第18話:土曜日その3「荒野のおおかみ」

 洗礼者「ヨハネ」、オレの中途半端な知識によると、ナザレのイエスの、師匠、ということになる、なんか怒られそうだな、……


 彼は死海のほとりの荒れ地に立ち、ローマ帝国の厳しい支配に喘ぐヘブライ人の群衆に向かって、神の言葉「預言」を、大声でこう告げた。


「私は、荒野に呼ばわる声、である、救い主、メシアは、既にこの地上に現れた、我々は、身と、心とを清めて、神の国の、到来を、待たねばならない」


 ******************


「荒野に呼ばわる声」


 目の前の、頭に白いタオルを巻いた弾き語りは、そう名乗り、しかし何の気負いも力みも無く、四十絡みの何者でも無い、ごく単純な生き物として地べたに座り、ごく単純な生き物としてこちらを見ている。そして、オレはその「預言者」を名乗る男を、試してみたくなった。オッサンの悪いクセだ、何でも値踏みしてみたくなる。


「荒野のおおかみ、……じゃなくて?」


 オレは課題を投げかけて見る。


「荒野のおおかみ、って、……イージーライダー? それとも、ハリー・ハラー?」


 嬉しそうに目を細めて「荒野に呼ばわる声」は逆に問い返す。


「イージーライダー」は六十年代の映画のタイトル、主題歌を歌ったのは、ステッペンウルフ(荒野の狼)というロックバンドだ。


「ハリー・ハラー」とはドイツの有名な作家、ヘルマン・ヘッセの著作「荒野のおおかみ」に登場する初老の男性の名前で、この作品の主人公だ。気弱で、劣等感のカタマリで、しかし物事の本質を一瞬で、震えが来る程アカラサマに見抜いてしまう完全人、「アウトサイダー」だ。


「もちろん、ハリー・ハラー、って意味です、ロック野郎の元祖ですからね」


 オレは答える。


「うれしいっスね、でも、どっちでもいいですよ、荒野に呼ばわる声でも、荒野のおおかみでも、意味は同じだし」


 ――分かるかな?

 とでも言いたげに唇を歪めながら、荒野に呼ばわる声はオレから視線を外し、高層ビルの夜景を見る。オレも、敢えて視線を逸らして、同じ夜景を眺める。向こうもそうなのか、それは知らないが、少なくともオレは、ある種の共感を相手に感じていた。


 そしてオレは、唐突に、ホント唐突に、本題への突入を決行した。


「オレ、変態なんですよ」


 言った、言っちまった、もう後戻り出来ない。


「へえ、……」


 しかし荒野に呼ばわる声は、目を丸くし、いかにも面白い、と言った風に笑顔を作る。意外だった。ドン引きの、シラケた表情を予想していたのだ。


「どんな?」


 さすがロック野郎だ、デリカシーのカケラも無い。逆に救われる。だって、聞いて貰いたい訳だから、何か、……ヒントを知ってそうなヤツに。


「最近、男の娘モノの同人マンガにハマッて、……って、男の娘モノって、分かります?」

「少年マンガ、……とは違うんだ?」


 それはそうだろう、当事者のオレだって、一週間前まで知らなかったのだ。言い直すことにした。


「女装男子モノのエロマンガをネットで見て、その、ヒロインの男の子の、その悩みというか、在り様そのモノが、ヤバいんですよ、切なくて、危なくて、何と言うか、胸を摑んでしゃがみ込んで、そのまま泣いてしまいたくなる、そんなヤバさなんですよ」


 何だこれ?言葉にしてみてビックリだ。いい歳した大人が、ヒドイ、恥ずい、しっかりしろと言いたい。しかし彼は、


「ヒロインの男の子、って表現、めっちゃシュールっスね!」

「そこですか?」


 オレは笑った、笑うしかない。

 弾き語りのオッサンは、後ろの芝生に右手を着いて、普通に、楽しそうに笑った。そして、短刀直入に続きを促した。


「で?」


「同性愛者になっちゃったかな、……って、悩んでるんですよ、ひょっとして、オトコが好きになっちゃった?とかね」


 少しオーバーに言った。この超然とした、或る意味「仙人」みたいな男を、少しビビらせて見たかった。


「面白いっスね、いや、気を悪くしないで下さい」


 オッサンは笑いながら目を伏せ、膝の上のアコースティックギターを、ひっくり返して裏側を上にし、その上に肘を乗せて腕を組み、右手であごを支えた。弾き語りはもういいや、さあ話を聞くぞ、という体勢。意外だった、だって目の前の中年男性、つまりオレは、ことによると同性愛者で、口説こうとしている可能性だって完全には否定出来ないからだ。


