硝子の扉の向こうで

冷門 風之助 

俺の入院日記 その1

『では、入院規則はこの用紙に書かれた通りです。ここに書かれたことを厳守して、治療に専念され、一日も早い退院をされるように』


 白衣を着た、背の高い中年の男性看護師長がしかつめらしい顔をして俺に言った。


 俺が今いるのは、都心より電車で約1時間ほど行ったところ。


 といってもまだ東京都に違いない・・・・しかし緑は多く、


『市』というより、田舎町に近いところにある、精神科専門の、

『関東M病院』だ。

 

え?


(名探偵もついに精神をやられたのか)だって?


 俺はそれほど弱かない。




 その依頼人が俺・・・・『乾宗十郎探偵事務所いぬいそうじゅうろうたんていじむしょ』のドアを開けたのは、三日ほど前の、ある雨の降る火曜日だった。


 依頼人は夫婦者で、夫は眼鏡をかけて小太りの人の好さそうな男性。


 妻の方も不美人というわけでもなく、平凡な顔立ちをしていた。


 夫の名前は中村茂といい、都内で税理士事務所を経営している。年齢60歳。


 妻の登喜子は58歳、元々都立の高等学校で国語の教師をしていたのだが、現在は専業主婦、夫婦の間には男と女、それぞれ2人の子供がいる。


『実は息子の事で、ちょっとご相談がありまして・・・・』


『お待ちください。電話でもお知らせしましたし、さっきお渡しした契約書に記してある通り、私にはお引き受けできる仕事と、出来ない仕事があります。法律で禁止されている調査は勿論ですが、個人的信条として、結婚と離婚に関わる・・・・』


『いえ、それとはまったく関係ないんです』


 夫の方が俺の言葉を遮り、背広の内ポケットから写真を一枚出して、テーブルの上に置いた。


真面目そうな青年が寂しそうに微笑んでいる姿が写っている。


『息子です。名前は壮太、今年22になったばかりです』


 都内の有名私立大学の商学部経営学科に、一浪した末に入学し、四年間真面目に勉学にはげみ、今年卒業して、本人の念願だったテレビ局(関東テレビだそうだ。メジャーじゃないか)に入社が叶った。


 報道の第一線で記者になって社会悪と闘う。


 それが彼の希望だった。


 真面目で、正義感が強い・・・・。しかし、そういう人間ほど、理想と現実のギャップに直面すると、どうしていいか分からなくなり、精神にダメージを食らうのも早い。


 報道志望だった彼は、入社早々は当然下っ端である。


 研修を終えて彼が配属されたのは、関東テレビでも夕方の6時から放送のニュース番組のアシスタントディレクターだった。


 ディレクターって言葉が付いていると聞こえはいいが、何のことはない。要するにただの使い走りだ。


 とにかく朝は早くからこき使われ、番組が終わってもまたこき使われる。


 些細なことで上からは怒鳴られ、出演者の花形キャスターからもネチネチやられ、挙句は女子アナからもどうでもいいような失敗でいびられる。


 それでもまだ給料が高ければ、幾らかでも救われるのだが、給料なんざ本当に雀の涙と言う表現がぴったりくるほどだった。


(なんでも初任給が総支給で20万円ちょっとで、税金やら何やらで引かれ、手元に残るのは16万円ほどだったという)


 それでも彼は真面目で熱心だったから、何とか続けようと努力はした。


 しかし残念ながら要領が悪い。


 結局それが祟って身体を壊し、心療内科に行ってみたところ、最初は『うつ病』であるとの診断を受けた。


 それでも暫くは処方された薬を服用しつつ通勤もしていたのだが、結局それも出来なくなって入院を勧められ、今ではM病院に入院しているのだという。


『で?私にどんな依頼を?』


『息子を・・・・息子を助けてやって貰えませんか?』


 


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