第9話007:貞操帯のこと、ならびに妖しげな晩餐のこと
「それじゃな」
「 Zu・dess」
相変わらずの調子で、最後にそんな言葉をのこし、黒メガネたちを乗せた
あとには、制服姿の下に貞操帯をギッチリと
腕の時計を確認。
時刻は……二二時を少し回ったところだ。
彼はいったん荷物を置き、自分の肩を抱いてこする。
秋も深まり、吐く息に白さこそ混じらないものの、夜になるとすこし冷えた。
ここまで遅くなったのは、黒メガネたちに連れられ、有名ホテルの高層階にある
この前は『モルフォ』先輩で、今度はいけ好かないオヤジふたりに置き去りかと彼は、やるせなげにあたりを見回して。
高級住宅街らしく、まわりは静かだった。
近くの常夜灯に季節はずれの蛾が二、三匹。
ふり向けば、木立に
「
とっさに言われ、一拍おいて
「あ、あのっ――ポポっ、『ポンポコ』!ですぅ……」
インターホンの上から緑色のフラッシュが閃く。何となく額がジーンと熱くなる感覚。あぁ、コレがそうかと彼は胸のうちで感心しつつ、待つことしばし。
「
背丈の三倍以上ある重そうな格子門が、カン高いきしみをたてて横に開いてゆく。木立の向こうの寮は、ごく普通の大型マンションに見えた。
車寄せに近づくと、分厚いガラスで出来た二重の自動ドアが時間差で開閉し、目の前にひとけのない広いロビーが展開する。フロントにも<CONCIERGE>と札の立つカウンターにもひと気はない。
――と、すこし先で、管理人室らしき小窓から、マニキュアを塗った白ブラウスの腕がヌッとのび、キーを差し出しチャラチャラ……。
こわごわそれを受け取ると、ピシャリ、
――ちぇっ……なんだぃ。えぇと1124……11階かな?
キーのタグを読みとり、
通りすぎたラウンジ・コーナーで、ヒソヒソとわらう声。
えっ!と、ふり返るが――誰もいない。
エレベーターで目的の階までのぼり、ようやくあてがわれた部屋を見つけて中に入った彼は、入り口わきに立つ等身大の鏡を見つけると、扉を閉めるのも早々に制服を脱ぎすて、なにはともあれ全裸となり、自分のからだを再点検する。
黒く、そして光沢のある素材で作られた、▽型の薄型オムツともいうべき“貞操帯”を填められた少年が、恥ずかしげに鏡の向こうから『ポンポコ』を見つめていた。下腹部にピッチリと食いこんでいるそのデバイスは、まるで皮膚の一部にでもなったように、はずせる気配すら感じられない。
彼は『フィット・ルーム』での出来事を思いおこす。
「こんなの先輩たちが付けてるなんて……聞いていませんよ」
「は?当然よ。一年坊には絶対に知られないよう、上級生には脳教導で口止めしてるもの。なんのために一年とそれ以外の校舎が分けられていると思って?だいたい、初年度のうちにC・ベルトを受領するなんて例外もいいトコよ?……まぁ、ダレかに気に入られたンなら、いまのうち“後ろ”に慣れといた方がイイかもネ。あンた、年上に好かれそうだし……けっこう“ジジィ殺し”になったりして」
女医の顔にうかんだ、意味ありげな、ほの暗い笑みがゾロリと
実を言うと、貞操帯の話はウワサの程度で聞いたことはあった。でもまさかこのような悪趣味なモノとは。やはり仲間が少ないと、アンテナが低くて損だな、と彼は悲しいくらいに実感する。同時に、『山茶花』が言っていた“愛玩品”
あらためて鏡をみると、胸の部分には薄い湿布状のバイタル送信用PCが生体接着剤で貼りつけられていた。いまこの瞬間も、心拍、発汗、血液粘度、等々を
前髪を持ちあげ、鏡に
もともと薄かった体毛が完全に無くなっている。
みょうにツルツルした手ざわり――そして光沢。
まるで自分が、永続性敵性地域で活動する航界士に支給されるというウワサの“
離床準備棟に行く前の自分と、いまの自分では、なにか決定的に変わった、いや変えられてしまった被虐的な印象。
通常の洋式便器ではない、騎乗型コクピットのシートを模した“またがって座る”タイプの便器が、トイレの中央に
――ふぇぇ……。
午後の『フィット・ルーム』で白衣の一群に
だが自然の欲求にはかなわない。
赤いビニールを張った鞍状のシートにイヤイヤまたがり、おおまかに腰を浮かせ気味に座ると、強力な電磁石がはたらき自動的に位置あわせされ、ガチリとシートにロックされる。
わずかに香る、消毒用アルコール臭。
小さい方はアダプターをつければいつでも出来るが、大きい方はこのタイプの専用便器でないとダメだと聞かされている。心細い声で『ポンポコ』は
「……だいじょうぶかなぁ」
―――――――――――――――――――――――――
「本当、大丈夫なんですか?この個体。有望株ってドコ情報です?」
モニターが並ぶ暗室の中、徹夜続きの目をした男が、背後からの声を受けると、監視モニターの画面をみつめたまま、袖をまくったYシャツに
書類をめくる音。
葉巻の煙が、モニターの光に白く、くねりながら拡散、消えてゆく。
そのモニターの中では、全裸に黒い貞操帯姿といった少年が、大の字でベッドにひっくり返り天井を向いて、なにやら考え事にふけっている。間接照明のみ点けられた部屋は薄暗いのだろうが、画像補整で幼さの残る顔は、よく見えた。
「あぁ。『カッコウ』のタイプⅣ、ですか。瞬間的に、認識野強化が可能な型の?
「ひでぇ話さ。不妊治療の若夫婦に仕込んだはいいが、数年後、こんどはその夫婦に自然妊娠の
「思考的なバイアスは、ないんですかね?」
「若干、引っ込み傾向なところはあるが、先天的なものじゃァねぇ……ハズだ。『エースマン』のやつも太鼓判を押してた。『突き落としてやれば、それなりに
舌打ちが、モニタールームの狭い部屋に響いた。
それに対し、葉巻を一服するあいだの沈黙。
「あぁ……おめェは――ヤツがきらいだったな」
「あの下品さは、好きにはなれません」
「いずれにせよ、月曜だ。ここで心配なのは、どうも計画が外に漏れている
「しかたないですね。このご時世、金を出せば
フン、と鼻を鳴らす気配。
「ま、金は大事だからな。コッチもこの候補生サマの監視をしているだけで、二日間分の特別手当がつくんだ」
「しかし、一秒も欠かさず監視というのもツラいですよ」
「仕方あるめェ。いつだったか前任者がチョット眼を放したスキに、監視対象のガキに飛び降り自殺をされた
まァのんびりやるサ、と男は別のモニターのスイッチをいれる。
ニュース回線の画像が、AIアナウンサーのなめらかな
―――――――――――――――――――――――――
《では次のニュースです――》
シャワーを浴びたあとベッドにひっくり返った『ポンポコ』は、壁に備え付けのモニターをぼんやりと眺める。画面の中では探査院・本院前のフェンスらしきところを、機動隊の一団に監視されながら、プラカードの列が行進していた。
[神の怒りに耳を傾けよ]
[人類はその本分を
[電気料金の値上げ絶対反対!]
[食料税の無慈悲な導入断固阻止を!]
