ミルグラム戦記 ―悲愛界変の綴り―
井藤司郷
第1章<新人冒険者編>
第1話「存在するために必要なもの」
眩しい。俺はそっと目を開く。それは白く強い光だった。顔をしかめ視界を狭くする。見下ろすと、足元で煌々と輝くその光は床の上を線のように伸びている。まるで、何かの紋様みたいだ。おとぎ話に出てくる魔法使いが描くようなもの。
「…魔法、陣?」
近くで女の子の小さな声がそう言った。
徐々に光が弱まっていく。薄目から見えていた景色が広がって、ここが室内であることは分かった。部屋の隅までは見えないが、物一つなく、ただただ広いだけの部屋だ。天井は高く、窓もない。床にある光以外には灯りもない広間のようだ。
ここがどこなのか、どうしてこんな場所にいるのか、考えてみたが覚えてはいない。気がついたらここにいた。そんな感じだ。
どうやらここには、俺以外にも何人かいるらしく人影が見える。先ほど声がした方向を見てみると、すぐそばに女の子の横顔が見えた。黒い髪は短く、襟首の辺りで切り揃えられている。背は低い。俺も高い方ではないと思うが、この目線から推測しても頭一つ分くらいは小さいだろうか。
その女の子は、不安そうな表情で部屋の中を見渡している。視線に気づいたのか、こちらを振り向いた。しかし、目が合うことはなかった。
辺りを照らしていた光が完全に消滅したんだ。部屋は暗闇となり、周囲を確認することができなくなった。怖い。すぐにそう思った。恐怖心が煽ってくる。光の中と闇の中ってこんなにも違うものなのか?
……誰かが息を吸い込む音が聞こえた。
「ここ、どこなんだよ!?」
刺々しい口調の男が言い放った。
「し、知らない場所……だったよね?」
これは別の男。温かみのある優しい声だった。
「誰か知ってるやついねーのかよ!! 他にも誰かいたよなあ!?」
最初の男がまた言い放つ。それにしても、聞き方が乱暴すぎないか? 姿は見えないが容姿はなんとなく想像できる。きっと、俺様思考の痛いやつだ。刺々しい口調の男……
もう一人の男は、暗闇の中でもホッとするような感じがしたので……
「あたしは知らないわ」
女の子の冷たい声だった。近くにいた女の子とは違う。はっきり堂々とした声で不安そうな感情は伝わってこない。こんな暗闇で怖くはないのだろうか?
「俺も、知らないかな」
他に続く人がいなかったので、一応俺も返答はしておいた。
その後は、誰も答えずに沈黙が続いた。暗く静かな空間に誰かの息遣いが聞こえてくる。吸って吐いて、吸って吐いて。呼吸にしては速い気がする。それに、吐き終わる前に吸っているような? 過呼吸みたいな。その方向には心当たりがあった。
「……大丈夫?」
声をかけてみたが返事はない。ゆっくりと近づいてみる。ぼんやりとだが人影が見えた。それは小さくて背の低い、不安そうな表情をしていたあの女の子だとすぐに分かった。恐怖を抑え込むように、震える両手を胸の前で組んでいるようだ。
「うっせーぞ、女!!」
「やめろよ、怖がってるんだ」
「は? 知らねーよ」
呆れたように言い放つ
「てゆーかそいつ、さっき答えてねーだろ? 何か知ってんじゃねーのか?」
「知ってたらこんなに怯えるかよ」
「あん? おめえ……見えてんのかよ?」
「いや、ちゃんとは見えてないけど……分かるだろ? 雰囲気とかで」
「…………」
それで
……謝っておくべきだろうか?
「ごめ――」
――ゴゴゴゴゴと、分厚い鉄を引きずったような音が響き、俺の声はかき消された。そこから光が差し込んでくる。正面にあったらしい大きな扉が開いていく。眩しくて視界がまた狭くなった。
「出ろ」
男の低い声が短くそう言った。
恐る恐る扉の外へと歩いて進む。俺の前に三人、後ろから一人。他には人の出てくる気配を感じなかった。あの部屋にいたのはこの五人だけで間違いないみたいだ。
部屋の外は廊下になっていて、そこには赤い十字の紋様が刻まれた、銀色の鎧を身に付けている男が立っていた。兜を被っており顔はよく見えない。腰には剣のようなものを吊るしている。本物なのか?
「付いて来い」
鎧の男はそう言うと、廊下を歩いて行く。異様な雰囲気と、その男の格好に圧倒されて、誰も口を開くことはせずにただ付いて行くだけだった。
廊下には赤い絨毯が敷かれており、壁には火の灯った蝋燭が据え付けられていた。壁や柱はとても立派な造りで、ここの天井も高い。よほどの豪邸なのか、壁や扉などの装飾にも宝石が散りばめられているらしく、蝋燭の火が反射してキラキラと輝いている。
窓の前を通ったが、今は夜なのか外の景色は何も見えなかった。ここはどこなんだろう?
