第25話 一つの小さな出逢い
久しぶりに
これは毎度のことで、ネイクのところへ顔を出した結果を考えれば、増えた現実を納得もできよう。しかし、疲労感が強かったので喫茶店へ行こうと思ったのだが、ここでも一つ、小さな出逢いがあった。
一年と少し前、野雨には夜間外出禁止令が出された。言い訳はいろいろとあるが、夜間犯罪率の低下を目的に――という感じだ。
二十三時から四時まで。
この時間は逆に言うと、どんな犯罪をしても、見つからなければ許される。
好き勝手に解釈して、派手なことをした連中から殺され、見せしめのよう朝に屍体が上がるようなことも最初はあったが、今は落ち着いていて、ジニーに言わせれば人目を気にせずに済むぶん、気楽らしい。
だから、狩人がよく野雨には来る。一般人は夜間の移動に狩人の護衛を使うし、日中であっても犯罪者の確保など、小さい仕事に困らないからだ。
――それでも、日中にはそれなりに犯罪も発生する。
そもそも結界とは、他者に気付かせないことが第一だ。相手に気付かせるものは、罠と呼ぶ。
こうして公人が気付いた時点で、この結界の場合は人避けだが、その意味を成さない。目隠しであっても、中で何かやっていると、教えているようなものだからだ。結界を張りながらも、張っていると気付かないのが最良である。
未熟だとは思わないし、他人の術式を評する立場にない公人は、路地裏へ入って、その建物の裏で――彼は。
少年が、男を殴っていた。馬乗りだ。
殴られている側の声が聞こえないあたり、だいぶ痛めつけているはずだ。腕を組んで首を傾げるくらいには、興味がないけれど。
見えるのは怒りだった。
それ自体はよくあることだ。怒りに任せて相手を殴る、そう珍しいことではない――が、その怒りに自分の冷静さを重ねている。
怒れば怒るほど、冷静になる人間は、いる。だが少年はそれとは少し違っていて、冷静に。
これ以上なく冷静に、殺す方法を全て把握しながらも、殺さない場所へ向けて怒りを全部向けているのだ。少し歪んでいるとも言えよう。
どんな理由で誰を殴っているのかには興味がないが、その歪みを持つ少年には、少しだけ興味があった。
右手を軽く上げれば、手のひらの上に術陣が展開し、複数枚が重なって円柱になる。あくまでも手のひらサイズ、それは上から重なるよう数を減らし、最後の一枚になるとそこには既に、ナイフが作られていた。
「――おい」
「あ?」
声をかければ、睨むような視線で振り向く。顔立ちから、なんだ息子と同じ年齢くらいかと思いながら、柄を少年へ向けて差し出した。
「ほれ」
「……」
少し考えるような時間を置いて、ナイフを受け取りながら立ち上がった少年の足元で、首の頸動脈を切断された男から、血液が広がった。なかなか手早い動きだ、慣れている。
「なんのつもりだ」
「なにも」
「――そうかい」
鼻で笑った少年が、迷わずそのまま踏み込んできた。左手でナイフを持った突き、狙いは公人の太もも付近。こちらの対応を見るための牽制に近く、それほど体重も乗せていない。
――だが。
切っ先がぴたりと衣服に触れた時点で停止し、少年の動きも止まった。
「威力が足りないな。思い切りやれ」
「――っ」
僅かに見えた怒りに乗せて、思い切り振り抜けば、がしゃんと、まるでガラスか飴細工のよう、ナイフは柄ごと砕けた。
結果を、少年は見る。
自分の左手に視線を落とし、砂のように落ちる欠片を見て。
「安全装置か」
「――まさか」
その答えを、公人は否定する。
「そんなものは必要ない。俺が作った刃物だ、俺に逆らえるわけがないだろう」
「はあ?」
「モノを作るとは、そういうことだ。余計なお世話だが、
「――待てよ。じゃああんたは、何をしに来た?」
「お前が今、見てたこと以上は何もない」
そもそも、何かをしたと思えるほどのことはなく、公人はそのまま背を向け、特に何も考えず喫茶店へ向かった。
尾行のことさえ考えない。
されると思っていないからだ。
喫茶店の扉を開けば、相変わらずステレオが鳴っている。カウンターの中から顔を見せた店主の
「いらっしゃい、
「珈琲を」
「疲れているみたいだね」
「疲れる相手だったからな……
「雪芽は今、VV-iP学園の事務仕事なんかをしながら、地下の居室を作ってるみたいだ。狼牙はいるよ、そのうちに気付いて来るだろう」
「そうか」
「じゃあ、その間は僕の相手をしてくれるかい、エグゼ」
カウンターの奥、ステレオの傍の定位置に、ハーフパンツにパーカーという格好の少年が、グラスを傾けてこちらを見た。
「お前な、疲れているのが見てわかる俺に、また疲労を重ねろってか?」
「つれないね。僕はこれでも退屈ってやつを最近は感じるようになったし、人との会話を楽しもうと、そんな気持ちもあるような、ないような気もするんだぜ」
