第13話 「行って来ます。」

 〇東 朝子


「行って来ます。」


「いってらっしゃい。」


 …最近、映は…なんていうか…


 元気…だ。


 DEEBEEを脱退して、まだ次のバンドが決まってなくて…

 だけど毎日事務所に行ってる。

 一時期より笑顔だし…

 何より…

 自分でも思うけど…少し不安定なあたしのためなのか…

 すごく…すごく細かく、連絡を入れてくれるようになった。



『事務所ついたー。今日人少ねー』


『今からスタジオ入る。基礎からやる』


『弁当マジ美味かった。サンキュ』


『今から上層部と話し合い。食らい付くぞ』


『今日もF'sにフラれた。でも諦めねー』


『今から帰るぜ。外さみー』


 あたしは返信できない時もあるし…いいよって言ったんだけど。

 映は…


「俺がしたくてやってんだ。朝子は返信しなくてもいーよ。」


「…どうして?どうして急に…」


「どうしてかな。強いて言えば…」


「……」


「俺がその瞬間に何してるか、何を思ってるか、知って欲しいってだけかな。」


 その言葉に…あたしは…泣いた。

 だから…


『お店についたよ。今日も頑張る』


『休憩中。おかみさんが、冷凍みかんくれた♡』


『終わったー。買い物して帰るね』


『今夜はお鍋にするよ』


 あたしも、メールした。



 今まで、自分の事を知って欲しいって気持ち…湧かなかったと思う。

 どちらかと言うと…

 知られたくない事が多かったかも…


 だけど、それは『出来事』であって…

 あたしの想いや内面は…知ってもらわなくちゃだよ…


 うん…

 知って欲しい…



 こうして考えると、結婚の時期が遅れたのは良かったのかもと思う。

 あたし…海くんの時と同じ過ちはしたくない。

 映に…ちゃんとあたしの事知った上で、それでも好きだって思ってもらいたいから。


 だから…

 早く…

 この傷も、捨てなくちゃ。


 …そう思うのに。

 あたしの決心は、なかなか…着かなかった。



「はっ…」


 あたしは厨房から出かけて、慌てて体を引っ込めた。


 く…紅美ちゃんが来てる!!


 …そう言えば、紅美ちゃんのバンド…年末に帰国したんだっけ…

 沙都ちゃんが脱退して、大変な事になってる…って映から聞いた。



 紅美ちゃんは…男の人と一緒だった。

 二人がお会計を済ませて外に出たのを見て、あたしも…そそくさと裏口から出る。


 別に…紅美ちゃんには、もう…バレてもいいんだけど…

 ずっとコソコソとここで働いてたのがバツが悪くて、何となく言いづらい。


 お店のかげから、二人を見守ってると…


「…!!!!!!!」


 男の人が、紅美ちゃんの手を取って…自分のコートのポケットに入れた!!

 それだけでも、驚きのあまり自分の口をふさぐだけで精一杯だったのに…


「い…!!!!!!!」


 今度は…抱きしめた!!


 なんで!?

 紅美ちゃん…

 映は、紅美ちゃんは沙都くんと付き合ってるって言ってたけど…

 海くんとは!?

 そして…この男の人は!?



「……」


 紅美ちゃんは…泣いてるみたいだった。

 その紅美ちゃんの頭に、男の人は顎を乗せて…何かつぶやいてる。


 ……そっか。


 紅美ちゃんは明るくて、頭もスタイルも良くて…何でも持ってる。

 だから、海くんは紅美ちゃんを好きになったって思ったし…

 全部持ってるんだから、海くんまでとらないで。って思ってた。

 だけどそれは…全部あたしの思い込み。


 空ちゃんも言ってた。

 紅美ちゃんにも色々あって…って。

 立ち直ったって聞いてたけど…やっぱりまだ辛い事が色々あるんだ…



 あたしと最後に会った時、紅美ちゃんは海くんとの別れがすごく辛かったと言った。

 うん…別れは…辛いよ…

 あたし、映とダメになるかもって思った時も…上手く息が出来てなかった気がする。

 それぐらい…苦しい事だよ…



 紅美ちゃん…

 海くんと…どうして結ばれなかったの…?

