第21話 鈴ノ宮清音
それに気付いたのは、なにも
生まれた頃は
魔術師が名を変えるなど、ありえない。
ただ一つを追い求めるとは少し違うが、特に家名を持つ魔術師は個人と違い、先代から引き継いだ研究を継続する傾向にある。
鈴ノ宮は世界の原理を。
鷺ノ宮は未来の掌握を。
もちろん、それを追求するためにほかの分野へ足を踏み入れることもあるが、目的は変わらない。
そもそも、一つの世代で研究が終わるほど魔術とは簡単ではないし、
人間なんて、そのくらいが一番良い――のだが、それはともかく。
であるのならば、引き継いできたのは研究であり、家名だ。それをあっさりと変えることは、裏切りにも似たものだろう。
――だから。
「簡単じゃなかったんだろうね」
「まあ……そうでしょうね」
そんな結論に至る。
しかし、
世界の原理、そのものに。
どうして鈴ノ宮になる必要があったのか、そして、それはいつ必要だったのか。
東京で何が起きたのか。
自分の身に何があったのか。
全ては大きな一つであると、知ってしまった。
心情的には、そういうものだと受け入れてしまったので、揺れはない。ないが、これからどうするべきか、そんな不安は少しある。
何故って。
鈴ノ宮が探求していた世界の原理を、清音は自分自身が証明してしまったから。
世界を背負う、魔法師として。
といっても、世界の全てではない。あくまでも、ただの器だけだ。
何が違う?
清音が持つ世界には、中身がない。法則がない。ただ、世界という器の〝区切り〟が存在しているだけだ。
ある意味で自分が、今の世界から隔絶されているような感じもある。
詳しく話したい。
そう思って清音は一人、鷺ノ宮の邸宅に向けて歩いていたのだが、ふと気が迷って、寄り道をすることにした。
それは、封印指定区域となった、蒼の草原である。
今はもう封鎖線も作られておらず、ぽっかりと入り口も空いたまま、けれど通り過ぎる人さえいない状況だ。
入口で、ぴたりと足を止める。
中は見えない。
「……」
見えないというか、これは――。
「おい」
背後からの声、振り向けば年齢もそう変わらない、小学生くらいの男の子。目つきが悪く、敵意にも似た気配。
「――ガキが、立ち入る場所じゃねェ」
「あら、心配してくれるのね、ありがとう」
「そうじゃねェよ……」
そうとしか聞こえなかったので、首を傾げれば、吐息を落とされる。
「大丈夫よ、入るつもりはないもの。ただここは――」
「
小さく笑いながら、そこへ彼女と
「あら……」
「やあ、数年前に一度逢ったけれど、君は忘れているかもしれないね。それはそれでいいよ、構わない。しかし――」
彼女は、すたすたと歩いて入り口から中を覗きこみ、肩を竦めて。
「――これはもう、小規模の別世界が作られたようなものだね。時間すら狂ってる。だから次は止めた方がいいよ、ええと、確か
「俺を知ってる……?」
「詳しくは知らないよ。ただこの場所で、橘の分家である
「そちらのお兄さんは知ってるわ」
「鷺ノ宮で二度ほど、逢ったな?」
「ええ、
「そうか、なら少し話を聞いていけ――そっちのお前も、ついでにな」
「俺も……?」
「そうさ。君もまた、――先を見失っている」
彼女は手にしていたアタッシュケースを、公人へ投げ渡し、それを受け取る。
「どこから話そうかなあ……ぼくにとってこれは余談であり蛇足だから、あまり核心的なことを言うのは
「あなたの目的はなにかしら」
「ぼくの?」
「つまり、私たちに何をさせたいの」
「おや警戒されてるね」
「なんで俺が含まれてる……?」
「そうだね、ぼくとしては鷺ノ宮の代行ができるようになって欲しいところだ。まだ完成には三年くらいかかりそうだけど、既に工事は始まっている屋敷の権利書と、手始めに三億くらいの金は用意できてる。もうちょっと増やさないと大変だろうね」
「――待って」
「条件が良すぎるかい?」
「いいえ、そちらはどうでもいいわ。何故、鷺ノ宮の代行を?」
「だって鷺ノ宮は終わるから」
「――」
「おい……」
「事実だよエミリオン、そしていずれ現実になる。君だって知ってるはずだ、子供だからって情報を小出しにすると、痛い目に遭うぜ。いいかい、ええと、清音だったかな? 今回は
「次も……あるのね」
「あるよ。そして、鷺ノ宮はそれを既に知っているし、決めているだろう。ただね、その結果として、
「それを鈴ノ宮が――いえ」
「うん、君は賢いし聡いね。その通り、今の鈴ノ宮では駄目だ」
「役目を終えていることにすら、気付いていない……」
「いずれだ、清音。君はきっと、ぼくからこれを聞かなくても、いつか鷺ノ宮から語られたことで、彼女たちの決断を知ることになっただろう。知っても残された時間は一年もなかっただろうね。そして、鷺ノ宮と同じ役割の家名が必要だと、君は気付いたはずだ――もう間に合わない段階でね」
