紅茶さえあればあの男は生きている
『ところであの子は起きていないでしょうね』
『ご安心くださいな。あの子は眠ったままです』
二人だけの会話が再開された。
気になってコウが尋ねた。
「あの子とは三番艦のエイレネのこと?」
『そうです。司るものは平和ですね』
アストライアが答える。
「一番なんか……無害そうな。無害そうなイメージ」
エメが感想を呟いた。二人の人格から、三女は気弱な妹のような印象を受けたのだ。
『とんでもありません。あの子こそ艦船の兵器作成能力では私たちのなかで最強。私がどちらかといえば補給向き、アストライアが開発依りのバランス型ですね』
エウノミアが答えた。
『古来平和とは戦争さえも圧殺するほど強力な戦力下の日常を言うのです。ギリシャ神話のエイレネはローマ神話ではパクス。パクスとは、強大な軍事力による覇権を意味する単語でもあるのです』
「そんなことまで古来由来なんだな」
神話や古代国家に詳しくないコウは苦笑する。
「どんな性格なの? 二人みたいにキツめかな」
「コウ。それ地雷踏み抜いてる」
思わず呟いたコウにエメが指摘する。
『わたくしが誤解されている……』
「誤解なのかな?」
「違うと思うぞ」
『リュピア。マット。あとで話しましょう。じっくりと時間をかけて』
震え上がるエウノミア艦内の二人。
『コウと私も話し合う必要がありますね。それはさておいて平和な時代とは、犯罪にならなければ何をしても許されたり、非常識なことをしてもその多くは許されるのですよ。だからあの子も私たち以上、一番幼いアシア以上に明るく無邪気ですね』
『あれを明るく無邪気というのですか? アストライア』
『該当する単語がスラングがないのです。底抜けに明るいとか…… 21世紀のスラングで近いのはパリピとか? 常に脳天気……ゴキゲンな性格です』
「凄い単語がでてきたな…… この宇宙の果てで聞くとは思わなかった言葉だ……」
コウが絶句した。
『ご安心ください。ウーティス。それだけ特異な性格では契約できるオデュッセウスも非常に限られます』
『そうですね。奇想天外兵器の数々で惑星間戦争を攪乱したあの子と合致できる者など…… エウノミア。構築技士と呼びなさい』
『覚醒したばかりで現在の情報が足りません。データ共有を。――終わりました。そうですね。コウ。構築技士でも契約できる者は限られます』
『そうですね。A級構築技士でも可能性あるのは僅かにケリーぐらい。コウ。あなたも無理でしょう。真面目すぎます』
「ごめん、アストライア。どんどんエイレネへのイメージが偏っていくよ」
『概ねあっていますよ。ハロウィンでは必ず気合いの入ったコスプレし、友人の結婚式ではフラッシュモブを画策するタイプです』
「えぇ……」
さすがのコウも絶句する。相性が悪いのは確信した。
『権謀術数にも優れていますよ。わたくしたちのなかで一番謀略と得意とするのは間違いなくエイレネです。平和とは常に強い目的意識を持ち、情報を制しそれに基づいた根気ある交渉や策略があってこそ成立します』
『あの子はそれを悪戯やサプライズに全振りですので無害ですけどね。人間に害になることはしません。多分。逆に言えばその破天荒な感性についていける構築技士でないと組めないのです』
「なんとなくわかった。エイレネは構築技士の権限や才能よりも相性が重要なタイプなんだな」
『はい。私は幸い所有者に恵まれましたので。権限や才能、相性もです』
珍しくアストライアがコウに微笑む。
ドキっとするコウだった。
『あのアストライアが惚気ている…… いいのでしょうかアシア?』
いきなりアシアに振るエウノミア。
『よくありません』
無表情のアシアが通信に割って入り、すぐ消えた。
「なんでアシアがでてくるんだ!」
「鈍感……」
エメが帽子を深く被りながら呟く。苦笑するにゃん汰とアキ。
『平和時こそ優れた指導者が必要なことと同じ。彼女の破天荒な性格と相性の良い構築技士などそうはいません』
コウは脳裏にある紅茶を片手に持つ紳士の姿がよぎった。
「アベルさんはどうだろうか?」
『……』
アストライアがその可能性にようやく気付いた。一ヶ月以上生死不明で、記憶領域の生存者リストから弾き出されていたのだ。