 バンドで渡米したって聞いた時…チャンスが来たね…って…

 静かに思ってたのに…



 * * *


「お疲れ様でしたー。」


「また明日。」


 今日はバレンタインデー。


 早番だったあたしは、この足でチョコレートを買いに行くつもり…

 だった…んだけど…


「……」


 店を出てすぐ。

 見覚えのある人が、あたしの前に立ちふさがった。


「……」


 え…えー…と…

 あ、あたしが左に寄ればいいんだ。


 そう思って、道の左端を歩くと…


「……」


 その人は、あたしの前に仁王立ちした。


「う…」


 つい、眉間にしわを寄せて見上げる。


「この前、俺と紅美がいちゃついてるの、コッソリ見てたよな。」


「えっ…」


 こっ…この人だったの!?

 なんで!?

 なんで知ってるの!?

 あたし、ちゃんと隠れてたのに!!


「え…み…見てたって言うか…偶然…」


「ほんとか?他意はないのか?」


「た…他意って…そんなのっ、ないです…!!」


 なっ何なの!?


「ふーん。ならいーや。」


「…え?」


「ここで働いてんのに、紅美に言ってねーみたいだからさ。何か企みでもあんのかと思って。」


 えっ!!

 なんで知ってるの!?


「なんで知ってるの?って顔してるな。」


 え…エスパー!?


「志麻の妹だろ?」


「そ…」


 そこまで知ってる!?なんでーーーー!?


「俺、咲華の双子の兄。」


「え!?」


 あ!!

 そう言えば…


「そ…そっくり…」


「そっくりなのに、分からなかったんだな?」


「う…は…はい…」


「ほんとに志麻の妹かよ。」


「…す…すみません…」


 ズキズキする。

 この人…す…すごく…

 ストレートだ…。



「で、海の許嫁だった、と。」


「……」


 ズキズキ…


 …え?


「…海?」


「あー、ダチだからな。」


「…ダチ…」


 あたしは、少しポカンとしたかもしれない。

 海くんに…そういう人…いたんだ…

 しかも…

 お兄ちゃんの彼女の…双子のお兄さん。



「海とは、向こうで一緒に暮らしてた。」


「……」


 あたしは口を開けっ放しにしてたかもしれない。


 海くんが…

 二階堂以外の人と…共同生活?