「……今ならまだ間に合う」
「断言はしないよ? ただ、間に合う可能性があるから、ぼくは既に着工を済ませている。本当なら鷺ノ宮経由で君に話を通すのが、一番楽だった。その方が信じてくれるだろうし、警戒の度合いも低かっただろう――けれど、やっぱりこれも時間の問題があってね」
それは、あくまでも彼女に残された時間だけれど。
「まあ現実的な部分は、ジニーあたりに助言を請えば、いろいろと教えてくれるだろうけれど、彼も忙しい身の上だからね。かといってエミリオンも、それほど熱心ではないか」
「それなりに、な」
「つまり、いろいろ考えて行動しろってことさ。――二人なら、なんとかなるだろうし、好きにしたらいい」
「おい」
「現実とは何なのか、そんなものは答えなんてないんだよ」
「――」
「君にとっての現実は、両手が届く範囲のものだ。それを変えられるのも、現実だよ。変わってしまう現実なんてのは、嘘でも何でもなく、当たり前のものなんだ。人は生きているだけで、ただ無自覚に、変えてしまうことだってある。じゃあそれを知るためには? ――時間をかけて経験するしかない。君はただ、そうすればいい」
「チッ……」
「ただ、勘違いしないで欲しいのは、選ぶのも決めるのも君たちだ。結果、どうなろうと構わないし――ああ、エミリオン」
「おう」
「す……いや、謝ったら君はきっと怒るね。じゃあ、そうだ」
うんと、彼女は苦笑しながら頷いて、そのままの顔で。
「楽しかったよ、ありがとう。あとは頼んだ」
「おう」
きっと、それは唐突な台詞にも聞こえただろう。けれどわかりきっていたことで。
彼女はそう言って、姿を消した。いや、消えた。
公人は空を仰ぐようにして、息を吐いて。
「ん……ああ、悪いな」
「いえ……」
「消えた?」
「消されたような感じよ」
「残り時間が終わっただけだ。あいつはまだ存在はしているだろうが、生きてはいない。それは俺たちの事情だ、気にするな。さて――そうだな、鈴ノ宮はどこへ向かうつもりだった?」
「鷺ノ宮よ」
「じゃあそっちに行くか。お前も来い」
「ああうん、もう半ば諦めた。面倒じゃなけりゃなんでもいい」
「お前の暗殺技能も、こいつには通用しないな。魔術の世界には疎いだろうし、鈴ノ宮にはいろいろ聞いておけ」
「偉そうに言いやがる」
「さすがに鈴ノ宮一人じゃ、この物件は手に余るからな。お前が前向きになりゃその方が良い。俺はあまり日本にいないが、それなりに気にかけてやる」
「私には聞かないのね?」
「元よりそのつもりだろうが。仮に本家を潰したいと思ったら、方法を教えてやるくらいの優しさはある」
「ああ、それは
「――知り合い、か?」
「ええ」
「頭が痛くなってきた……そりゃあれか? 俺も零姉さんに逢うことがあるって?」
「そういえばあなた、名前は? 私のことは
「なんで」
「私のお付き、という名目だと、いろいろ面倒が減るもの。作り笑顔と丁寧な言葉遣いも、覚えるといいわね」
「お付き、ねえ……」
「で、名前」
「
「では五六、……分家も数字なのね?」
「本家は一桁、分家は二桁以上。数字が小さい方が上――そういう仕組みになってる」
「あらそう。零はそういう詳しいことを説明しないのよね」
「逢いたくはないんだがなあ……おい、あんた名前は?」
「今はエミリオンでいい――哉瀬、使ってるナイフを見せろ」
「あ?」
「いいから見せろ」
「なんなんだよ……」
渡されたナイフは、刃渡りが十五センチほど。使い込まれているのか、握りの部分がほつれていて。
「サイズが合ってないな。刀身の手入れはしてるみたいだが……」
どう使っているのかも見ればわかったので、あとは術式を使って創り上げるだけで済む。
「ほれ、やるよ。形状は同じだが」
「お、おう……」
「殺しは感心しないわよ?」
「しなくていい、このナイフが使われてるのはほとんどサバイバルだ」
「なら、あとは躾次第ね」
縁は合った、ならば次は波長が合うかどうか。
公人から見ても、そもそも、よくわからない。はっきり言えば、それほど興味がなかった。けれど、見ての通りのガキならば、少しは面倒を見なくてはならない。
まだ小学生には、ケースの中身は重すぎるか、とも思う。思うが、かつての自分を考えれば、なんとかなる代物だ。
――保護者がいれば、だが。
その役目は鷺ノ宮に任せよう。
「ところで、エミリオン?」
「なんだ鈴ノ宮」
「先ほどの女性、どういう名前なの?」
「――あいつに名前はない」
最初に出逢った時からずっと、彼女はそう言っていた。
「ただ、俺たちにとっては友人だった。それだけの相手だ」
それだけで。
やはり、彼らにとっては、充分だったのだ。
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