隠していても、罠そのものを隠していないのだ馬鹿者め。いいか、罠とは――む?」

「ご苦労さん。で、あのちびっこいのがお前らの医者だ。言うことは聞いとけ、治療に限ってはな。おい、患者が二名到着だ。とっとと動けよ」

「ちょっ――」

 慌てたように、天幕から出てくるのは、白み始めたこの状況でも、充分にわかるからだ。

 まるで、水にぬれたように、彼女たちが血に染まった服を着ていることが。

「――なにしてんのあんたらは!?」

「喧しい女だ。聞いていないのか、戦闘訓練だ」

「このくらいの怪我で何言ってんの……ほら、とっとと治してちょうだい」

「んもう! 服脱いで!」

 はいはいと、上着を脱げば抉れているような傷はないものの、切り傷が山というほどある。銃創もお互いにいくつかあった。

 どうして平然としていられる?

 術式での補助はもちろんあるが、二人とも致命傷を避けていることを理解している。そして、どの傷も既に、出血がほとんどない状況だった。レバーでも食っておけばいいと、間違いなく芽衣は思っているだろう。

 そして、悦の治療が始まるに当たって、軽く挨拶がてら名前の交換をしてから。

「――でだ。そもそも罠とは、見つからないことを前提としている。貴様が見事に引っかかったようにな」

「あれ二重トラップでしょ」

「物理的にはそうだが、精神的な罠もそこに潜ませてある」

「ははは、さんざん俺がやったもんなあ」

「うるさいぞ師匠。たとえば、一歩目を出して罠に気付いた――そして、この気付くという行為が既に、罠だ」

「……意識と視線」

「貴様、なんだかんだで頭の回転は速いな――おい悦、私はこれから農作業だ。あまり包帯をきつく巻くな」

「あ?」

「日課だ――いっ、なにをする!」

「うるさい黙れ口答えすんな」

「だからといって傷を叩くな……。といっても、実際に私がやって見せただろう鷺城。罠があると気付いた貴様は、間抜けにも足を止めていた」

「見つけたと思った瞬間には既に、目の前へ意識が向いているからこそ、背後からの奇襲?」

「そして貴様の判断はどうだ」

「まあ跳んだわね」

「何故だ? 簡単に言えば、逃げ場がそこにしかなかったからだろう?」

「そうだけれど、間違いだった」

 気付いているのだ、罠がある場所を。そして襲撃の方向を除けば、とっさの判断として上空を選択するのは必然。であるのならば、上空には〝罠〟があって然るべきだ。

「ワイヤーに絡まって逃げる貴様を追うのは、テンション上がったなあ……」

「うっさいわ。一応、広範囲で立体把握してたんだけど、あの瞬間だけはどうしても、意識が罠に向いていたから」

「もう終わったので言ってしまうが、貴様の立体把握は足元が疎かだから扱いやすい」

「……なんだって? あ、ちょ、痛いから悦、痛い――いや本当に痛いぐりぐりすんな!」

「されるような傷を作らないようにすればいいの。治すのは私、だから好きにするのも私」

「こいつ……!」

「立体把握をするなら、地面下の一メートルも範囲に入れろクソ間抜け。地雷が埋まっていたらどうする」

「え、あるの?」

「……ふむ」

「あー、芽衣、あれって確か、……まあいいか」

「ちょっと! 師弟揃って曖昧な物言いはやめて! あと痛いってのよ!」

「生きてる証拠!」

 もういい、とりあえず治療が終わったらすぐ寝たいと、鷺花は強く思う。もちろん、その前に安全地帯をちゃんと作ってから。


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