第10話 喫茶店にいる誰か
数日が過ぎて。
「
「あ、そう。その証明でお前の何が変わるか、わかったら教えてくれ」
この男は意地が悪いのではなく、卑怯だと確信した
最近は暇潰しに情報収集と、読書、それからステレオを聴くことを覚えた。公人の趣味がクラシックばかりだったので、今はそちらに合わせている段階だ。
その日。
「そういえば」
なんて台詞と共に、朝食後の睡眠を終えて十時過ぎに起きた公人が、ステレオルームへ行く青葉を引き留めた。
「そろそろ自由に出歩きたい頃合いだろ」
「え? ……たとえばどこに」
「それは知らん。勉強がしたいなら、通信教育でも紹介してやるよ。ともかく、自由に使える金を用意しとくから使えよ」
「ええと……それを受け取って良いものかどうかは、少し考えたいわね」
「欲しいものは?」
「女物の服」
「あるじゃねえか」
「あるわよ? あるけれど……ううん」
「行く当ても稼ぐ当てもねえだろ、カードを作っておく。名義は俺だけどな」
「……余裕はあるのね?」
「まあな、いくつか資産運用を追加しといた」
「そう。ううん……仕事、探そうかしら。私みたいな小娘ができる仕事ねえ……」
「しばらくは在宅業務にしとけ」
「まだ外が落ち着いてないから?」
「それもあるが、一人でふらふらと歩かれると、俺が気になるからだ」
「……そう?」
「ん。暇だ暇だと俺も聞き飽きたところだ――レイン、
欠伸が一つ、淹れておいた紅茶をポットからカップへ。話が長くなりそうなので、青葉も隣に腰を下ろした。ソファは一つしかないので、必然的にそうなる。
「だれ?」
「レインを作ったやつ」
『はあい』
室内スピーカーからの声に、青葉はぎくりと躰を震わせる。部屋中に広がって聞こえるのではなく、むしろ電話のスピーカーモードとそう変わらない明瞭さだ。
「室内AIに直結してんだよ。音声にも指向性を持たせてある――よう、寝狐。ジニーの依頼が面倒で、それなりに忙しいか?」
『そのぶん楽しいから。隣にいるのが
「え、ええ、よろしく」
「で、相談な」
『なに?』
「青葉にもできる在宅の仕事があるか?」
『私の手伝い?』
「金銭の
『私にとってお金なんて、ただの数字だけれど。そうねえ、今やってる二つのプロジェクトのモニターから始めて、仕事に慣れてくれれば、私の繫ぎくらいにはできそう。青葉、電子戦に触れたことは?』
「ええと、いわゆる情報処理? 知識はあまりないわ」
『うん、その方が変な癖もないし、教えがいもありそう。給料は、出した成果そのものに単発で出すかたちね。不定期収入だけど――公人さん? 女一人、養うくらい、どうってことないでしょ?』
「問題ない」
『じゃあ
「金の出所なんか聞きやしねえよ、ちゃんと洗浄してあるんだろ」
『ありがとう。そっちって、部屋の空きは作れるの?』
「リビングだな」
『じゃあ、ラックと椅子の手配も。さすがにノート型端末だとスペック不足だから。詳細はそっちの準備が整ったら、連絡を入れるから』
「わかったわ、よろしく」
『それと、振り込み用の口座を、青葉の名義で一つ作っておくから、公人さんはメインバンクに顔を出して、受け取ってきて』
「開設費用は俺の口座から流しておけよ」
『はあい。それじゃまた』
おう、と言えば、それきり声は聞こえなくなった。
「……できるかしら」
「馬鹿」
「なにがよ」
「できるか、できないかは問題じゃない。やるか、やらないかの二択だ。そして、やると決めた以上は、できないことを、できるようにするのが成長ってやつだろうが」
「そ、……そう言われれば、そうだけど」
「――さて、じゃあ出かけるか。芹沢はどうせ宅配で、専門家がうちに来るだろうし、銀行によって、昼飯も済ませる」
「あ、うん。いってらっしゃい」
「馬鹿、お前も来るんだよ。いずれ外の用事は青葉に全部任せて、俺は引きこもる」
「なにその
「よくそんな難しい言葉を知ってたな? えらいえらい。お前と違ってクソ面倒な学業ってやつを、俺はそこそこ真面目にやってるんでな」
「む」
「いいから準備」
「はいはい」