「あいつ、変わったよ。」


「…紅美ちゃんとは…」


「紅美とは、お互いちゃんと終わらせたみてーだ。」


「……」


「あんたは変わらなくていーのか。」


「え…?」


「この店、稼ぎ時は厨房以外も忙しいの、分かってんだろ?」


「……」


「その傷のせいで前に出たくないのか、前に出たくないのをその傷のせいにしてるのか知らねーけど…」


 ズキズキ…


「二階堂を出たのに、何も変わってないんじゃねーの。」



 …仕事は順調。

 映とも…順調。

 そう思えてたのは…あたしにとって、快適な環境が揃ってるから。


 お店の…しかも厨房だけと、部屋の往復。

 たまには帰って来いと言われても、二階堂の人達に顔向けできないからって一度も帰らない。

 嫌な事には背中を向けて…気付かないフリしてる。


 …この傷だって…

 どうして…治す踏ん切りがつかないのかと聞かれると…

 あたし…もしかして…

 海くんの事…


 恨んだままなのかもしれない…。



 〇あずま えい


「映。」


 呼ばれて顔を上げると、エスカレーターの上でノンくんが俺に手招きしてた。


 イトコであり…ライバル。

 今の所、俺を一番刺激する存在だ。



「今、無職なんだっけ?」


「…気にしてんのに…」


 目を細めて唇を尖らせると。


「ははっ。おまえ、なんかキャラ変わったな。」


 ノンくんは口にナイフを持つ男の息子とは思えない、優しい顔をした。


「そっかな。」


「それに顔色もいい。」


「あー…食生活充実してるからな…」


 ノンくんと並んでスタジオの空き状況を眺める。


「さっき彼女に会った。」


「彼女?」


「おまえの彼女。」


「…朝子?」


「ああ。」


 意外な事を言われた気がして、ノンくんをマジマジと見る。

 華月がいくら家族仲が良くても、俺と朝子の事を誰かに話してるとは思えない。


「顔見知りだったっけ?」


「妹の婚約者の妹。」


「…ややこしいな。」


 ちょっと…ドキドキした。

 ノンくんは…色男だ。

 朝子…好きになったりしてねーよな…



「でも、俺に会ったのを映に言うなって口止めしてるから、おまえも知らん顔しててくれ。」


「え?」


 ノンくんの言ってる事が謎だったが…


「昨日、学に会ってさ。」


「うん。」


「色々話してる内に、映が渉さんに会いたがってるって聞いて。」


「…ああ。」


 そう。

 俺の会いたかった『わっちゃん』こと、朝霧渉さんは…なかなか連絡が取れなかった上に、やっと連絡が取れた時…


『申し訳ない。今から飛行機に乗るんだ』


「え?どこかへ出張ですか?」


『アメリカに三年間』


 …タイミングが合わなかった…



「それで…渉さんに聞きたかった事は?」


「は?」


「俺が知ってる事なら、俺が答える。」


「……」


 思いがけない言葉。


「でも、ノンくんは…朝子が怪我をした理由…知ってんの?」


「ああ。知ってる。」


「え…っ…」


 まさか…

 ノンくんから真相を聞く事になるとは…



 俺はスタジオに入るのを辞めて、オフだと言うノンくんとDANGERのプライベートルームに。


「朝子ちゃんの怪我は、海を庇って出来たってのは知ってんだろ?」


 …海?

 ノンくん、許嫁の事…知ってんだ?

