第46話 「知花。」

 〇高原夏希


「知花。」


 広報室に行って声をかけると。

 部屋の片隅でチラシを仕分けしている知花は顔を上げて。


「あ…こんにちは…」


 キョトンとした顔で俺を見た。


 …そんな顔をすると、まだまだ子供で…

 人妻とか、世界に通用するボーカリストだとは思えないんだが。



「ちょっと一時間ぐらい抜けさせてくれ。」


 広報の上の者にそう言って、俺は知花を連れ出した。



「甘い物は好きか?」


 事務所を出てすぐ問いかけると、知花は目を丸くして俺を見て。


「はい…好きです…」


 少し赤くなった。

 それがおかしくて。


「どうして赤くなる?」


 笑いながら問いかけると。


「いえ…好みを聞かれるとは思わなかったので…」


 赤くなった頬を両手で押さえた。

 …その左手の薬指に…指輪。


「…やっと買ってもらったか。」


 俺がそれを見てそう言うと。


「あ…はい…」


 知花は、幸せそうに笑った。

 …複雑だが、千里の選んだ女だ。

 間違いはないだろう。



「退学の件だが。」


 事務所の近くのカフェで、チョコレートパフェを前に嬉しそうな顔をした知花は。


「……すみません。」


 俺の一言で、うなだれてスプーンを置いた。


「ああ…食う前に悪いな。」


「…いえ…本当の事なので。」


「正直言って、俺は学校は卒業して欲しいタイプでね。」


「……はい。」


「ついでに言うと、頭の悪い奴も嫌いだ。」


「……」


「英語の歌詞を書くぐらいだから、英語はいいとして…他の教科はどうなんだ?」


「…悪くはなかったです。」


「今後の事に関して、家族…千里じゃなくて、両親は、どう言ってる?」


 これは…知花に限って言ってる事じゃない。

 今までも学校を中退したアーティストには、学力テストをしたりもした。

 悪趣味だとナオトに言われたりもするが…ビートランドに所属するアーティストは頭が悪い。と言われるのが嫌なのは本当だ。

 色んな意味で。



「両親…父はすごく怒りましたけど…バンドは…頑張りなさいと…」


「お母さんは?」


「…母は、いません。」


 履歴書をちゃんと見たつもりだったが…それは見落としてたな…

 いい所の娘だというだけで、勝手に親が揃っていると思い込んでしまった。

 …血の繋がりはないと言ってたが。



「…歌の事なんだが。」


「はい…」


「知花の歌は、攻撃的過ぎる。」


「……」


「ハードロック向きだとは思う。だが、バラードが一本調子だ。」


「一本調子…」


「もう少し考えて歌え。おまえは恋する相手にも、そんなに攻撃的なのか?」


 俺の言葉に知花は青くなったり赤くなったり…

 全く…忙しい奴だ。



「…とけるぞ。」


 目の前のチョコレートパフェを指差して言うと。


「…いただきます…」


 知花は遠慮がちにスプーンを手にした。

 まあ…こんな楽しくない話をしながらの甘い物は…美味くないだろうな。


 ピピピッ


 腕時計が鳴った。

 三時か。

 この後、ナオトと新人の書類選考をして…


「…あの…」


 俺がコーヒーに口をつけると、知花が遠慮がちに言った。


「腕時計の電池…交換した方がいいかと…」


「あ?どうして。」


「アラームの音が、前より下がってます。」


「……」


 そう言えば…この腕時計、買って一度も電池交換してないな。

 だが…アラームの音で、そんなのが分かるか?


「耳がいいんだな。」


 皮肉のつもりで言ったが。


「ありがとうございます。」


 知花は…どこか懐かしい気持ちにさせるような笑顔で、俺に礼を言


「……」


 俺はかれこれ30分。

 ずっと、こいつらの後に座っている。


 こいつら。

 SHE'S-HE'Sのギタリスト、二階堂 陸と、早乙女千寿。


 二人はなぜか三階の人気のないロビーの椅子に座って、二人でギターを弾いている。

 曲は、10年以上前にマノンがソロで出したギターアルバムの中の一曲。

 しかし、あの曲は30分以上もない。

 6分ぐらいのもんだ。

 それを二人は延々と繰り返して弾いている。


 弾くたびに…パートを換えたりアレンジを変えたり…

 足でリズムを取ったり、口でカウントを取ってブレイクを入れたり…

 何とも楽しそうだ…が。


「あっ、今の何だよセン。」


「トリルで誤魔化しただけ。」


「おま…誤魔化し上手だな…」


「次、俺上やる。」


「おうよ。」


 …まだ続くのか?

 て言うか、なぜここでやってる?

