第21話 波

「嫌な臭いだ」

薬品のような、ヘドロのような。鼻をつく臭いが、強さを増した。

『きゃあああ』

遠くで、複数の人の叫び声が聞こえた。声は反響しており、方向がわかりにくい。アムールトラたちは耳をすますと、音の芯を捉えて走りだした。

「そこを左」

隔壁は開いている。BSL-4に相当する施設だが、これではなんの役にも立たない。

「それほど、慌てて逃げる必要があったのか」

隔壁の奥の暗闇に、目を凝らす。僅かな空気の動き。何かが近づいてくる。

「それ、閉められます?」

「やってみる」

既に漏出はあったかもしれない。だが、今から追っても間に合わない。それより、近づいてくる脅威を外に出さないことの方が重要だった。

「外の方は、ジャガーたちに任せましょう」

ヘビクイワシは軽くアップライトに。アムールトラはややクラウチング気味に構える。

「!」

ざわざわと、まるで波が押し寄せるように、水の粒のように。それは通路の天井に届かんとする、埋め尽くすほどの小型セルリアン群だった。

アムールトラの拳が、ヘビクイワシの蹴りが数体ずつを粉砕するが、なすすべなくセルリアンの波に文字通り呑まれた。本当に溺れたかのように、息も吸えない。まとわりつき、体毛を嬲っていくセルリアンが気持ち悪い。

アムールトラは手足をバタバタと振り回し、セルリアンを引き剥がそうと必死でもがく。肺が焼けるように熱い。身体が酸素を欲している。とにかく上だ。アムールトラはセルリアンを掻き分け、天井近くの空間に顔を出すことに成功した。

「ぶはあっ」

息を吐き、大きく異臭放つ空気を吸い込む。セルリアンの水位はどんどん上がる。押し寄せるセルリアンに終わりがないのかと思ったところで、セルリアンの波が突然止まった。

「こん畜生」

水と違ってセルリアンは固体だ。身動きは取れない。流動性のあったさっきまでの方が身体は動かせた。

「だったら!」

拳に念を込める。野性解放してはいけない。だが、その手前まででコントロールできれば。

「おおおお」

体内のサンドスターが、次第に振動していくイメージ。ブラウン運動のように。振動が波になるように。微細で高速な振動が、セルリアンの固有周波数を捉え、破壊するように。

「うあああああっ」

それは最初、僅かな動きだった。アムールトラの周囲のセルリアンが、揺らめくように見える。揺らぎは次第に大きくなり、一定の限度を超えたところでいきなり、ひび割れた。あとは連鎖的に破壊が広がっていく。

「アムールトラ、お前」

ようやく顔を出せたヘビクイワシは、目を見張る。

「石を狙ったわけでもないのに…」

対セルリアン戦に於いて、弱点である石を狙って攻撃するのは、セオリー以前に絶対だった。他のところをいくら攻撃したところで、足止め程度の効果しか望めない。それが常識だ。だが、今のこの光景はなんだ。

「行きましょう」

ある程度破壊が進み、セルリアンの水位が下がったところで、セルリアンの上を歩き出す。アムールトラが一歩ずつを踏み出すたびに、数十の小型セルリアンが消滅していくのを、ヘビクイワシは茫然と見送るしかなかった。

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