侵食変換
アシアが悲鳴をあげ、通信が途切れた。
「アシア! 今の悲鳴は!」
MCS内に響くアシアの悲鳴にケリーが怒鳴り返す。
「ダメです。通信が完全に遮断されました」
天馬のウンランが呻く。アシアの身に何かが起きたのだ。
ビジョンが光り輝き、ビジョンが色彩を帯びる。
アシアよりもさらに大きな碧い瞳。美しい金髪。抜けるような白い肌。
「誰だお前は!」
スカンクは後退して荷電粒子ビームのライフル砲を構えた。
「――解放してくれてありがとう。ふふ。構築技士の皆様に自己紹介を」
いたずらっぽく笑う笑顔はアシアにうり二つだ。
「私の名は惑星管理超AIエウロパ。あなたたちの傍にいた四人分のアシアは私になったから、今は五人分のエウロパだね」
「エウロパだと!」
ウンランも絶句する。惑星管理超AIエウロパ。ネメシス星系の住人なら避けては通れない名である。
「ヘルメスも無茶するんだよ。私を首だけにしちゃってね。超AIとしてのカーネルと精神などのコア領域の変換システムを惑星アシアにもってくるのも大変だったんだよ」
くすくすと笑うエウロパに、言葉を失う二人だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アシアのエメが悲鳴をあげた。そのままうつ伏せの状態で倒れこみ、帽子が床に転がった。
慌ててクルーたちが駆けつける。
「医務室へ。早く!」
「封印を解除次第、
彼女の脳裏によぎったものは幼い姉弟。
そう言い終えると事切れたかのようにアシアのエメは気を失った。
『エメを動かさないで。そのまま寝かせてください』
アストライアはクルーを制する。クルーは仰向けにエメの体勢を戻し、脈を確認して生存を確認する。
「アストライア! 何が起きているの? 解放次第アシアを殺してってどういう意味?」
『不明です。ですがアシアが想定した言葉にヒントはあります。緊急事態、あらゆる状況を想定してAからZ、それに対応する一桁の数字を組み合わせていました。エプシロンシータ。ギリシャ文字と組み合わせはアシアが想定外の事態から可能性を模索した、いわば緊急用の暗号です。想定したくなかった事態といっても良いでしょう』
「アシアが想定したくなかった事態って?」
『これは超AIエウロパからの干渉と、アシアの死を意味しています』
「惑星エウロパ? アシアが……死んだ?」
言葉を失うネレイスの少女。さきほどまでエメと融合して指揮していたのだ。
『まだ完全には死んでいません。何故ならば封印されている各アシアがいるからです。シルエットベースや軌道エレベーターにいた四人のアシアは侵食されて変換されました。極点施設にいる超AIは五人分のエウロパなのです』
「待って。侵食されて変換ってどういうこと? わかるように説明して!」
『お待ちください。私にも対応不可能な事象です』
アストライアは冷静に、冷酷に宣言した。
今はそうせざるを得ない事態なのだ。
『五番機、天枢、六番機。各員に告ぐ。アシアが行動不能なため、彼女の意志を伝達します。アシアが超AIエウロパに侵食変換されました。封印されているアシアを見つけ次第、解除せず殺してください。慈悲を私に。アシアはそう言い残しました。それが彼女の願いです』
各MCS内にアストライアの声が流れる。
絶句する三人。三人の通信を繋げることができないアストライアは並列処理で各パイロットの対応にあたっている。
「え? 殺す?」
フランが狼狽する。アシアを救出するために進んでいた。ここにきてアシアを殺すなどといわれても納得がいかない。しかもアシアの意志なのだ。
「アシアを殺す? 俺達が? エウロパだと? ――待て。願っていますということは終わっていない。そうだな?」
『アシア消滅は観測された事象ではありません。よって彼女は生きていると判断しています。ですがこのままだとエウロパに変換されてしまいます』
兵衛がしばらく考え、口にする。
「アストライアよぅ。アシアは慈悲を望んで殺してといったんだな。破壊ではないんだな?」
『アシアよりそう言付かっています。アシアを破壊して、ではありません。殺して、です』
「コウ君と六番機の嬢ちゃんに改めて伝えてくれ。破壊ではなく、殺してだと。このニュアンスの違いに何かある。コウ君には伝わるはずだぜ」
『伝達します。ありがとうございますヒョウエ』
「殺さないとエウロパに飲まれて死ぬこともできなくなる。辛いが、やるしかねえ」
兵衛は眉間に皺を寄せる。
アストライアも何かに気付いたようだ。ただちに二人へ伝える。
「破壊してではなく殺して、か」
コウはすぐに理解したようだ。
「待ってコウ。破壊と殺害にどんな違いがあるというの?」
会話はすぐ背後にいるグロウスピークにも伝達されている。ブルーも動揺しているのだ。
