第4話 科学者の男
世界の理を保つために、幼いながらも暗殺に使われていたアースをしのびなく思った科学者の一人は、アースを連れ『長寿の主』たちから逃れ西の果ての地にたどり着いた。
着いたと言うよりは、科学者が自らの大それた行動と、世界の全てを支配する彼ら『長寿の主』に恐れ、未来を絶望視し、ここに向かっていたのかもしれない。
死を目指す者が歩いていく場所、最果ての地へと。
科学者は小さなアースの手を引き、たいした荷物も持たず、何日も砂漠のような土地を歩いていた。
食料が尽き、すぐに水も尽き、それでも今までこの地に向かった生物達と同じように、科学者はさらなる西を目指した。
いや、正確には目指している自覚すらなく、ただ足だけが西へと進んでいる様だった。生命の限りに。
熱された砂地へ引きずるような足跡を付けて進む最中、突然アースが歩くのを止めた。
手を繋いでいた男の体は、小さな手に引っ張られて静止する。
何故アースがここで止まったのか、男にはわからない。なんで歩いていたのかも忘れたのに、進まなくてはという思いが浮かぶ。
「水が必要です。ここは水が出ます」
砂の、砂ばかりの地面を指差して、男の腰ほどにしか背のないアースが言う。
水。ナゼ水がいるのか。
そんなことより、先に進もうとする科学者の手をアースは放さなかった。
片手を握ったまま、反対の手を背中に回し、バックパックから金属でできたホース状の物を取り出す。
それを地面に突き立てるとアースは瞳を水色に光らせた。
『――――――っ』
人には聞き取れない言語で何かを唱えると、金属のホースは長く伸びながら地中へと掘り進んでいく。
地上から見ているだけでは何が起こっているのかわからない。しかしすぐに、シューという音と共に、金属のホースからはわずかばかりの水が湧き出した。
初めは泥の混ざっていたそれが少しずつ溜まると共に澄んでいく。
砂地の上にキラキラと光る水面を見た瞬間に、科学者は我を忘れて飛びついた。
深いとは言えない水溜まりに顔を突っ込み、息の続く限りがぶ飲みした。
砂が口にはいるのも構わず腹が落ち着くまで飲み続けた。
人の息はそんなに続かない。男はほどなくして我に返った。
男のすぐ横にアースは立っていた。
身動きひとつせず待っていたらしい。
見た目は6、7歳の子供だがその顔には表情というものがない。
金色の髪は光を反射し透き通り、まるで太陽の光そのもののように輝いている。宝石をはめ込んだような青い瞳は真っ直ぐに前を見ていて、その顔立ちは美しく整っている。
ただ立っている姿だけを見れば人形とみまごうものだ。
「アース」
科学者が呼べばアースはその視線を向けた。
やはりどこか人形に見つめられているような感覚に男は背筋がゾワリとさせた。
その瞬間、アースの瞳が光った。フラッシュのような明るいものではなく、青い瞳が水色に見えるだけの小さなランプの明かり。
「意識レベル回復。生命活動異常なし。体内養分低下中」
そう言うとアースはバックパックの中から小さな包みを取り出した。
片手に収まるその包み紙を剥がし、中から半透明の結晶のような物を一つ出す。
それを、アースは科学者に差し出した。
科学者はそれが何であるかを知っていた。
糖分に塩分とビタミンなどの生命維持に重要な物を練り込んで結晶化した、いわば非常食だ。
奪い取るようにそれを掴み口に運ぶ。
男の口の中に唾液が溢れて、甘い豊かな香りが鼻を通り抜けた。
栄養重視で考えられた非常食がおいしいはずがなかったが、心底うまいと、科学者はそう感じていた。
知らず、男の目からは涙が溢れ出た。
こんな所に来てしまった事にか、こんな事態になってしまった事にか、たくさんの事項がありすぎて、思考が追いつかないほどの混乱が男の頭をよぎる。
「生命活動異常なし」
瞳の奥をチカと光らせてアースが言った。
その姿に科学者は何かを感じた。たくさんの頭の中の考え事が集約されていくかのように、目の前の小さな子供に意識が戻った。
この子を助けるためにあそこから逃げだしてきたのだ。
今までの人生全てを捨ててまで、男の良心の限界を超えることがあの場では起こっていた。
「疲労蓄積、休息が必要です」
アースはバックパックから薄っぺらいシートを取り出すと砂地に敷いた。広げて1畳ほどの広さ。大人が横になれる程度はある。
アースは科学者の手を握ると軽く引いた。
「休息が必要です」
また、だ。
科学者は確信した。アースをここまで育てた自分が知らないわけがない。
アース達は必要なことでも、求められなければ一度しか言わない。
二度目の発言は、……アースの意思だ。科学者はそう悟った。
言葉は科学者達が覚えさせた。使い方すら制限したのだ。
『生命活動異常なし』、科学者が元気かどうかを二度確認した。『休息が必要です』、……休めと、そう言うのか?
うぬぼれかもしれない、勘違いかもしれない。でもおそらくそうなのだと科学者の胸の内が囁く。
気付けば、科学者は小さな子供に抱きついていた。大人が寄りかかっても微動だにしない子供。
それでも、それが愛しく思えて。そんな感情の残っていた自分に安堵して。
自分の行動を理解する前に、科学者はまた涙を流していた。
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