「エルムがいる時にしてくれ」
「はは、彼は僕と話が合うからね。余計なこともつい話してしまう」
「あいつも戻ってるから、暇があれば連れて来る」
「暇があれば、ね。また忙しくしてるのかい?」
「どうだろうな。普段は研究に没頭してるほど、比例して面倒ってのは大きくなるんじゃないかと、最近は考え始めた。こっちはどうだ」
「そうだね、彼女の予想……いや、
「面白いか?」
「はは、まあね」
観測者として割り切りができているのだから、それ以上はない。あかねが踏み込む時があるとしたら――いや、それも公人にはあまり関係ないか。
「お待たせ」
「おう」
「軽食はいる?」
「――いや、家に戻るから」
「ああ、それなら必要ないね」
エルムもいるし、食事は頼むと言っておいたので、きっと作ってくれているだろう。つまり昼食までには戻らなくてはならない。
奥から、相変わらずスーツ姿の
「やあ公人」
「おう」
「……そういえば」
一夜の作業に目を通し、手を貸すものがないのを確認してから迂回し、カウンター席へ。相変わらずこの喫茶店は、就業後の客層がメインなので、日中はまだ空いている。これでも昼食時には、それなりに入るらしいが。
「公人のスーツ姿も見慣れましたね。戻ってくるとだいたいスーツでは?」
「外回りなら、これが手軽でいいだろ。だいたいお前、俺が初めてスーツ着た時に大爆笑したの、俺は覚えてるからな……?」
「はは、そうでしたね。あの頃は服に着られている感じが強かったですが、今は年齢も重ねて相応です。僕が見慣れたのもありますね」
「そりゃどうも。んで? ネイクがぼやいてたが、お前なにしてんだ」
「ああ……」
納得が一つ。
「お疲れ様」
「おう」
「いや、彼は良い人ですよ。なんだかんだで、こちらの要求に応えてくれますから。しかしあの気だるそうな声だけは、どうにかならないものかと……」
「わかる」
「話している最中に慣れるんですが、こう、部屋を出て一人になると、どっと疲れるんですよね……」
「そのあいつが、面倒だと言ってたぜ」
「ええまあ、公人に隠す必要はないのですが、ようやく形になりまして。――狩人育成施設です」
「へえ?」
「実は二年前にもう運用されていたんですが、一期生が一人しか残らなかったことから、ある程度の方向性を決めて、二期生を集めに回ってます。なかなかに
「出資はどこだ」
「教皇庁魔術省が各地に置いている支部、
そもそも、教皇庁は魔術を信仰としている。そのため、信仰の自由が認められている日本では、活動がしにくいのだ。支部もあるにはあるが、あるだけ、という感じが強い。
しかし、その繋がりに着目すれば、世界規模だ。
「つまり、お前が上手く使ったってわけか」
「時間をかけて、ゆっくりと。ところで公人、面白い人材に心当たりはありませんか」
「あ?」
「実は一期生で残った一人というのが、あかねが見つけてきた女性でして、まあそういうことなんだろうと――今は、僕も彼女の言葉に納得できました」
「俺らが選べってか?」
「選ぶことも可能だろう、と」
「なるほどね。確かに、ハンターズシステムそのものは、かなり深く生活に馴染んでる。まだ〝合法殺人者〟なんて
「ええ、ジニーに言わせれば、目標にしていた一定数が確保できた、と」
システムというより、狩人の仕事上、生涯現役はほぼ不可能だ。長く続いても三十五から、四十になって、いや、なる前に辞めるだろう。そうでなくては死ぬからだ。
すると、バランスが作られる。辞める人間と、これからなる人間が、入れ替わっていくため、一定数が大きく上下しない。
そうなれば、システムそのものは、安定する。
「しかし、面白い人材と言われても、つまりはガキだろ?」
「ええ。条件はそれだけですね」
「つっても、エルムの方が社交的――あ、そういやさっき逢ったガキがいたな」
「うん?」
「いや」
とりあえず一通りの状況を説明すると、狼牙は口の端を歪めた。
「さすが公人」
「何を褒められたんだ?」
「いやいや、そういうものですよ。父さん、僕はちょっと出かけます」
「それはいつものことだ、狼牙。また帰ってくるんだよ」
「ええ」
「それと雪芽の様子も見ておくように」
「ええ……」
テンションがすぐ落ちた。
「お前まだ雪芽には逆らえないのか」
「苦手意識って、そういうものですよ。では公人」
「おう。強要はすんな、上手くやれ」
「何故か、そういうのも得意になりましたよ」
笑いながら出て行く狼牙もまた、相変わらずで。
ようやく野雨に戻ってきた実感が得られ、その実感は、一つの事実を指す。
――ここは、彼女のいない場所なのだと。
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