 スタジオならアンプ使えるのに。


 …しかし…二人とも没頭してるな。

 二人で弾くのが楽しくて仕方ないらしい。

 それはそれで、微笑ましい。


 陸はチョーキングが上手いな。

 さっきから二人でユニゾンする所も、陸の方がちゃんと音が上がり切って綺麗だ。

 そういう所を学ぼうとしているのか…

 千寿も回を重ねるごとに上手くなっている。


 千寿は…父親がギタリスト。

 浅井 晋。

『血』で何かが伝わるとしたら…千寿は少なからずとも、一音一音丁寧に弾く所が晋と似ている。

 さっきは『誤魔化した』と言っていたが…

 あんなに綺麗に誤魔化せるもんか。

 陸にも分からないほど、音数を多く弾いただけだ。


 タイプは全く違う二人だが…刺激し合っていいものが生まれている。



「あ。」


「あー。」


 陸の弦が切れた所で、やっと…二人の白熱した弾き合いが終わった。

 …一時間以上弾きっ放しだったな。

 て事は、俺もそれに付き合ったのか…



「えっ…」


 やっと俺に気付いた千寿が、振り返って固まった。


「た…高原さん…いつから…」


「えっ!?あっ!!」


 千寿に続いて、陸も気付いた。



「…なかなか面白かったが、少しは指を休めてやらないと、息の長いギタリストにはなれないぞ。」


「あ…はは…ちょっと、燃え過ぎました。」


「そのようだな。ほどほどにしとけよ。」


「はい。」


 二人は立ち上がって俺にペコペコと礼をすると、ギターを持ってそそくさと逃げて行った。


 …何も逃げる事はないだろ。


 * * *


「まこ。」


 SHE'S-HE'Sを一人一人面談するわけじゃないが…何となく、個別に話を聞きたい気がして。

 八階のスタジオに、一人でいるまこを見付けた俺は…


「邪魔していいか?」


 スタジオの入り口で聞いた。


「いいですよ…って…僕、これ組み立てるけど…やっちゃってていいですか?」


 そう言って、まこは床に並べた機械を指差した。


「…これは?」


「こっちの機械と、これを繋げて、これでこう操作をしたら知花の声でコーラスパートが流せるんです。」


「…ほお…」


 俺達の時代にはなかった頭だ。

 まこは色んな事を勉強するし、色んな事に詳しい。


 床に座り込んだまこの向かい側に、俺も腰を下ろす。


「バンドは楽しいか?」


「楽しいですよ。」


 あまりの即答具合に、笑いが出た。


「…おまえがこんなに立派になるとはな…」


 つい、しみじみ言ってしまうと。


「えー?どうしたんですか?僕、まだ何もしてないのに…」


 まこは、困ったような顔をした。


 …この顔、見た事あるぞ。

 Deep Redの…ラストツアーの時だ。

 ホームシックになって、駄々こねて…さくらに懐いて…さくらから離れなかった時に見た顔だ。



「…まこ。」


「はい?」


「俺らのツアーについて来た時の事…覚えてるか?」


「……」


 俺の問いかけに、まこはドライバーを手にしたままキョトンとして。


「んー…んんー…」


 次第に、眉間にしわを寄せて…


「ごめんなさい。ギブアップです。」


 目を白黒させた。

 …まあ、仕方ない。

 あの頃、まこはまだ三歳…



「お待たせ、まこちゃ……あ…」


 不意にスタジオのドアが開いて、知花が入って来た。


「思ったより早かったね。」


 まこが知花に言うと。


「あ…うん…えーと…昨日はご馳走様でした。」


 知花は、俺に頭を下げてそう言った。


「いや、食った気しなかっただろ。」


「いえ、そんな…」


「二人で作業する約束だったのか?邪魔か?」


 俺がまこに問いかけると。


「二人で作業って言うか、知花がいないと出来ないんですよ。」


 まこが笑いながら言った。


「ああ…知花の声を取り込むのか?」


 仕組を聞いて、そう言うと。


「ううん…配線が僕じゃ分からなくて。知花先生に教えてもらうんです。」


 まこが…意外な事を言った。


「…知花先生?」


 知花を振り返ると。


「あ…なぜか無駄に知識があって…」


 知花は苦笑いしながら、まこの隣に座ってドライバーを手にした。



 それから俺は、少し不思議な光景を目にした。



「この青く光る所から信号が出るの。」


「ふんふん。なるほど。」


「で、こっちの赤い線と黄色い線がアウトだから、キーボードに繋げて…」


「へー…じゃ、青い線をインプットに入れても、こっちの変換機はONにしなきゃ邪魔にならないって事?」


「そう。正解。」


「え?じゃあ、こっちはもうバラさなくてもいいわけ?」


「そうだね…基盤は半田ごてで固定しちゃおうか。」


「オッケー。これでいい?」


「うん。じゃあ…行くね。」


「……」


 二人の会話を聞きながら…

 二人の手元を見ながら…

 まだ17歳の二人が目の前で繰り広げている技術ショーを、俺は無言で眺めるしかなかった。

 しかも、知花はピンセットとドライバー、そして…今は半田ごてを手にして、小さな基盤を固定している。


 …何者だ?



「わー、完成ー。」


 まこがそう言って、知花がパチパチと拍手をする。

 …何とも、気の抜けるような空気の二人…


「ちょっとアンプ通してみる?」


「みるみる。」


 二人は俺の存在を忘れているかのように、ワクワクした顔でキーボードをアンプに繋げて…


「じゃ、ONにして弾いてみるね。」


「うん。いいよ。」


 まこが鍵盤に指を落とすと…


「おっ…」


 つい、声が出てしまった。

 知花の声…とは言えないが、知花に似た声が…

 確かに、今やバンドもコンピューターを導入する時代。

 一般的には珍しい事ではないが、まさか高校生が『有る物』で作るとは…



「…どうやって思いついた?」


 知花に問いかける。


「え…っと…キーボードの雑誌で、ナオトさんの特集が組まれてた時に、使用されてる機材一覧が載ってて…」


 …確かに、ナオトは今も鍵盤雑誌によく載る。


「それで…その機材の事をさらに詳しく、まこちゃんから聞いて…」


「聞いて?」


「作れるかも。って思ったんです。」


「……は?」


 作れるかも…って思った?

 俺が呆れた顔をしてると。


「ビックリでしょ。でも知花といると、何でも出来る気がしてきちゃうんですよね。」


 まこが笑った。


 …なるほど。

 桐生院知花。


 …なかなか、おまえは…奥が深いな。

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