埋伏の毒

 コウたちが聖域アルティスのコントロールタワーに到着した頃、兵衛はバルドの宿舎に到着した。


「邪魔するよ」

「よく来たなヒョウエ。今日は無理をいってすまねえな」


 バルドと、隣にいる色白の青年に目を向ける。白髪に、大理石のような白さは人間離れしている。


「今日はバルド師匠に無理をいってきていただきました。ありがとうございます」


 深々と礼をする青年。バルドはばんと背中を叩いて、青年の方に体重をかける。


「こいつはドリオスといってな。剣術を学んだ傭兵でもとくに才能があるやつなんだ。ヴァーシャの護衛でついてきたらしくてな。おめえに出稽古を頼んだって次第よ」


 内心恐怖で身が竦みそうなバルドだったが、このフランクなコミュニケーションもヘルメスの命令だった。

 少しでも不自然な仕草があれば容赦しないとヴァーシャに通達されている。


「へえ。ドリオス君だね。よろしく頼む」

「稽古具はカストル時代の竹刀と模造刀を持ってきた。俺もこいつも殺されそうな勢いで猛特訓を受けたのさ」

「カストルの腕前は直接みている。あいつにシゴかれたならさぞや見込みがあるってことだろうさ」


 兵衛は悠然と笑う。

 それだけでバルドは寒気がした。カストル以上の不気味さを感じたのだ。


「手ぇ見せてみな」


 二人の手を取り、満足そうに頷く兵衛。


「なんでえ。手でわかるのかよ。タコなんざできてねえぞ」

「足の裏もだが、皮膚の硬さでどの程度熱心に稽古しているかはわかるよ。二人とも合格だ」

「怖ぇな」

「真剣ばっかりの剣術だとな。手がもう籠手のように固定されちまう達人もいる。寝ても覚めても稽古だからな」

「うへぇ」


 どこまで練習すれば、人間の手が籠手の形に固定されるというのだろうか。

 

「お前らは片足を突っ込んでいるよ」

「褒め言葉と受け止めます」


 柔和な笑みを浮かべるドリオス。よく笑い、人当たりは良さそうだ。コウとは真逆のタイプである。

 

「初日だからな。お前らのやる気次第で続きを行う」

「へえ。テストするっていうのかい。本気で食らいつくぜ?」

「ボクもですよ」


 ドリオスは心底からこみ上げる歓喜を隠しきれない。

 何せ肉体の限界値を試せるのだ。


「よし。――まずは素振りかな」


 そうして鷹羽兵衛による指導が始まった。

 


◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 死屍累々ともいうべき惨状だった。

 死体のように倒れ込むバルド。ぴくりとも動かない。

 壁に背を預け、肩で息をするドリオス。


 ヒョウエはにこにこと笑っている。鍛えがいがある二人だった。


「やるじぇねえか。二人とも」

「ば、化け物め。カストル……様の練習でも死んだヤツがいたが、違うベクトルで鬼だぞお前」


 倒れたまま、顔もあげずに抗議するバルド。

 シルエット戦ではない、剣士としての鷹羽兵衛。

 シルエットの操作技術に剣士としてのスキルは役立つが、すべてではない。まさか我が身と老人である鷹羽兵衛がここまで差があるとは思わなかったバルドである。


 カストルは容赦なく木刀でも打ち込み、対応できない者は死んだ。

 ヒョウエのソレは生かさず殺さずの生殺しにするようなしごきである。腕と脚、そして腹筋がパンパンだった。腹筋がつると呼吸もできなくなる。


「こ、光栄です。これが剣術……」


 ドリオスは感動しているようだ。


「おう。おめえさん素質あるよ。筋がな。俺の孫にそっくりなんだ。ネメシス戦域で死んだがね」


 微笑みを浮かべてドリオスに告げるヒョウエ。バルドは素知らぬふりで地面に突っ伏し、呼吸に専念することにした。

 ヒョウエの目は笑っていない。


「お孫さんが……」


 心痛を隠しきれない、悲痛な表情を浮かべるドリオス。


「そんなお孫さんとそっくりとは光栄です」

「なあに。剣術としての、だ。お前さんのほうが美形だし、モてるだろうよ」

「いやいや。そんな……」


 必死に首を横に振り否定するドリオスであった。


「大変ためになります。ボクたちは合格したでしょうか?」


 ドリオスも呼吸が定まらない。それほどに激しい稽古だった。


「文句なしの合格だとも。決勝は一週間後だったな。それまで稽古をつけてやらあ」

「ありがとうございます!」


 ドリオスが深々と頭を下げる。


「おう。ゆっくり休めよ」


 ヒョウエはそう告げて、バルドの宿舎を出た。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 稽古を終えた兵衛はオイコスの送迎車に乗り込み、目を瞑り屋根を仰ぎ見て上の空だった。

