第196話「わたしと世界を救う人」
わたしはココハを連れて逃げていた。とにかく、スケルトンのいない場所まで走るしかなかった。囲まれて身動きが取れなくなった時、レイトの声が聞こえた。
「マキア! 救援が来てる!」
北西の方角に人影が二つ見えた。わたしはそれが誰なのかも考えず、無我夢中で救援という言葉を信じてその人たちの元へ走った。
「アカン! マキアさん! そっちに行ったらアカン!!」
メリカがそう叫んだことでわたしは後ろを振り返ってしまった。その間にも二つの影はわたしとココハに近づいて来ていた。再び向き直った時にその人物が誰なのかに気がついた。赤い刺繍の入った黒いローブ……アムリス神殿の手の者。その手には細剣が握られていて、その剣先はわたしを捉えていた。
『君たちは思いもよらぬ所からの攻撃を受ける。それは君たちが守っているはずの背後から。そして……マキア、君はそこで命を落とすことになる』
頭の中に声が響いた。それがわたしの感じていた予感の正体で、ここで終わってしまうのだという確信に変わっていった。それでも無抵抗のまま殺されるのは嫌……許されないと思った。最後の瞬間まで諦めたらいけないのだと、そう約束したことを思い出す。わたしの左肩へ細剣が伸びてくるのを必死に体を捻って避けようとした。それでも延命できたのは一瞬だけ……すぐに追撃の手が伸びてくる。
「うっ…………!?」
ザシュ……と刃が腕を貫通した……わたしの目の前で。黒いローブの刺客の腕にはどこかから飛んできた刀が突き刺さっていた。その刀を……わたしは知っている。
「……殺らせはしない!」
その声をわたしは知っている。高ぶっていく気持ちを抑えることができない。今の今までどうして忘れてしまっていたのか……わたしは声のした方を見て彼の姿を探す。駆け出した彼はまっすぐに刺客へと迫る。わたしはその姿を夢中になって目で追いかけた。でも、すぐに手を引かれたことで見失ってしまう。
「…マキアさん、こっちに!」
「ココハ?」
「…
ココハが精霊魔法を使って身を守り、わたしもその中へと入っている。
再び前方を見ると彼は武器を持たないまま、もう一人の刺客へと向かっていき細剣を抜いた腕を取り押さえている。腕に刀が刺さっている刺客へは、わたしたちの横を通り過ぎていったレイトが向かっていく。躊躇うことなく剣を振って刺客を斬り伏せると、腕に刺さった刀を抜いてこう叫んだ。
「ナナトさん!」
そう言ってから投げた刀を彼は刺客から離れて受けとると、両者が同時に攻撃へと移った。倒れたのは……刺客の方だった。しばらく沈黙の時間が続いた。それまでとは打って変わり、降り続いていた雨も止み……ヨクア荒野の空に浮かぶ雲の切れ間からは太陽の光が射し込んできた。わたしは彼の後ろ姿から目を離せなかった。どうして彼がここにいるのか、どうしてまた思い出すことができたのか……聞きたいことはたくさんある。だけど……。
「ナナト……さん?」
呼びかけると彼が振り向く。
「マキア……間に合った!」
そう言って笑顔を見せてくれたのは、わたしたちの先生……
「ココハちゃん、もう大丈夫だよ」
「…はい」
その瞬間、わたしは後ろからメリカに抱きしめられた。びっくりしたけど、恐怖で震えていたのが分かって、自分が生きていることを改めて実感した。
「ナナト先生、おかえりやぁ!!」
「……ああ!」
「…………」
「ナナトさん……なんですよね?」
「ははっ、他の誰に見えるんだ?」
「そうですよね……ははは」
「…ナナトさん」
「ココハちゃん、マキアを守ってくれて……ありがとう」
「…はい!」
「……マキア」
ナナトさんがわたしの名前を呼びながらそばに来てくれた。
「ナナトさん……」
「マキア、君を救いにきた」
その言葉を聞いた途端、わたしは涙で何も見えなくなった。いろんな感情が爆発したようにわたしの胸を熱くした。そんなわたしの髪にナナトさんの手が触れ、ゆっくりと頭を撫でてくれた。それが堪らなく心地よくて嬉しかった。
「ナナトさん、戻って来れたんですね? 何か突然、いろんなことを思い出すように記憶が巡ってきて……ナナトさんのこととかいろいろ」
「一度、この世界から引き剥がされた時におれの存在はみんなの記憶から封印されたみたいだね。でも、再びこうして戻って来た時にそれもまた解かれたみたいだよ」
「えっと……どうやったんですか?」
「話すと長くなっちゃうかな。簡単に言えば……おれが世界の管理者を裏切ったってことかな」
