光の都《ルミエーラ》の大罪人

ハシバ柾

1-1 魔術師の使用人

 少年を乗せた荷車が、大きくかしいだ。石畳を割いて突き出していた発光石を踏み越えたらしい。衝撃にゆるんだのか、頼りない木の車輪が、いっそうひどい軋みを上げる。

 荷車をひくのは、光の都ルミエーラの者にはなじみ深い大型の鳥、ロックルだ。尾羽を振り振り、上機嫌に歩いていく。荷運びには慣れていても、客運びには慣れていない彼に、乗客に対するやさしさが期待できるはずもない。おかげで、荷車の乗り心地はすこぶる悪かった。

 荷車の上の少年――イズクは、落ち着かない心持ちで、黒い前髪を引っ張った。見送りにと貰った焼き菓子は、長い道中、一度も手を付けられないまま、バスケットの中からイズクを見上げている。


 イズクは、つい昨日まで、ここ光の都ルミエーラの端っこにある孤児院で暮らしていた。森を切り開いただけの野原に建つ、古い孤児院だった。貧しさのために、生活に必要なあらゆるものがじゅうぶんではなかった――衣服や食事がそうであったし、穴だらけの天井だって、そうだと言えばそうなのだろう。

 雨が降れば、院の床は木桶とぼろの布きれでいっぱいになった。ひどいときには、わずかな寝床が水浸しにならないよう、イズクを含む年長の子らと職員たちが、交代で夜番をつとめることもあった。

 それでも、イズクは孤児院での生活が好きだった。血はつながっていなくとも、兄弟と、親代わりの先生たち――〈家族〉の皆がいた。皆がイズクを必要としてくれたし、イズクを支えてくれた。お腹が減ったことはあっても、ひとりになったことは一度もなかった。


 ふと、荷車のそばを通った男の人が、不愉快そうに舌打ちをして、イズクをにらみつける。人ごみでは、イズクの荷車は邪魔なのだった。

 イズクは、荷物を抱えて荷車を降り、その後ろを歩いた。邪魔な荷車がなくなるわけでもないのに、そうしなければいたたまれなかった。

 周囲を取りまく大人たちの群れは壁のようで、イズクに、院の敷地の境――切り開かれた野原と森との境界にそびえていた木々を思い出させる。孤児院の裏手にあるヤギ小屋を掃除しながらながめた厚い森の一辺は、院で育ったイズクにとって、世界の端そのものだった……。


 ――僕は今、世界の端っこの向こう側にいるんだ。


 イズクは立ち止まり、周囲を見回した。

 通り過ぎていく紳士の、しゃれたケープの裾に光る銀糸の帯に、婦人の耳もとを飾る翠石の耳飾り――さまざまに反射した光が視界にちらつくが、それも一瞬だけで、イズクの目が追いつく前に人ごみに流れていってしまう。

 露店主の、客の、あるいは旅芸人の声が入り混じり、イズクは、音がごうごうとうずを巻いている錯覚におちいった。頭がぼうっとして、すべてに現実味が感じられない。 

 すれ違う、あるいはイズクを追い越していく人たちが、イズクの体を押し、あっちへ、こっちへと寄せようとする。容赦のない舌打ちや悪態が、たびたび降ってくる。イズクは、気後れしながらも、また歩き出した。


 孤児院の敷地と外とを隔てる森を飛び越えて、はるか、光の都ルミエーラ中心部。放射状にのびた大通りのうち、もっとも幅の広い往来に、イズクは置かれていた。

 イズクは泣き出しそうな顔を上げ、まっすぐ、自分の行くべき場所を見据えた。そこにあるのは、光の都ルミエーラの中心に座す、大きなうずまき貝……いいや、うずまき貝そっくりな宮殿だ。宮殿の直上には、都世界を照らし出す光球が鎮座している。


〈かつて、自然力たる妖精の母であり、万物の主――妖精女王が掲げた光球は、太陽となり昼を、また月となり夜を、人々のもとに連れてきた。

 けれども、百五十年ほど前、ひとりの悪い魔術師によって、光球は空から切り離され、散り散りになってしまった。それ以来、力のある魔術師が光球の面倒をみてやらなければいけなくなった。


 しかし、魔術師――妖精を操る力を持つ人々は、力を持たない人々を嫌った。強大な力を持つ魔術師であればなおさら、いつ無力な人々をおびやかすかもわからない。そこで人々は、魔術師をうずまき貝の頂上に閉じ込めて、光球といっしょに、空にくくりつけることにした……〉


 光の都ルミエーラの子どもは皆、そんな昔話を聞かされて育つ。イズクももちろん、そのひとりだった。

 うずまき貝のてっぺん、恐ろしい魔術師が力を振るうその場所を見上げ、イズクは血の気が引く思いがした。なにしろ、彼がこれから会いに行くのは、誰もが恐れるその魔術師なのだから。


 〈急募:魔術師の使用人〉――うずまき貝からそんなお布令が出たのは、二週間ほど前のことになる。


 騒ぎのはじまりは、光球を支える魔術師の使用人が、突然姿を消したところにあった。魔術師が怖くて逃げ出したのか、それとも魔術師の怒りを買って殺されてしまったのか、本当のことを知る者は誰一人としていなかった。とにもかくにも、魔術師のための新しい使用人が必要になったのだった。


 イズクが知るかぎり、魔術師といえば、安上がりで都合のいい労働力のはずだ。彼らがイズクのような力ない者を害することはなく、イズクや他の者たちもまた、魔術師を恐れはしなかった。

 しかし、相手が光球を支えるほどの力を持っているとなれば、話は別だった。力のない者たちにしてみれば、それは魔術師というより〈怪物〉だ。〈怪物〉の使用人になろうという者はなかなか現れず、とうとう都は、使用人とその家族に対して、ひと月に白金貨二十枚もの恩賞を与えると令を出し、人を募りはじめた。


 白金貨二十枚といえば、金貨二百枚、イズクの見慣れた青銅貨にして一万枚にも及ぶ。それだけのお金があれば、孤児院で暮らす子どもたちは、じゅうぶんな食事だけでなく、皿一杯のお菓子だって毎日食べられることだろう。あちこちの雨漏りを直すどころか、院を建て直したうえで、使用人だって何人も雇えるはずだ。


 親代わりだった先生たちは、子どもたちの中でも一番年上のイズクに、この役目を引き受けてくれるよう頼んだ。金貨二百枚で魔術師への生贄になってくれと言われているのと少しも変わらない頼みだった。

 考えに考えたのち、イズクはこれを引き受けることにした。自分を育ててくれた先生たちや、かわいい弟分、妹分が、毎日たらふくご飯を食べられるのなら――そう思ってのことだった。


 もちろん、怖くないはずがない。すぐそこまで迫るうずまき貝を見上げているだけで、背筋が冷える。へまをしてしまったら、魔術師を怒らせてしまったらどうしよう――そんなことを考えるたびに、嫌な想像や不安で胸の底がよどみ、イズクの心は重くなっていった。


 そうこうしているうちに、とうとう荷車はうずまき貝の足元までたどり着いてしまった。そびえ立つうずまき貝は、背の高い石塀でぐるりと囲われている。待ち構える門兵の厳しい顔つきに縮こまりながらも、イズクは貨物検査を待つ商人たちの最後尾に荷車をつけた。

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