『冗談でもそんな恐ろしいことを言わないでください。お願いします』
『お待ちくださいませ。アストライアさえ恐怖するアベルとは何者なのです?』
『引き続きデータをリンクします。あとはあなたの判断に任せましょう』
『データリンク完了しました。……氷塊空母? え? ナノセルロースのプロペラ戦闘機? パ、パンジャ……』
『……』
『確かに示唆された可能性は恐ろしい』
本当に恐ろしいようだ。エウノミアまで苦悶の表情を浮かべる。
『でしょう? 絶対に引き合わせてはいけない二人なのです』
よほど相性が悪そう、いや良い可能性があるのだろう。二人は非常に危惧していた。
『しかしご安心を。わたくしが起動してからエイレネの起動は確認しておりません。地下にもシルエット・ベースにもアベルという人間も存在は確認しておりません』
『安心しました。あなたが言うなら間違いないでしょう。他に可能性は?』
『わたくしが目覚める遙か以前に覚醒し、我らを欺く欺瞞行動を取りつつ、ひとしれずアベルという構築技士を救出していなければ無理ですね。いくらあの子とはいえ、そこまで用意周到に動くかどうかです』
『微妙な可能性ですね。絶対ないとはいえないような可能性です。私を欺いて行動していたことになりますから、可能な期間は限られるはずです』
『目覚めたとしてもそのアベルとやらが持たないでしょう。同じレーションばっかりで一ヶ月以上ですよ? 普通の人間ならそれだけで発狂してもおかしくありません。早々に抜け出して地上に助けを求めるでしょう』
『それもそうですね』
コウは無言だった。
レーションで一ヶ月なら余裕ではないかと。自由にブリコラージュできる環境ならなおさらだ。寝食を忘れて没頭できるだろう。
とくにのアベルなら紅茶さえあれば十年はいけると確信するが、二人の心の平穏のためにも黙っていることにした。ただ、確認は必要だ。
「一つだけいいかな。保存食のなかにはレーションの他にも紅茶はあるのかな?」
『アストライアに大量の食材が冷凍保存されていたのをお忘れですか? 紅茶や緑茶、珈琲は大量にありますよ。解凍手続きはいますが、ファミリアかセリアンスロープの手が必要です。エイレネにはいませんからね。もし彼女といても水とレーションのみと思われます』
無音の通信が開いた。リュビアだ。
哀しそうな目をしていた。首を横に振った。
シルエットベースから新造したファミリアが多数行方不明になっているのだ。
アベル生存の可能性が揃いつつある。紅茶さえあればあの男は生きている。
「リュビア。大きなネズミがいるといってなかったかい?」
空気を読まず尋ねるマットの鳩尾に肘鉄をくらわすリュビア。
「あれは気のせいだ。エウノミアが必要な物資を調達したのだろう」
下手に触れると厄介な案件だと悟ったリュビアは知らぬ存ぜぬを決め通すことにしたのだった。
『シルエットベースのデータベースをもとに必要な資材の搬入はさせていただきましたよ。もともとはアストライアのものですからね』
「アストライア。何百人かセリアンスロープを眠りから解放させてもらった」
『そのことに関しては問題ありませんが、パイロット候補ですか?』
「そういうことです。新型のクアトロ・シルエットを実戦導入するためにパイロットが必要でした」
マットが回答する。彼がリュビアの手を借りてようやく完成したシルエット。全ての責任は彼にある。
『新型のシルエット。あなたの見立てはどうですか。エウノミア』
『セリアンスロープしか搭乗できないという点を考慮すれば、クアトロ・シルエットに続く第二の革命ともいうべきシルエットといえるでしょう』
『そこまでですか』
「リュビアの手を借りてようやく完成したんだ。ボク一人の力じゃない」
「何をいう。発想は君のなかにあった。私は少し修正しただけだ」
エウノミアは不敵に笑う。
『現在、我が軍は劣勢です。その真価を早速皆さんにご覧いただきましょう』
リュビアも同じように笑い、不安げなマットはただ頷くだけだった。
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