「…………」
「ははっ、分かんなくていいけどさ。とにかく時間もないし、やることを先に済ませないとな」
「やること?」
「ああ、竜人族の王を倒す」
ナナトさんははっきりとそう言った。
「おれをここに連れてきてくれた者との約束なんだ。
「……でも、俺たちの戦力じゃ」
人間族の戦力はもう心許ない。亜人族のオーガが救援に来てくれたとはいえ、竜人族だけではなく不死族も相手にしている。三つ巴の戦争になってしまっているから。
「不死族はこちらから手を出さなければ襲ってくることはないよ。彼らには竜人族を相手にする力がある。ドラゴニュートも人間族よりもスケルトンたちを優先して狙うはずだ」
そういえば……さっき現れたドラゴニュートはわたしたちには構わずにスケルトンを攻撃していた。
「上位五種族にはそれぞれ相性がある。天使族には、悪魔族と不死族を倒す力が。悪魔族には、天使族と不死族を倒す力。不死族には、竜人族と巨人族を倒す力。竜人族には、悪魔族と巨人族を倒す力。巨人族には、天使族と竜人族を倒す力が、ね」
「それってつまり……」
「竜人族にとって不死族は苦手な相手なんだ。下位五種族の人間なんて相手にしていられないくらいにね」
今の状況は人間族にとってこれ以上にない好機ってことみたい。わたしたちは戦場から逃げ出そうとしたけど、それは間違いで……。
「
「ナナトさん……」
「マキアを死なせたりはしない。竜人族に敗北し、天使族が管理する世界にもしない。おれはこの世界を壊してでも、君たちが君たちのままで居られる世界を創る」
この人は理想を口にするだけの人ではない。それを実現させるだけの力を持った人。そして、わたしたちにはナナトさんの言葉に異を唱えるような力もない。
「だけど、あまり時間がないのも事実だ。マキアの代わりに他の冒険者が狙われ、紋様が赤く染まってしまう者が出てくるかもしれない。それを神殿の人間に知られる前に……決着をつける」
「……ふぅぅ。ナナトさん、俺たちも協力します! 手伝わせてください!」
「ああ。
そこでナナトさんは、わたしたちのパーティーに起きている違和感に気づいたみたい。
「……ブレンはどうした? ここにはいないのか?」
「ブレンは……すみません。もう……」
「そんな……はずは。おれが改変できるのはマキアに関わる事象だけのはずだ。ブレンの生死を変えるほどの力なんて……」
「うち……うちは……」
「ナナトさん、メリカがブレンの妹だと知っていましたか?」
「ブレンの……妹? 兄妹だったのか?」
「はい……そうみたいなんです」
ナナトさんも知らない事実がここにはあった。それはナナトさん自身が話してくれた物語通りに世界は進んでいないということ。そして、ナナトさんという人物が、たとえこの世界から弾き出されたとしても、世界の力というもので矯正させられることもないということ。
「この世界は……もうそこまで壊れていたのか……おれという存在のせいで」
ナナトさんの表情が曇る……でも、すぐに顔を上げる。
「それでも、おれは止まれない。いや、だからこそやり遂げないといけない。この報いを受ける前に、力ある者たちに支配されるこの世界を……人間族が生きていける世界にするために」
ナナトさんはもう……わたしの為だけじゃなくて、全ての人間族の為に戦おうとしている。わたしたちは仲間一人の命も救えず、逃げ出すことしかできなかったというのに。
「ナナト先生……ごめんなさい。うちは……」
「…………」
「すみません、ナナトさん。メリカはもう……戦うことはできそうになくて」
「……いいんだ。ごめんね、メリカちゃん。おれは何も知らなかった。ブレンにも……的外れなアドバイスをしちゃってたみたいだ。それでも、伝えておくべきことは伝えておくよ」
「……?」
「ブレンは……君のお兄さんは、メリカちゃんのことを本当に大切に思ってた。その気持ちだけは忘れないであげてくれ」
「……はい、ですぅ」
「それで……ナナトさん。メリカをこのまま置いて行くわけにもいかなくて。せめて王国軍に協力を仰いだりして……神殿側には連れて行けないので」
「……そうだな。だけど、王国軍だって信用できるのか?」
「それは……」
アムリス神殿よりは……というだけ。わたしたちは王国軍のこともほとんど何も知らない。それに、
「ええよ、うち……一人でも逃げられる」