一緒に住んでいて構わない、そう伝えたつもりだが、気付いてはいないようだ。どこまで本気なのかを問われると面倒なので、これで良い。
「バッグもいるな」
「そうね。通販よりも
「しばらくは我慢して、仕事中心な。飯の心配をせずに済むだけ、ありがたいと思っとけ」
「それはいつも感謝してるわ」
「さようで。まあ好きでやってるから気にするな」
公人にとっては、気分転換以上の効果がある。純粋に作るのが楽しいのもあるし、二人分となると、今までは作らなかったものにも手を伸ばせるので、持ちつ持たれつだ。
「どこ行くの?」
「馴染みの喫茶店。本当ならもうちょい早く、とも思ってたが、落ち着いてからの方が良いと先送りにしてたんだ。そろそろ、潮時だろ」
「たまにそういう、よくわからないことを言うのね?」
「ちょっと影響を受けて、そういう考えをするようになったんだよ。どういうわけか――俺の周りで物事が動いてる。知らずにはいられねえだろ」
「それ、私も?」
「お前は近いけどな」
どちらかといえば、商業区というより、住宅街の隅にその喫茶店はある。喫茶SnowLightと名付けられた店舗は、平屋で一つ。今どきはデパートやビルの中に店舗を構えることが多いのに、贅沢な話だ。
中に入れば、小さな音で音楽が流れている。
「あら、良いスピーカーね」
「青葉、それ感覚狂いだから気をつけろ」
「そう?」
38センチのダブルウーファー、2インチのドライバー。ずらりと並べられたアンプ類は、確かに公人の自宅にあるものとは違う。だが出ている音を聴けば、それほど遜色ないのはわかるだろう。
「どっちかっつーと、ここのはジャズ寄りのスピーカーだな。金額は俺のとこにあるの倍くらい」
「……そういえば値段を聞いてなかったわ」
「そうだったな」
昼時だというのに、客はほとんどいない。あとで聞いた話だが、ステレオを聴きに来る社会人が多いらしく、一番忙しいのは会社を終えてからの来客らしい。
公人は迷わずカウンター席へ。
「いらっしゃい、
「よう、
黒色のエプロンをつけた男性が、カウンターの中から顔を見せ、珈琲を二つ。
「そちらは?」
「青葉です」
「俺は
「いえ、ありがとう」
座って一口、その珈琲は美味かった。苦みが遠いのも、青葉にとっては飲みやすい。
「俺のは飲むなよ、酸味がだいぶ強いから。ところで、お前の息子と娘はどうしたよ」
「
「え、ええ……それなりに会話をする間柄だったけれど」
「公人くんと一緒なのは気になるけれど、呼んでおくよ」
「こっちは捨て猫を拾っただけだ」
「何を食べる?」
「ランチ」
「私も同じものを」
「今日は洋食系だから、新鮮味は期待しないでくれ。じゃあ少しお待ちを」
ひょいと奥に引っ込んだのを見て、公人は頬杖をつく。青葉も吐息を落とし、改めて珈琲に手を伸ばした。
「相変わらず、猫扱いなのね……」
「女扱いしてもいいのか?」
「……、……公人って、そういう卑怯なことを言うわよね」
「気付いてるなら、そういう返しを予想して、質問の内容を変えることだ」
「むう……」
「ま、今の関係を壊したって、大きな変化はない――……」
小さな笑い声が耳に届き、公人はカウンターの奥、窓際を見る。
――誰もいない。
声が聞こえたことよりもむしろ、今、公人が。
「壊した……?」
「なに?」
「いや、なんとなくわかっただけだ」
無意識に自分の口から出た言葉が、何かしらの影響を与えて、それが核心そのものだった、だなんてことを。
彼女が言っていたのを、思い出す。それを実感したかたちだが、核心が何かは、わからない。知識がないからだ。
「ところで青葉、カウンターの奥に誰かいるか?」
「……? いるけど、どうかしたの?」
「――」
いる? そこに、誰かが? 勘違いじゃない?
「そいつは――」
問いかけを作る前に、一夜が再び顔を見せて。
しかし、口を閉じるよりも早く、背後で来客を告げるよう、扉が開いて。
「やあ、いるじゃないかエミリオン」
そんな挨拶から、始まった。
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