 そう思ったけど、そこは聞かなかった。


「うん。」


「で、なぜ海ほどの人間が、朝子ちゃんに庇われなきゃいけなかったか、と。」


「そう。何か他の事に集中してたからだろ?」


「そうだな。海の前に紅美がいたから。海は紅美を守ろうとした。」


 ドクン。


 心臓が…大きく揺れた気がした。


「……嘘だろ?」


「ほんとだ。朝子ちゃん、何も言わなかったか?」


「…聞いてない。」


「そうか。それはなかなか潔いな。」


「…許嫁…紅美…と?」


「ああ。付き合ってた。」


「…イトコ…だよな?」


「関係ねーだろ。」


「……」


 色んな感情が出かけた時…


「言っとくけど、その時は許嫁って括りもなくなってたし、海も紅美もフリーだったからな。」


 ノンくんがキッパリ言った。


「…でも」


「その怪我で、朝子ちゃんは海を手に入れた。」


「……聞こえの悪い事言うな。」


「でも本当だ。」


「……」


 この傷のおかげで、手に入れた物があるの。



 朝子の声が…

 とても悲しく思い出された。



「…朝子は、知ってたのか?紅美と…許嫁が…」


「事故の後で知ったみたいだぜ。」


「……」


 …いくら、許嫁って括りがなくなっていたとしても…

 長年、その相手が生涯の伴侶と思い育って来たとしたら…

 きっと、朝子には気持ちが残っていたはず。

 あいつは、そんなに切り替えが上手くない。



「…紅美と付き合ったものの…」


 ノンくんは少しトーンを落として。


「結ばれるわけがない。って事に…すぐには気付かなかったみてーなんだよな…海のやつ。」


 指を玩びながら言った。


「…結ばれるわけがない?」


「二階堂のトップだ。海か紅美、どちらかが全てを捨てなければ…無理な話だな。」


「……」


「海は紅美から歌を取りたくなかったし、紅美は海に二階堂を捨てさせられなかった。」


 …そうなると、朝子は許嫁として適任だったってわけか…


「…なんでノンくん、俺に…こんな事?」


 ギターを手にしたノンくんの問いかけると。


「俺、紅美の事好きなんだよなー。」


 さらっと告白された。


「…イトコ…だよな?」


「関係ねーし。」


「……で?」


「あいつには、笑ってて欲しいんだ。」


「……」


「学に話を聞いた時、映はいずれそこまでたどり着くかなと思ったら…曲がった話を聞くより、俺から言いてーなと思った。」


「…いつから紅美を?」


「ガキの頃から。」


「…付き合いたいとか…」


「ま、欲がないわけじゃねーけど、紅美が笑ってるなら誰が隣に居ても構わねーよ。」


「……」


 ノンくんが…すごく大きく思えた。

 そして、紅美は…ずっとそういう見えない物に守られている気もした。



 俺も…朝子に笑っていて欲しい。

 だが、真相を知りたい理由は…もう、好奇心と意地だけだったかもしれない。


 朝子の顔の傷…

 あれが、許嫁を庇って出来た物で。

 朝子がそれを持ち続けている事。

 …まだ、許嫁から気持ちが離れてないんじゃないか…って。



「…どうしたら、ノンくんみてーに大きく構えられるのかな。」


 小さくつぶやくと。


「ははっ。大きく構えてなんてねーよ。言い換えたら臆病なだけだ。」


 ギターは、『Lovely Days』を奏でてる。



「きっと、朝子ちゃんはおまえより自分の傷を見てない。」


 …確かに…

 俺は朝子の顔を見るが…朝子は鏡を見なきゃ…傷は分からない。


「俺も今日見たけど、さほど気にはなんねーよな。」


「…ああ。」


「でも、朝子ちゃんの中では、あの傷は俺達が見てる物より大きくて、すげー醜く感じてんだよ。」


「…解放してやりてーんだけど…」


 俺の言葉に、ノンくんはバンバンと俺の背中を叩いて。


「やりてーんだけど?」


「……」


「やれよ。」


 そう言った後。


「まずは、早く就職しろ。」


 俺が気にしてる事を、笑いながら言った。



 …さすが、神千里の息子…。



 〇ひがし 朝子あさこ


 顔の傷の事を…お兄ちゃんに相談した。

 先生が手術においでって言ってくれて、後はあたし次第って。


 お兄ちゃんは、あたしのしたいようにすればいいって言った。


 …そうだよね…

 決めるのは自分だもん。


 ただ、旅費や滞在費、医療費は気にしなくていいって言われた。

 あたしだって働いてるし、昔から…お金なんて使う事のない生活だったから、コツコツ貯めた物がある。


 そう言うと…


 …きっと、海くんが自分が払うって言うに決まってる…って。


 そっか…。

 やっぱり、周りも、海くんも…

 あたしの怪我は、海くんのせいって思ってるんだよね。

 あたしが勝手に助けただけなのに。



 ただ…

 いつ手術を受けよう。

 なかなか…その踏ん切りがつかなかった。

 それに、映にも…まだハッキリ相談してないし。


 今のままでいいって言ってくれてた映に、手術を受けるって言うのは…どうなのかなって気持ちがあって。


 …ダメだな…


 店の事も…あたしはいまだに厨房のみ。

 言われた途端、少し怖くなったから…。

 あたしは確かに、全部を傷のせいにしてる。

 便利に使ってしまってる。

 だから、手放せないんじゃないの…?



「朝子!!」


 早番で、店を出て歩いてると、映の声が聞こえた。


「…映?どうしたの?」


 映は…走ってあたしの前まで来ると。


「F's決まった!!」


 そう言って両手を広げて。


「決まったんだ!!」


 あたしを抱きしめた。


「え…っ、F'sって…」


「あのF'sだよ!!俺、あのF'sのベーシストになるんだ!!」


 ギターは映のお父さんで、ボーカルは、華月ちゃんのお父さん。

 ここ数か月、毎日のように聞いてた名前『F's』…



「良かった…映、良かったね!!」


 ギュッと映を抱きしめ返すと。


「これで前に進める。」


 映はあたしの目を見つめて。


「朝子、結婚しよう。」


 以前も言ってくれたのに…

 まるで、初めてみたいに言ってくれた。


「…うん…でも…うちの親…」


「手強い方が落とし甲斐がある。」


「……」


「あー…入らせてくれってしつこく言ってきたし、強く願ってはいたけど…夢みてーだ…」


 映はそう言って、青い空を見上げて。


「ちくしょー…なんていい日なんだ。」


 嬉しさを隠しきれない声で言った。


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