「違うんじゃないですか?」

「どうしてそう思うんですか?」

「若い姉ちゃんを見る目がヤラシイ」

「そんなバカな、見てないっスよ別に!」


 ――うーん、言われて見れば、

 言ってることとは裏腹に、そんなことを思った。セクシーな格好の姉ちゃんを見かけると、

 ――くそっ、いい女だなー、

 って、なる、確かに。


「さっき、面白いこと言いましたよね」


 彼は話頭を転じた。


「その少年の悩みが、その在り様そのものがヤバイって、どうヤバイんです?」


 オレは説明することにした。


「境界線上の季節、っていうタイトルのマンガなんですけど、その主人公の少年は、まだ十四歳で、少女と見紛う程の美しい男の子で、女の子になりたいと願い続けていて、そしてある夏、その容貌が最も美しい時期の、しかしもうすぐ身体的に男性へと変貌し始める、そんな境界的な季節に、大好きだった先生に、抱かれるために帰ってくる、っていう話なんですよ、女の子になるために」


「ヤバイっスね、いろんな意味で」

 と、荒野に呼ばわる声は笑い、


「冗談ですよ、面白いです、いろんな意味で、かなり」

 と、訂正し、


「で、今の話のどこが、あなたにとってヤバイんですか?」

 と、最後に問いかけた。


「主人公の少年のことが頭から離れないんです、その少年が言ったセリフが頭蓋骨の内側でリフレインし続けていて、何にも手が付かないんです、集中できない、かえで、主人公の名前ですが、彼が何を思っていたのか、何を求めていたのか、何を怖れていたのか、何を愛していたのか、考えてしまうんです、強迫的な想念なんです、刃物を喉元に突きつけられているような」


「考えろ、思い出せ、オマエは知っているハズだ」

 声がした。


「え?……」

 オレは驚きの声を漏らす。


「どうしました?」

 荒野に呼ばわる声が言う。


「いますぐ総括しろ、自分がしたことの責任を取れ、そして進むべき方角を決めろ」

 いや違う、オレだ、オレが言ってるんだ。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫です」

 とオレは答える。そして、


「っていう、声が心の中で、ずーっと、してるんですよ」

 と続けた、というか、繕った。


「オレはどうなっちゃったんでしょうか?この問題を総括しないと、もうこれ以上、先には進めないような気がするんですよ、さっきも言ったとおり、強迫的な想念なんです」


 荒野に呼ばわる声は、黙ってオレを見ている。


「オレは何に恋をしてしまったんでしょう? オレの本質は、正体は、いったい何がしたいんでしょう? 同性愛や少年愛に目覚めてしまったんでしょうか? いや、それならそれで、いいんです、別に、今まで仕事に対してそうであったように、また全力で、それを手に入れるまでです、常識や、世間体なんて、どうでもいいんです、今は仕事が大事だから、体面が重要なだけなんです、でも、別にオトコなんて、やっぱり全然好きじゃないんですよ、どっちかって言うと、キライです、どういうことなんですかね? それとも女の子になりたくなっちゃったんでしょうか? かえでみたいに? いや、それならそれでいいんです、この歳で女の子は、ハッキリ言ってかなりキツイですが、女装することでそれに近づけるなら、明日から最大限の努力を払うつもりです、ガッツと根性なら、誰にも負けないという自信があるんです、求め目指すものになれないんなら、人生に意味なんて無いです、でも、女性のファッションにも、メイクにも、スキンケアやヘアケアにも、別に何の興味も無いんですよ、つまらないものだと思うんですよ、花だとかガーデンなんとかとかも、ガーデニングですか? キライです、うちの庭にオリーブの木とレモンの木が植わっていることに、ついこないだ、初めてうちに来た税理士の若い先生が、眼鏡の似合う、書生っぽいタイプの若者です、それこそすぐに気付いて、ぼくもベランダにレモン植えたいんですよ、鉢植えでも大丈夫なんですかね、なんて嫁さんに話していて、十年以上住んでて、初めて知りましたよ、そんなものが庭に植わってるなんて、見てみたら、すごく目立つ位置にあるんですけどね、どう思います? ハッキリ言って、オレ、女子力=ゼロですよ、間違いなく、防災屋なんですよ、無理も無いですよね、じゃあオレは、一体何になりたいんだろう? 何に恋しているんでろう? 何を総括しなきゃいけないんだろう? 分からないんですよ、でも、でも夜もろくすっぽ眠れないんですよ、寝不足なせいで、変な幻覚めいたものまで見るんですよ、赤毛の男の子なんですよ、ちょっと可愛いんですよ、やっぱ変態ですねオレ、そしてオレは、なんだかその子のことを、知ってるみたいなんですよ、でもオレは、そんな子なんか知らないんですよ、どういうことなんでしょう? 訳が分からないんですよ、……」


 荒野に呼ばわる声は、まだ黙ってオレを見ていた。

 瞬きもせずに、じっと。


「とりあえず、総括しちゃっていいですか?」

 彼は口を開いた。


「えっ?……」

 オレは驚く。


「ハッキリ言って」

 彼は瞬きしない目で、こう告げた。


「あんたは、自分がひどいナルシストであることに気付いて、驚いちまっただけだ」


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