 

「良かったのですか?」


 いつの間にかヘスティアがいた。


「ん? ああ。知っていたのか。ヘルメスの肉体が修司ってこと」

「それは私のセリフです。気付いていたんですね? 見た目はあれほど違うというのに」

「そりゃな。あの飲み込みの早さ、何より剣を見ればな。ヘルメスはカストルより修司の肉体を使いこなしているぜ」


 そういって兵衛は唇の端を歪ませる。


「わかりません。貴方の方針では、ヘルメスは恐るべき遣い手になるかと。ウーティスに仇を為す行為です」

「そうみえるよな。うまく言葉にできねえが、剣術ってのはガラス細工のように繊細なんだ。不確定要素を廃して、互いの技量を見極めなきゃいけねえ。そんな剣士になるだろう。なるようにする」

「そうなったらウーティスも勝てませんね」


 兵衛はしばらく無言だった。

 ようやく口を開いた時、ヘスティアもぞっとする昏い顔を浮かべていた。


「逆だよ。戦場では……コウ君には勝てねえのさ」


 アシアで名を馳せた剣士とは思えない、策士じみた老人の顔。


「どういう意味ですか?」

「古代ギリシャ人ってのは芸術大好きだろ? スポーツもだ。超AIのあんたらはそんな古代ギリシャ文化に影響を受けている」

「よくご存じで。それと関係が?」

「おおありさ。芸ってのはな。神髄が見れば見るほど取り付かれる。奥が深い。そして剣術ってのは芸なんだ。俺の国では人を楽しませる連中を芸者といったが、元は武芸者という意味が先でな。多くの戦国武将たちには芸者は侮られていた。本格的に評価された時期は江戸時代に入ってぐらいだな。それ以降だ。芸者と武芸者が別の分類になったのは」

「剣術を極めると、戦場では弱くなると?」

「そういう傾向は強くなるな。ヘルメスってのは芸の神、格闘技の神でもあるだろ? そして奴は恐らく戦場には出ない。剣術という芸への、求道者になるだろうよ。将棋やチェス、囲碁と一緒だ。彼我の技術を競い合い、何手先までどう読むか。理想の動きに自分を近づけるか、だ。あいつならはまるだろ?」

「競技は競い合って極めていくもの。それは自分との戦いとなる陸上競技ですら傾向を持ちます」

「おう。命のやりとりを模した剣術ならなおさらだ。下手なヤツとはやりたくねえし、弱い仲間はごめんだろ? 極めれば極めるほどその傾向は強くなる」


 ヘスティアは珍しく青ざめる。


「コウ君とは真逆だ。コウ君はな。生身では弱いぜ。剣術もさっぱり、居合いもしょせんは型稽古。しかしシルエット戦での場数が違うのさ。強さは強さでも、雑草の強さだ。俺の孫で蝶よ花よと、有段者たちに英才教育された修司とは強さのベクトルがまったく違う」

「どうしてそうなるのです? 理解できません。あなたはあえてヘルメスに芸術面としての剣術を修めさせる? そのヘルメスを覆す強さをウーティスが持つという確信があるのですね」

「剣では人を一人殺しちゃ一段上がるって説もある。今のコウ君は何段なんだろうな?」


 物騒なことをいう兵衛に、ヘスティアもまた魅入られる。こんな思考は、ギリシャ神話ではあり得ない。ネメシス星系にはいなかった人種だ。


「孫馬鹿と思ってくれ。植物に例えると修司は無菌培養で栽培された、人工的な蒼薔薇だ。俺や俺の剣術における知人たちが磨いた宝石だよ。否が応にもそういう環境だったんだ。そう滅多に拝めるもんじゃねえ。ヘルメスはそれを継いだ」

「ウーティスは?」

「コウ君か…… 竹やドクダミだな」


 酷い言われようだなと思うヘスティア。兵衛が挙げたものは駆除しにくい植物の代表格でもある。

 しなり、折れないという意味も込められているのだろう。


「無菌培養の薔薇は、野生では雑草に勝てないということですか。それならわかります」

「いくさではな。どういう理由でそうなるかはわからねえ。戦場特有の不確定要素っていうやつではないな。場数を踏んでこそ培ったものがあるんだろう。瞬間の判断、応用、何より胆力が違うんだろうな。バルド君でさえ俺に一度勝っているんだ。ヘルメスは技術が向上すればするほど、コウ君を侮るだろうよ」