「ダメだ。今の状態のメリカを一人にはできない。いや、どんな状態だって同じだ。仲間を一人で行動させるなんてできない」
「でも、うちは……」
「待った。誰か来る」
ナナトさんがそう言って、みんながその視線を追う。ここから南東の方角で戦っていた王国ギルドの冒険者の二人。開戦前にレイトとココハに会いに来ていた二人組だと思う。
「レイト!」
「クテルさん! イングラさん!」
「無事か?」
「えっと……」
「確かコイマの森で会った冒険者の?」
「ん? ああ、魔獣の毒にやられてた……」
「ナナトだ」
「クテル。こっちはイングラのおっさん」
「うむ……!」
「まさか不死族まで出てくるとはな……だが、竜人族と潰しあってくれてる。王国軍はこの隙に兵士を休ませるつもりのようだぜ」
「そうなんですか?」
「ああ、神殿のやつらがまともに戦わねえからな、こっちの被害も甚大だ」
「すみません……」
「それは別にいい。レイト、お前らはどうする? 逃げるのか?」
「いえ、俺たちは
「ふっ、やっぱりな。お前らなら前に進むと思ってたぜ」
「うむ……!」
その時、王国軍から一時後退の伝令が走った。不死族と竜人族を残し、人間族が一斉に後退を始める。神殿所属の冒険者たちもそれにつられて後退を始めたみたい。神聖騎士団たちも本陣へと退いていくのが見えた。
「クテルさん、メリカを……この子を連れて行ってください。できれば、王国軍にも神殿の人間にも見つからないように」
「……事情がありそうだな。だったら、どちらにも属してない人に頼んだ方がいいだろ。頼りになるぜ? あの人ならな」
「え?」
「厳密に言えば王国ギルド側だけどな……噂をすれば、来たぞ」
みんなが今度は北に視線を送る。また二人組……今度は男性と女性の二人。黒く長い髪に、杖を持った青いローブの女性は
「生きてんな!? 坊主! 嬢ちゃん!」
「嘘……まさか!?」
「旦那! 遅かったじゃないですかい!」
「うるせぇ! これでも急いで来てんだ!」
「ラ、ランデーグさん……!?」
「…ドリンさんも!」
その二人は、先に来た冒険者の二人と同じパーティーだった人たちで、わたしたちがコイマの森で救助した、レイトとココハにとっての恩人だった。
「二人とも怪我はないかしらあ?」
「…はい!」
「どうして、ここに?」
「へっ、戦争だっていうなら引退だなんだって言っていられねぇからな!」
「そんな腕で何ができるんですかい?」
「馬鹿野郎! できるできねぇじゃねーんだ! やるかやらねぇかだ!」
「ランデーグさん……俺、嬉しいです」
「へっ、守るべきもんがあるのはオレらも同じだからよ」
「はい!」
レイトとココハにとってはこれ以上にない援軍となり、わたしたちにとってもメリカを任せられる信用のおける人たちだった。
「悪いけど、感動の再会は後にとっておいてくれるか?」
「ん、おお、すまねぇな」
「いえ……。とりあえず戦況を把握しようか。おれたちは戦場の中央よりやや北側にいる。北西の騎士団には再度動き出す気配はない。王国軍と冒険者たちは北東へ一時後退中ながらも、東側では依然として飛竜と交戦中だ。南西にいるオーガたちは人間族の味方で、もうすぐ南側にいる竜人族と不死族の争いに本格的に介入すると思われる」
「はい。俺たちは南側のその先にいる
「ああ、だけど……この戦力であの中を突っ切るのは無謀かもしれないな」
「回り込みますか?」
「いや……」
ナナトさんは少しだけ考えたような素振りを見せたけど、すぐに考えがまとまったみたい。
「ココハちゃん」
「…はい」
「魔法量はどのくらい残ってる?」
「…えっと」
「ココハにやらせるんですか? でも、ココハはさっきも消費の激しい魔法を使ってて……」
「倒れるかもしれない……それは分かってる。だけど、他の誰にもできない。おれもレイトもマキアも……他の誰にもな」
「そう……ですけど」
「ココハちゃん。君が付けたくれた
「…………」
「でもさ、いつまでも先生ではいられない。生徒は先生を超えていくものだ。だから、おれは敢えて先生でも家族でもなく……同じ冒険者として頼みたい。ココハちゃん……いや、冒険者ココハ。この世界を救うために、今一度、
ナナトさんがココハに向かって頭を下げた。わたしはその瞬間、ナナトさんがココハを一人前の冒険者として認めたような……そんな気がした。
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