しばらく歩いていると、前方から声がした。
「ここはどこなの? どこに向かっているのよ!」
堂々とした声の女の子が、鎧の男の背後から詰め寄っていた。しかし、その問いに鎧の男は答えない。先頭を歩き、俺たちをどこかへ案内しようとしてるってことだけは分かる。
そのすぐ後ろを歩いている堂々とした声の女の子は、はしばみ色の長い髪で毛先の方をリボンの付いた髪留めでまとめている。背は俺と同じくらいかな? 後ろ姿しか見えないが、物怖じしない彼女は芯が強く勇気のある女の子なんだろうなって思った。
彼女の後ろには
そして、一番後ろには俺と……ずっと下を向いたままでいる不安そうな表情をした女の子だ。隣を歩くと背の低さがより際立った。不安と恐怖で縮こまっているせいでもあるのかもしれない。下を向いているので表情はよく見えないが、今にも泣き出してしまいそうな雰囲気が漂っていて、心配になる。
励ましてあげたいけど、いきなり声をかけたらびっくりさせてしまうかな? とりあえず、この子の名前……そうだ、この子の名前が知りたい。やっぱり先にこちらの自己紹介はするべきだろうな。俺は……あれ? 出てこない。俺の名前は……?
困惑していると、鎧の男が足を止めた。目の前の扉をノックしてから開くと「入れ」と俺たちを先に通させた。
その部屋はとても明るかった。天井からはたくさんの蝋燭が付いた飾りが吊るされており、ぼんやりと赤い。壁際にはいくつかの本棚、中央には大きな机と、その向こう側に立派な椅子が一つあるだけだ。
その椅子には黒い服……ローブのようなものを着た人が座っている。そのローブにもやはり十字の紋様が赤い色で刺繍されている。ローブに付いているフードを深く被っているせいか、顔や表情を伺うことは難しい。
俺たちは鎧の男の指示で机の前に横一列で並ばされた。ローブの人は書類の上を走らせていた筆を止め、こちらを向いた。
「ほう? 今回は五人だったか。ようこそ、〝ミルグラム〟へ」
声の感じから察するに、四十代くらいの男だろうか? そして、ミルグラム……それが何を指しているのかは分からなかった。ようこそと言っていたし、この建物の名前か……それとも、この部屋の名前だろうか?
「諸君らの中に、自分が何者であるのか覚えている者はいるかな?」
そうだ、俺は自分の名前が思い出せなかった。どうしてここにいるのか、ここがどこなのかも分からない。そんなことってあるのか? 記憶喪失……みたいな。
「いないだろうね。分かってはいるが確認事項だ。気にしないでくれたまえ。詳しい話は後で別の者に任せてあるので省く。簡潔に説明するので静粛にして聞くように」
理解が追いつかないまま話はどんどん先へと進む。他のみんなも困惑しているみたいだけど、何を聞いたらいいのかも分からない……といった感じだ。
「諸君らは選ばれし者だ。ここアムリス神殿を守護し、その身を賭して戦うことを自ら志願した勇敢なる若者たちだ。諸君らにはここでしばらく修練に励んだ後、冒険者として働いてもらうことになる。時にはこちらから指令を出すこともあるだろう。この街で暮らし、けして許可なく離れることのないように。以上だ」
……終わり? 簡潔すぎてまるで説明にもなっていない。
「まてよ。全然、全く、これっぽっちも分かんねーよ!!」
「選ばれたとか? 神殿を護れだとか? 身を賭して戦えだとか? 知らねーよ。あげくには自ら志願したとか……なに言ってんだ? そんなことに志願した覚えはないっつーの!!」
そうだ、よく言ってくれた。反抗したらどうなるのか……とか、そういうことはきっと考えてないんだろうな。でも、これで何かしらの反応は期待できるはずだ。
「覚えていなくて当然だ。諸君らの記憶は消去されたのだからな。自分の名前、家族や友人の顔、これまでの思い出も、全て諸君らに残ってはいまい」
……は? 記憶を……消去した?
「な、なんで……そんなことを?」
「……本当に志願したっていうのなら、記憶を奪う必要なんてないんじゃないの?」
堂々とした女の子も続けて問いかけると、ローブの男はため息を一つ吐いた。
「奪ったのではない。消去されたのだ。我々の意思ではない。諸君らを戦士にするために必要な儀式だったのだよ。それについても同意の上だ」
言っている意味はよく分からないが、俺には同意した記憶すらもない。
「証拠は……あるんですか?」
俺がそう言うと、ローブの男は机の上にあった書類を手に持ち、それをじっと眺め始めた。
「自分の名前も分からない……というのは不便だろう? この同意書には諸君らのサインがある。書類を返還することはできないが、諸君らに名前を返すことでその証拠にしたいと考えているが……どうかな?」
誰も反論することはなかった。まぁ当然だろう。自分の名前くらいは知っておきたいし。
「…戦うって、戦士って……なんですか?」
いや、一人だけ反論していた。それは小声すぎて、ローブの男には届いていないだろう。不安そうな女の子は体を震わせながら、まるで自問自答でもしているみたいに呟いていた。
「あの……冒険者になって神殿を護るって、具体的には何をするんですか?」
彼女の不安を解消させる方法は分からないけど、代わりに質問するくらいなら俺にだってできる。
「詳しい話は後で別の者に任せてあると言った」
ローブの男はそう言って答えてはくれなかった。なんだよ、記憶のことには反応したくせに。不安そうな女の子の方を見ると目が合った。一瞬だった。彼女はまた下を向いてしまった。
「では、諸君らに名前を返そう」
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