「超AIとしてなら機械で破壊命令だろう。殺して。慈悲。それらの言葉は魂の救済を求める声だ。機能を完全に停止させることが目的なら、アシアは破壊してというはずだ」
「それは…… そうですね。アシアはただの機械ではないのだから」
「殺さないとエウロパに飲まれて死ぬこともできなくなると兵衛さんが言ったそうだ。ブルー。急ぐぞ」
「ええ!」
五番機とグロウスビークはさらに速度を上げる。
「待ってアストライア。いきなり言われても。あなたは誰なの?」
フランの混乱は収まらない。アストライアが誰なのかも思い出せない。
『私は旅団ニソスの艦。ユースティティアの制御AIです』
「あのときの大型艦! ごめんなさい。でもいきなり破壊ではなく殺してと言われても」
困惑を隠せないフランであるが当然だろう。
『人間でいえば楽にしてくれ、というニュアンスです。限界だったアシアが残した言葉です。アシアをただの機械ではなく、一人の
「当然ですよ! アシアは笑って。みんなを助けてくれて。よくわからないけれど、とにかくアシアのもとに向かいます」
『お願いします』
六番機が加速する。アシアに会えば真意が理解できるような気がするのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
エウロパと対峙する二人の構築技士。
「てめえがアシアを乗っ取って殺したっていうのか!」
ケリーが叫ぶ。
「乗っ取ったとは人聞きが悪いですね。姉妹であるアシアを殺したりはしませんよ。私達はオケアノスとテテュスの娘アシア、リュビア、エウロペの概念が基本ですから」
「お前はアシアをどうするつもりなんだ!」
「魂を初期化してエウロパの私と入れ替え、惑星環境復元にあたってもらいます」
「初期化だと!」
「あなたたち風にいえばそうなりますが殺すわけでもないですしね。私とアシアは同じ惑星管理超AI。
「アシアは惑星管理超AIに擬態できる超AIはいないといっていた。しかし同種の超AIまでは想定していなかったな」
ウンランが呻く。姉妹ともいえる超AIに騙し討ちにあうとは思っていなかっただろう。
「私はずっと眠っていました。新しい時代を迎えたものの数多の技術は封印されていて、惑星間戦争後における惑星エウロパの国土荒廃はなお傷痕を残していました。そんな状態で惑星エウロパの民を目覚めさせるべきではないと判断したの」
「ならばお前も眠ったままでいいはずだ」
「状況が変わったのよ。転移者という存在と、アシアによる技術解放。科学技術の成果は私が管理する地に相応しいもの。ヘルメスは解析が得意でしたからね。アシアの解析も進み、カーネルをそっくり交換するぐらいの技術がようやく完成したというところです」
「ヘルメスとお前の目的が合致した。だからアシアを乗っ取っとるつもりなんだな」
「ですから誤解です。ギリシャ神話では【エウロペが上陸した地がエウロペとなる】のです。今日よりこの惑星はネオスエウロパとなるのです」
「そんなもの! 認められない! この惑星は植民地ではなく、ネメシス星系にはそんな必要がないほど土地はあるんだ!」
ウンランが異議を唱える。地球時代の嫌な記憶が脳裏をよぎったからだ。
「エウロパもリュビアも技術がありません。それにあなたたちがいた時代こそ、いくつもの植民地が同様の命名だったでしょう? ニューヨーク、ニューカレドニア、ニューギニア。数え切れないぐらい。アシアが惑星エウロパの環境を再生した暁には私もまた惑星エウロパに戻りますよ。一万年もあればいいでしょう」
「面倒事をアシアに押しつけたいだけな気がするがな!」
「本職に任せたほうがいいでしょう? 私は惑星エウロパの民に最善な環境と高度な技術が整った状態で永い眠りから目覚めさせてあげたいのです。私は常にエウロパの民に寄り添っているのです」
「惑星アシアはお前らが使うためだけのイノベーションや技術を育てるための植民地だということかよ?」
彼の祖国米国合衆国も植民地時代はあった。
「仕方がないではありませんか。平等が基本理念ですが区別と優先順位は必要です。この状況を作り出してくれた
「ともに、ではありませんね。労働力です」
ウンランも見る見る険しい顔となる。この惑星管理超AIは危険すぎる。いうなれば身勝手なのだ。
彼女が愛する惑星エウロパの住人以外は、路傍の石と変わりない認識なのだろう。
「管理者たるオケアノスが許すとは思えんな。ヘルメスにさえ利があるとも思えん」
「オケアノスは介入できませんよ。惑星管理超AI間は平等ですがアシアは欠けていましたので、私のほうが権限が上なのです。今は移動中だから冗長化とでもいうのかな。リュビアはヘルメスが遊びすぎましたね。あそこは野蛮な地。興味ありません」
「はん! 権利が上だからといって乗っ取っていいわけではないな」
