第2話小学校時代とタマッチ

私たちは、一つの時代が終わる年に生まれた。

 遠い異国で悪名高き壁が崩れて、バブルというものが弾けはじめた時代。

 そんな時代に、私たちは生まれたのである。

 私たちが成長する傍らでテレビの向こうではよく分からない宗教団体が愛を歌って、政治にまでも愛を持ち出そうとした。でも、その宗教団体はかつてない事件を起こして表舞台から姿を消した。

 その他にも色々な事件があったけれども、小さな私たちにとっては全てが遠い大人の世界のたわごとに過ぎなかった。私たちにとって衝撃的だったのは、学校でのできごとだった。

 私にとって一番印象深い事件は、小学校四年生のときに起った。

 私が生まれて初めて、黒沢勝利に気がついたのだ。

 黒沢勝利の存在に気がついたのは小学校四年生のときだ。

 私と勝利が育った町は、海が近かった。というよりも、海ありきの町だった。かつては漁業で栄えた町だったけれども、今は魚もあんまりとれなくなっていた。そのため漁師になるような若者も減り出していた。だからといって、他に産業などもなくゆっくりと滅び行く町だった。

 本当に狭くって、幼稚園が一緒だと中学校まで一緒というのが当たり前だった。なぜならば町には幼稚園も小学校も中学校も一つずつしかないからだ。昔はもっといっぱいあったけれども、少子化の影響で町の子供たちはあっというまに姿を消した。そのせいで、学校は少なくなってしまったのだ。

 町の年老いた人々はそれを「若者のせい」とか「女性のせい」とか「政治のせい」とかなじったけれども、彼らの力では何にもかわらなかった。それどころか文句をいう間にも鳥みたいに自由な若い世代は、せまっくるしい田舎から皆飛び立ってしまっていく。

 残ったのは故郷を棄てられなかった善良な若者たちで、彼らとその子供たちが町をどうにかこうにか賑やかにしていた。

 私と勝利は、そういう時代に生まれた。

 私の学年は全員で八十人程度しかいなくて、その全員が幼馴染みたいなものだった。けれども全員と仲がいいとはいえなくて、仲が良い五六人のグループでずっと固まっていた。

 私と勝利は、別のグループに属していた。だから、一緒のクラスになっても私は勝利の存在に気がつかなかった。

 私が勝利の存在に気がついたのは、四年生になった五月のことだった。

 勝利は、遅刻をした。

 もうすっかり全員が席に着き、朝のホームルームが始まりそうになっていた。その日も特に問題らしい問題も起こらず、つつがなくホームルームが始まろうとしていた。春の日差しが気持ちがよい日で、けれどもそれ以上の特徴もない朝だった。あまりにつつがなく物事が進んでいた記憶があるので、もしかしたら誰も勝利の遅刻に気がついていなかったのかもしれない。

 そんな朝、勝利は遅刻をした。

 教師が何かつまらないことを喋ろうとしていた、まさにその時だった。勝利は、教室のドアをがらりと開けた。ホームルームが始まる直前であったので、全員が勝利に注目した。だが、勝利はその視線に気がつくことなく「寝坊しました!」と慌てて叫んだ。

 私は、そのとき始めて勝利に気がついた。

 黒いランドセルに、黒い洋服を身につけた勝利。いつもならば周囲に埋没してしまう勝利が、そのときばかりはクラスメイトの注目を集めていた。

「勝利は……そっか寝坊したのか。自分の席に座っとけ」

 教師は、笑いを噛み殺していた。

 勝利はその時になってようやく自分がクラスメイトの注目を集めていると分かって、赤面しながら自分の席に座った。

 勝利は、私の席のすぐ近くに座った。

 今まで気が付かなかったのが信じられないぐらいの近さだった。私は、じっと勝利の横顔を観察した。小学校四年生の教室には、いくらでも女の子みたいな男の子がいた。肉体の成長は女の子のほうが早かったし、男の子は行動こそ粗雑だったかれども外見はまだまだ可愛い幼児みたいな外見な子が多かった。勝利は、そのなかでは大人びたほうの容姿をしていた。けれども睫毛は長くって、そこだけが可愛らしい幼児の気配を残していた。

 ホームルームと一時間目が終わって、私はこっそりと勝利に話しかけようとした。

 だが、遅刻した勝利は彼のグループの友人たちに囲まれていた。私は結局勝利には話しかけられず、勝利もその日以外は目立つことはしなかったので何時もどおり周囲に埋没していった。

 私は、なんとなく勝利に話しかけるチャンスを失っていった。

 同じクラスなのに、同じグループを属していないだけでなんだか酷く遠い立ち位置にいるように感じられた。狭い社会において、グループ内の交流は絶対だ。クラス替えなどでグループがバラバラになることもあったが、一度出来上がったグループの絆は堅固でありクラス替え以外で崩れることはほとんどなかった。しかも、他のグループとの交流はほとんど行なわれていなかったのである。

 違う言葉を話す異国との交流ぐらいに、違うグループの子供と話をするときには気を使わなければならなかった。けれども、私は正義とすぐに話をすることができるだろうと思っていた。