「あなたの取っている計画はウーティスを信じていないと不可能な芸当です」

「あいつはやるよ? 俺の目の前でカストルを倒したんだからな。しかも、修司の肉体を傷付かずなんて、神業もいいところだ。あの戦い以降も場数を踏んでいる」


 兵衛がにやりと笑う。そんなコウがいまだに自信がないそぶりを見せる。それは兵衛にとって耐え難きことでもある。

 ヤスユキとパルムに託した願いは、この心情から生まれたのだ。


「もう一つ狙いがあるんだよ。これは自信がねえから、内緒な」

「たとえヘルメスといえどここで諜報活動はできません。教えてください」

「さっきの孫馬鹿の続きさ。笑って聞いてくれ。修司ってのはB級構築技士で剣士としても一級品。いや最上級だ。俺の目からみてもな。――ヘルメスは肉体を欲するんだろ? 修司の肉体に宿り、修めた剣術を引き出したヘルメスがよ。他の肉体に耐えられるかな? 神様ってのは貪欲だろうが」

「ヒョウエ!」


 ヒョウエの意図するもの。それはある意味テュポーンの呪いよりもはるかに恐ろしいもの。


「アシアの嬢ちゃんは20億年生きた。ヘルメスは開拓時代からか。そして長い年月を経てようやく肉体を手に入れた。しかも極上。宝くじにたとえても文句もねえ一等賞だと思うぞ。芸術やスポーツの神が、最強格の剣士に生まれ変わるってのはな。しかし、一度それを味わったら、満足できるのかね。超AIってヤツは」

「無理でしょうね」

「だろ? 高額宝くじを当たったヤツや成金は身を持ち崩すヤツが多いのさ。超AIは金は要らないだろうさ。だがな。生命に憧れを持っている。そりゃあいつが牛耳っているストーンズをみてもわかるさ。十年以上やりあってんだからな」

「そこまで見通して厳しい指導を行ったのですか……」

「おうとも。ま、孫の肉体と対話したいってのもあったがな。ヘルメス自身にはなんとも思わねえよ。元凶はカストルだからな。――だがな。超AIヘルメスには申し訳ないが、修司の肉体を最初で最後にしてもらいたいってところか。人間、人生にはやり直しが利かないということを、その身で味わってもらうだけの話さ」

「――恐ろしい人ですね。鷹羽兵衛。超AIの悲願、目指すべき目的をそんな形で奪うとは。超AIが邁進する目的を奪う。――ある種の超AI殺しですよ」


 兵衛の遠大な計画にぞっとするヘスティア。そしてその方向性にヘルメスは向かうだろう。彼の指摘通り、ヘルメスは剣術を芸術のように極めんとするだろう。その深奥に辿り着くために。

 そして絶望するのだ。ネメシス星系にはもはや、そんな都合の良い肉体がないという事実に。


「かのヘスティアにそういってもらえるたぁ、光栄だね。俺のやってることは孫への未練でしかねえはずだ。これも老い先短い老人の趣味さ。――俺は本気で教えている。ヘルメスも死ぬ気で修めるだろう。ああみえて神様ってのは妥協できない性格だな? 剣ってのはそれほどまでに奥が深い」

「あなたの飲ませた埋伏の毒、その正体なのですね。奥が深い芸術が如き剣術――あのヘルメスは逃れることはできない。今後数百年ヘルメスが生き残っても、彼を蝕み続ける呪いとなるでしょう」

「ちと過大評価ってもんじゃないかな。ただそうなりゃいいやって話だ。永遠を生きる神様へのお供え代わりさ。俺にとっても冥土の土産にはおあつらえ向きだろうよ。――あの肉体もきっとコウ君が後始末してくれるだろうさ」


 兵衛は苦笑したが、否定はしなかった。


「ウーティスは勝てるかもしれません。しかしあなたでさえ殺す可能性はでますよ。ヘルメスのみならずバルドもです」

「そいつぁ理想の死に方だよ。ベッドの上で死ぬなんてまっぴらだ。あいつらが強くなって俺を討ち果たすなら、それも一興だねぇ」


 昏い顔の笑みは最後まで崩れることはなく、ヘスティアは人間の恐ろしさを思い知ることになった。

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