ハンドスピーカーを持ったムサい中年のオヤジが、神だ罰だと叫んでいる。
――なんのこっちゃ……。
ニュース・アドレスを、手もとのタブレットで適当に次々変えると、様々な画像が流れてゆく。
代替医療設備に不審者が侵入し、移植用の人体部位を盗みだした話題。
新型
外象人と日本人のあいだで
新生児限定で
外象風レストランの新メニュー、
芸能人の結婚……。
アホクサ、と『ポンポコ』はモニターを消すとベッドを跳ね起き、窓辺に。
奇妙な寮だった。
窓が全部
――ふぅん……。
とどめに、『牛丼』たちに映像メールを送ろうとしても“圏外”と表示されるしまつ。手持ちの個人用端末を壁のソケットにつなげばいつものサイトにも接続出来るが、どう考えても部屋のつくりがアヤしい。閲覧履歴は、まずダダもれだろう。
彼は、この週末に読んで完全に頭に入れておくようにと渡された練習機のコクピット・マニュアルを、通学用フライト・ケースから引っ張り出した。
ため息。
週明け、実技補習のあとテストに出るから、といわれては仕方ない。
分厚いそのマニュアルは、急造のコピー物らしく、ぞんざいに
――なんだよコレ。
『ポンポコ』はコピーの束をベッドに放り投げた。そして窓辺によると鼻だけを突き出し、外をながれる夜気の薫りを嗅いだ。
次いでふと、先ほどまでいた高層ホテルのレストランを思い出す……。
重く、秘めやかな薄暗い空間。
大きく肩の開いたイヴニング・ドレスの若い婦人たち。
首もとに幾重にも巻かれた真珠のネックレス。
二の腕まで覆う、輝くほど白い
対する男たちの方といえば、いかにも省庁の官僚然とした仕立ての良さそうな三つ
革手袋、ステッキ、勲章用リボン、装飾拳銃、銀製の名刺入れ。
(……なぁに、あれ?誰かのお手つき?)
(護衛がついてるからな。相当のお
(イイ趣味してるわねぇ……“市場”に出たとして、幾らぐらいかしら?)
(下世話な。しかし小生なら二〇〇両は……)
(
そんな
「お二人の仕事は……なにかの警護なんですか?」
年代物らしき
「……やっぱり探査院の所属なんでしょ?」
黒メガネたちは、ふたたび顔を見合わせると、
「
「真実の認識には、ほど遠し。心せよ候補生、そも何者なりしか」
「……じゃぁ、候補生って。なんなんです?」
「きれいは汚い」
「汚いはキタナイ」
二人してワインを
眉をひそめるソムリエ。
あきれた『ポンポコ』は、前菜をクチャクチャ
高層ホテル周辺のエリアは、一面の宝石箱だった。が、彼方のところどころに、まるでハサミで切りとったような暗い区画がある。軍事施設?公園墓地?それにしては数が多い。
あの、と『ポンポコ』はワインで口をゆすいでいた二人組に、
「むこうにポツポツある、あの灯りのない場所って――なんです?」
大人ふたりは、大窓の外をつまらなそうに
「
「投票シタカラニハ、ソノ議員ニ責任ヲ」
なにを言ってるか、さっぱり分からない。そんな『ポンポコ』をいたぶるように、二人の大人はニヤニヤと
『ポンポコ』も、目の前に運ばれた『お子様も大満足!外象牛の厳選ハンバーグ・オニオンスープ付き』をフォークで味気なくつつきながら、ぼんやりと考える。
尻穴にズップリと刺さる排泄プラグの違和感がつらい。
イスにも、太ももの裏を使って、前のめりに座るしかないのがせつない。
サラ……サー『デザート・モルフォ』も、こんな感じを味わっているんだろうか。あのブラン・ノワール組の姉サンたちも?それとも“本物”の専用貞操帯は、こんな違和感がないのか……。
寮の窓の外を、救急車のサイレンがドップラー効果で滑っていった。
ヒンヤリとした夜気に、木の香りが濃くにじんでいる。
《天気予報です。境界面を超えて進んできた低気圧が、九州エリアに大雨を……関東地方も朝から…》
そういえば、と『ポンポコ』は、『牛丼』たちが今日の昼休み、教室のすみに集まり、彼女持ち限定の集団で、テーマ・パークにいく計画をしていたのを思い出した。あいにくと、この土日は雨らしい。
「――フフッ、ざまぁ……」
そう呟いたあと、さすがに『ポンポコ』は自己嫌悪。
冷えてきた彼は窓をしめると、部屋に備えつけてあったシルク素材のようなガウンを素肌のうえに
回線を閉じ、一面ブルーなモニターの光が部屋を照らすにまかせたまま、物憂げな風情でベッドに身体を横たえ、なにやら
窓の外を、またサイレンの音……。
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