 自慢じゃないが、私はグループの人気者だった。

 いつだって、友人の輪の中心にいた。私も中心にいなければならないと思ったから、必至に周囲の人々を楽しませていた。そのおかげもあって、私はグループの王様になっていた。だから、勝利との交流は余裕だと思った。

 だが、私の計算は甘かった。

 私は勝利に避けられていたのだ。人気者の私を避けるなんて、という怒りが沸いた。だが、考えてみれば勝利が私を避けたのは当たり前のことであった。

 勝利は、私とは真逆の性格だった。

 口下手で、思ったことをなかなか言葉に出来なくて、輪の中心には立つことはない。友人には面倒を見られていることが多くて、悪く言えばどんくさいとも言えた。

 けれども、勝利は常に穏やかに笑っていた。

 グループ内で友人同士が喧嘩したり、誰か一人を仲間はずれにしたりしても、勝利はずっとにこにこしていた。そして、勝利があまりにも何時もどおりだから仲たがいも仲間はずれも何でもないことのように思えてしまうのだ。

 それで、つい他人を許してしまう。

 ただ優しいだけの愚直な子供だ、と私は勝利を評価した。

 けれども、観察を続けるうちに勝利が他者との仲を取り持った後に静かに息を吐いているのを見つけてしまった。ほっとしたような様子の仕草に、私は勝利という子供が見た目以上に臆病なのだと悟った。

 いつも微笑んでいるのは、他人の諍いに巻き込まれたくはないからなんだろう。思った以上に、ずるい子供だったのだ。そんな勝利が、人気者の私に目を付けられた。

 だから、正義は私の気配を察すると逃げるようになっていた。

 私は、何にもしてないというのに。

 苛立ちにさいなまれることになったが、私はそれを表に出すことはなかった。表に出したら、ますます勝利は私を苦手に感じるからだ。まずは、会話のきっかけを作らなくてはならない。勝利が思わず食いつくような話題を。

 そのとき、私たち小学生の間ではタマッチという携帯ゲームが流行っていた。ゲームボーイのようにソフトとハードが別売りになっているタイプではなくて、タマッチしかできない専用ゲーム機でゲームボーイとかのゲーム機よりもずっと安いものだった。

 キャラクターに要求されたときに餌や掃除をするというだけのゲームなのだが、可愛いキャラクターが受けて子供たちのハートをがっちりと掴んでいた。学校には持ち込み禁止だったけど、生徒のなかにはこっそりと持ち込む奴もいた。そのなかでも、イベント限定のタマッチというものがあった。

 雑誌などで何度か行なわれたイベントに参加すると、そこで限定カラーのタマッチが配られたのだ。イベントは大抵は都会で行なわれていたから、田舎の子供たちにとってイベントは高値の花だった。もっともタマッチの限定のカラーはスケルトンブルーとかスケルトンイエローとか基本スケルトンなので、大人の目から見れば外装が排除されたスケルトンはより安っぽく見えたかもしれない。だが、子供にとってスケルトンは憧れの色だった。

 クラスメイトの一人が、その限定のスケルトンブルーを持っていた。

 都会の親戚と一緒にイベントに参加した、と言っていた。

 私とも勝利とも違いグループの子だったが、彼女がスケルトンブルーを学校に持ってきたときはクラスメイトのほとんどが彼女のグループの会話に聞き耳を立てていた。勝利も同じで、その反応を見たときに私はスケルトンブルーを盗もうと思った。

 体育の時間を私は狙った。

 その時間は、全員が校庭に出ていってしまう。

 だから、私は「おなかが痛い」といって保健室に行くフリをして教室に戻った。女の子はタマッチをいつも机の中に入れていた。それはクラスメイトの周知の事実だった。だから、探すまでもなかった。迷うこともなく、僕は女の子の机のなかからスケルトンブルーのタマッチを盗んだ。

 あっけないぐらいに簡単だった。

 あまりにも簡単すぎて、私がこれは盗みだと気づけないぐらいに。昔は悪いことをしたら、なにか特別な天罰がかかると思っていた。けれども、私には何の罰もなかった。だから、これは悪いことではないのだと思った。

 体育の時間が終わると、女の子のスケルトンブルーがなくなったことが明らかになった。女の子は泣いたが、結局は学校に玩具を持ち込んだ彼女が悪いという話しになった。教室には基本的に鍵をかけていなかったから、私は疑われることもなかった。誰でも忍び込めることはできたし、他のクラスでも教室を離れた生徒は数人いたらしい。その時点で学校側が犯人探しを面倒くさくなっていたのだろう。

 私はスケルトンブルーを手に入れたが、さすがにそれをすぐ見せびらかすことはしなかった。そんなことをすれば自分が犯人だと公表するようなものだ。

 私は慎重にスケルトンブルーを見せびらかす機会をうかがっていた。そして、夏休み後にソレをしようと考えた。夏休みの間にスケルトンブルーを入手可能なイベントがあったので、そこに行ったことにすればいいと考えたのだ。

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