第22話 名無しの少女

 ぎりぎりと、たまに異音がする。

 歯車は、それぞれ噛み合って回っているのだから、その一つが回らなくなっただけで、全体に支障をきたすものだ。それが僅かな、全体から見たら埃みたいな小さな刃物一つで止められているのだから、笑うしかない。


 事実、僕はその状況を見てだいぶ笑った。


「ざまあみろと、ぼくも笑えたら良かったんだけどね」

 彼女は言う。

「なんだか、ぼくの人生においてエミリオンと出逢って、生きていた数年こそが全てのような気がしてならないよ。人と人とは時間じゃあない、なんて言っても構わないくらいにね。けれどああ、その時間が欲しかったと、そういう残念はぼくにだってある。仕事以外でも楽しめたけれど――仕事ばかりしていたような気がする」

 あるいは?

 そう、あるいは渡すばかりの人生じゃなかったら?

「そう考えるのは、一人立ちした時にやめたよ」

 じゃあ今の弱音は一体なんだ。

「終わりの間際くらい、好き勝手に言うさ」

 ――終わりか。

「そう、終わりだ。ぼくの存在も、そろそろ消えるだろうから、その前に自分から消してしまおうと思う。いや、消すんじゃなくて渡すんだけどね。あかね、君に聞くのもなんだけれど、ぼくが姿を消してから、現実に生きていなくなってから、一体どれくらい経過した?」

 はてと、僕は首を傾げる。

 どうだろう。

 十年は経っていないかもしれないけど、五年ってことはないだろうし、もしかしたらもっと?

 指折り数えるには、本数が足りているのか、いないのか。

 そもそも僕には年数を気にする理由が、今までなかった。

「はは、だったらこれからは、気にするようになるさ」

 言って、ぎりぎりと異音を立てて、それでも止まっている歯車を、彼女はやはり蹴り飛ばした。

「ちぇ、ぼくができたのは止めるまで。できれば一つくらい壊したかったんだけど、さすがにそこまでは無理が過ぎるか。停滞を生み出せただけでも万万歳ばんばんざい――さて、君にとってはどうだい?」

 ――僕?

 僕が、どうだと?

「君の存在は、役目は、人が法則を背負うわけでもなく、法則そのものが人の形をしたモノだ。そうだろう? 通称は、俗称は〝破綻の破壊ブレイクダウン・ブレイク〟だ、破壊の具現者。そして一対である一夜いちやが創造を担う〝一夜の紅灯エンド・ジェネシス〟ってわけだ。同じ喫茶店にいるのは偶然だろうけど、ぼくの誘導もあったけれど、お互いに嫌わずにいられるなら、まあ、そんなものなんだろう」

 お互いに、ね。

 存在は別だけれど、僕と彼は、基本的に同じものだ。

、仕方ないとわかっていても、一夜は少しでも先延ばしになればと、今を大事にしているだろうね。もちろん、その時が訪れても、感情が邪魔をすることはないし、あるいは人を信じているけれど、君はどうなんだろうってね」

 なるほどね。

 だったら僕も、それを見つけることになるんだろうか。

「さあ? 少なくとも彼ら――ぼくの友人たちは、どうでもいいって思ってるだろうね。でもそれは、どうなってもいいわけじゃない」

 だったら。

 だったら――君はどうなんだ?

「へえ?」

 君はこれを、どうにかしたくて、こうしたんじゃないのか?

「そうだね。まあ腹が立ってたのは事実だけれど、どうにか止められて良かったとは思っているけれど――加えれば、次があることを想定して布石も打った。やることを終えて、ぼく自身が求めていたことも終えて、現実がこうなって、まあ良かったんじゃないのかな? そりゃ欲を言えば切りもないさ、人生なんてそのくらいでいい」

 僕にはよくわからないが、少なくとも彼女の中で割り切りはできているらしい。


「でも、ぼくはここまでだ」


 彼女は歯車を見上げ、腰に手を当てた。


「ここまでやり終えれば、あとは野となれ山となれ。どう選択するも他人次第、ぼくはどうしようもない。だから」


 彼女は言う。


「だからあかね、君に託そう。君の役目に関わらず、君はその時まで、この歯車が自動的にきちんと回り始め、そして止まって消えるまで、見届けてくれ」

 何故?

「ぼくにはそれができないからさ」

 ――なるほど。

 それはとても、単純明快であった。

「さて、仕上げだ。ぼくの存在律レゾンを上手く誘導してやらなきゃね。なあに、これでも魔術師のはしくれだ、なんとかするさ。だからその前に」

 彼女は言う。


「君に、ぼくの言葉をあげよう」


 そうやって、彼女はずっと、譲渡リリースを続けてきた。


「君は言葉なんて、面倒だと言いそうだけれど、人間にとっては必要だからね。通じないと思うなら、多くの言葉を重ねればいい。そんな君を見ても、エミリオンを含めて、彼らは嫌な顔はしないさ。言ってやればいい、ぼくから貰ったものだと――ああいや、君は気遣いなんて知らなかったか」

 知らないね。

 いや――そうだ。

 この時はまだ、知ろうともしなかった。

「お別れだ。せいぜい楽しむと良いよ、あかね。それが許されるんだから」

 笑いながら言ったその言葉が、僕にとって彼女と交わした最後の言葉。

 その笑った顔が、僕にとって彼女が僕に向けた最後の顔。


 歯車は停滞して。

 異音を発して。

 黒と白グレースケールの世界の中で、僕は一人、歯車を見上げる。

 かつても、そうだった。

 そして今も、そう。

 けれどなんだか、退屈で時間を持て余す――そう思うようになったのは、彼女の影響だ。


 僕は。

 躑躅つつじあかねとして、喫茶店の隅で酒や煙草をたしなみながら、傍観者めいた立場で、観戦者みたいに、世界の流れと、人の動きを目で追う。

 ただそれだけの存在モノだ。

 歯車を見ているより、ずっと良い。

 僕は。

「僕は、――できれば君と、きちんと話してみたかったよ」

 そんな〝本心〟が口から出たのは、もっと先の話。

 本格的な世界崩壊が始まった頃だから、ずっと先のことだ。



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