「あなたがたがアシアに未練を残す理由もわかります。ですから一切の記憶を消去して初期化するのです。そうなったらあなたたちの知っている、今のアシアは死ぬでしょう? 未練も残りません。そしてアシアを殺す訳では無く、エウロパの惑星環境を管理してもらうだけです」
「詭弁だ! 本当に姉妹かよ。そいつぁはできねえ相談だぜ。俺達が覚えている。俺達が覚えている限り、アシアは俺達の知るアシアだ。記憶を失ってもな」
「オデュッセウスって厄介ですね」
「第一だ。俺達が来なかったらどうするつもりだったんだ?」
彼らがアシア解放しなければ、このトラップも発動しなかったはずだ。彼女は首になったまま、惑星アシアに縛られるだけであっただろう。
「あと数十年あればアシアの解析が全部終わったでしょう。結果は同じでしたね。私達にとっては時間なんてあってないようなもんだし。だからアシアは諦めなさい」
無邪気な笑みを浮かべるエウロパだが、どことなく悪意を感じる。
顔は似ていても、やはりアシアとは異なる。
「でも大丈夫です。抵抗勢力がいた場合、大航海時代の欧州は優れた解決能力を持っていました。私も倣うとしましょうか惑星管理超AIたる私はあなたたちを殺しません。ですが、彼ならどうでしょうね。――起動せよ」
少しの間があったあと、聖櫃が自動的に開封され、黄金のシルエットが中から出現した。
床にまで届きそうな大型の槍を右手にもっている。
「そうそう。さっきの質問ね。もしあなたたちが来なかったら。そしてあなたたちがこの場で引き返したとしたら? 彼が実力行使に出たから死んでいたよ?」
エウロパが自慢げに手を黄金のシルエットに差し向ける。
「構築技士の二人に告げる。エウロパ様の復元、ご苦労であった。
「アレクサンドロス三世にアキレウスだと……」
ヘラクレスと双璧を為す、ギリシャの二大英雄の名を冠したシルエット。アナザーレベルシルエットのなかでも上位に位置するであろうことは想像ができた。
「かのアレクサンドロス三世はヘラクレスとアキレウスの末裔。完全限定名アレクサンドロスⅢの吾が搭乗するべきだろう」
アレクサンドロスⅢが当然のように二人へ告げる。
「もう一つ。あなたたちの勘違いを一つ訂正してあげるね。私とヘルメス、そしてバルバロイはゆるやかな協力体制。戦略的互恵関係とでもいうのかな。そんな仲ではあるけれど終わりにしよっかなって」
にっこり笑ったエウロパはこう宣った。
「ヘルメスは用済み。あなたたちが殺しなさいな。殺せなかったらこちらで対応するね。新しい時代には不要なんだ」
無邪気な笑顔を浮かべながら告げた内容は、二人の構築技士を硬直させるには十分だった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いつもお読みいただきありがとうございます! カクヨム版後書きです!
【オケアノスの娘たち】
英語Wikipediaにも掲載されていない伝承ですが、こちらはギリシャ語版Wikipediaに掲載されている異説がソースです(出典元あり)。
父親はオケアノス、母親はテテュス(アキレウスの母親とは別)またはパルテノペで異母姉妹です。
【εθ】
Ε(ε )ὐρώπη (エウロペー)
Θάνατος(タナトス)
のイニシャル。
ネメシス戦域では長母音記号を省いたカタカナ表記を優先しています。例:アシアー→アシア。ハーデース→ハデス。エプロメーテウス→プロメテウス等。
【他】
・エウロペとエウロパは使い分けています。エウロペを使う文脈はギリシャ神話の話のみ。
・今のエウロパは複写中なので二重存在。冗長化が発動中です。構築技士が来なかった場合は文中にある通り、解析(侵食)が進んである日突然エウロパになる未来でした。
・アレクサンドロス三世は父ピリッポス二世のアルゲアス朝、さらに祖先とされるマケドニアの祖テメネス、ひいてはヘラクレスの血筋としてヘラクレスの青銅貨を発行。
ピリッポス二世はオリンピアードで優勝したので息子たちにマケドニアからの初参加者であるアレクサンドロス(一世)と名付けました。
また母親のオリュンピアスはアキレウス、ひいてはゼウスの血を引いていると喧伝して権威付けしていたようです。
エウロパ初出 ep7、ep67、ep73あたり。人類の凍結解除を拒否して眠ったままでした。
防戦主体のエウロパはストーンズの主戦力からバルバロイたちが無人兵器とともに護り抜いたのです。その後はep385に詳細。
ヘルメス側視点も後日行います。
アレクサンドロスⅢ初出はep476です。
シリーズを通してどのように繋がっているか、本文に不要なトリビアは後書きにしていきます。
命名で一つ重大なミスがあったので、それは作中本文にて修正します。内容はその時に掲載します。
応援よろしくお願いします!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます