異世界野球譚 グランボール! メイクウォー!
@ootori
第1球 甲子園の悪夢
さっきまで流れ続けた汗は俺の闘志で蒸発してしまったようだ。
最後の一球だぞ大山翔。
俺は自分自身に言い聞かせ、ロジンバッグを持った手をゆっくりと開いた。
ダッグアウトと観客席からの声援。
八月半ばの容赦ない陽射し。
バッターからの視線。
そして荒ぶり高揚する、自分自身の吐息と鼓動の音。
それら全てを混ぜ込み、ミキサーに掛けたこの甲子園球場の決勝戦は今まさに最後の局面を迎えていた。
我が大門高校の命運ここにあり。
スコアが目の前に浮かんでくる。
1 2 3 4 5 6 7 8 9
王陵 2 0 0 0 1 3 0 0 1 7
大門 0 0 0 0 0 4 2 2 8
フルカウント。走者は1塁3塁。
バッターは王陵高校の四番にして、今季最高のバッターである岩中だ。
奴とこの試合でまみえるのは四度目。
一回と六回に打たれている相手だ。
しかし不思議と恐怖感は無い。
まるで練習のような気分で最後の一球を投げようとしている自分がいる。
熱さでどうにかなっちまったんだろうか。
それとも心が折れた?
いやいや、そんなんじゃない。
確信があるのだ。
それは今なら十八年弱の人生で至高とも言える投球ができるという確信。
俺は勝つためにこの場所へと導かれた。
そう信じていた。
厳しい練習、仲間との絆。
家族との約束。
それら全てを力に変える俺が今この瞬間、甲子園の主人公だ。
左手に白球を握り込む。
キャッチャーの遠藤から最後のサイン。
まっすぐ。ストレート。
知ってる。俺が一番好きな球。
そして絶対に投げるべき球。
行くぞ岩中。
今なら150キロだって投げられる。
セットアップポジション。
これで終わらそう。
振りかぶる。
何万回と繰り返した動作。
一瞬後には遠藤のキャッチャーミットに俺の球が突き刺さっている。
はずだった。
あれ・・・・・・?
と。
既に体は動いているのに、心が疑問符を浮かべた。
それはすぐに分かる。
指先で球が滑っていくのだ。
嘘だろ。
ホールドできない。
このままだと至高の一球どころか、すっぽぬけた小学生の投球だ。
やめろ。やめてくれ。
しかし体は止まらない。
心だけが敗北を知る。
ならばせめて時間が止まれ。
そう願った。
その時。
まず音が止まった。
次いで周囲の人が止まった。
最後に、自分が止まった。
願いが叶った瞬間だった。
「あっぶね」
俺は一度投げそうになった体勢を元に戻す。
「はい。ボーク」
突然女の声がした。
「おわ!?」
俺とバッターの岩中の中間に突然眼鏡を掛けた女性が立っていた。
白を基調とした上着。赤い膝丈までの妙なスカート。その全身を七色の太い帯が彩っている。
頭に乗せた金色のティアラのようなものが光を反射した。
おとぎ話に出てくる天女かよ。くそ、絶望しすぎてついに妄想が見えるようになったのか。
「ちょっと」
とその女は不機嫌そうな声を出しながらこっちにやってくる。
「え、誰? どっかのマネージャー、ではないよな?」
「そんなわけ無いでしょう?」
見た目は高校生では無い。
大人――二十代前半くらいか。
「じゃあ誰だよ」
俺が再度問うと。
「私は野球の女神です」
「ぶふっ」
「あ! ちょっと! なんでそこで笑うのよ」
「女神って。あんたさ、なんか野球上手くなさそうだなって思ったから」
「時間、動かしますよ?」
「あ、そうだ!」
俺は要約周囲を見回した。
時間。そうか、時間が止まっているのか。
「どうなってんだよこれ」
「ふふ。よくぞ聞いてくれました」
自称女神は、お世辞にも豊満には見えない薄い胸を張って誇らしげに答えた。
「これはスカウトです」
「スカウトぉ?」
「はい」
自称女神はにっこりと笑う。
「いや、今そういうのいらないんで」
俺は目の前で手を振り、その話を断った。
「それより早く時間を動かしてくれよ」
「いいのかしら?」
「どういうことだよ」
自称女神は球場を見渡しながら言う。
「私と神官たちの力で少しだけこの世界の空間と時間に干渉していますが、この干渉を打ち切ればすぐに現実が開始されるけど?」
「現実って・・・・・・」
「すっぽ抜けた投球はたやすくホームランになるでしょうね」
「マジかよ・・・・・・」
「三点ビハインドの九回裏。この後は下位打線からのスタートよね? 私ちゃんと知ってるんだから。あぁもう考えるだけで恐ろしい。でもそんな貴方に朗報です。この現実を回避できる方法があるんです。スカウトに応じていただければ? もう少し頑張って投球直前に時間を巻き戻せまーす!」
何処かの通販番組みたいなことを言い出す自称女神。
「どうする?」
ぐ、と。反論が出てこない。
そもそも何なんだこいつは。そんなことができるのか。いや、実際今時間を止めているし。
考える時間はいくらでもあるのかもしれない。
しかし、結論はひとつだ。
勝ちたい。
俺の心はそれだけで動いている。
「・・・・・・分かった」
「はい?」
「・・・・・・だからわかったって」
「大きな声で?」
わざと耳に手を当てて聞いてくる自称女神。
うぜぇ。
「わーかーりーまーしーた!!」
野球部仕込みの大声で承諾する。
何を?
俺は一体何を承諾したのだろうか。聞くの忘れていた。
「ありがとございます。貴方こそ伝説の勇者の子孫。必ずやそう言ってくれると信じておりました」
一転して清楚を絵に描いたような表情になった自称女神。
「それで、俺は何をすればいいんだ」
「色々事情は複雑なのですが」
「ところで何でいきなり敬語になってんだよ」
「貴方は大事な戦力だからよ。今は二人っきりだけど国に還ったら神子らしくちゃんとしなきゃいけないの」
「知らんけど」
「うるさいなぁ。まぁ私もあんたみたいな年下に敬語使うのとかちょっとプライド許さないからここでは普通にタメ口でいいよね」
「お、おう?」
こほん、と。自称女神はわざとらしく息を整える。眼鏡をくいっとあげると何故か笑みを浮かべた。
「色々事情は複雑なのですが!」
もう一度言った。大事なことなのだろうか。
「私の国がピンチなので助けて欲しいのよね」
「助けて欲しいのはこっちだよもう」
「そこはほら、お互い様で」
「はいはい」
うん。と自称女神は満足そうに頷いた。
「・・・・・・え、それだけ?」
「それだけってなによ」
「だから! 俺は何すればいいの!」
「野球よ野球。私の世界で野球しなさい」
「野球、するのか? どこで?」
「だから私の世界。正しくはかつてレイランドを統べた王国の元首都、アロニアのチームよ」
あろにあ? どこだそれ。
「あ、ピンと来てないわね。アロニアは此処とは異なる平行世界。簡単に言えば異世界ね」
「異世界、なのか。外国じゃなくて?」
小学生の時代から野球漬けだった。それ故に野球に関する漫画や小説以外の物語を読んだことはないが、大体わかる。
ほら、主人公が異世界に行って魔王を倒してお姫様を助けるみたいなやつだろ。
「つまり俺は勇者で野球しながら魔王みたいな奴らを倒すために旅に出るのか・・・・・・」
「んん~? まぁいいわ」
あれ、なんか微妙な反応だぞ。
「なんか間違ってる?」
「四割くらい当たってるから大丈夫」
「それかなり外れてねぇか!?」
「いいのよ大体合ってれば。何でもかんでも100パーセント納得しないといけない奴らが世の中悪くしてるんだから。アバウトでいいのアバウトで」
「そうなのか・・・・・・。なぁあんたさ」
「なに?」
「ほんとに女神?」
「三割くらい」
「さっきより減ってるじゃん!」
「いい加減が良い加減なのよ。正しくは[[rb:神 > み]][[rb:子 > こ]]だけど。ところでちゃんと名前があるんだから。あんたとか言わないでね」
「なんかめんどくさいな」
「めんどくさくない」
自称女神は頬を膨らませ怒って見せた。
「契約の前に自己紹介しなくちゃね。うんうん。私の名前はペトラ。ペトラ=ダモア」
「意外と日本人とのハーフみたいな見た目してるのに外国の名前なんだな」
「うるさい。あんたは?」
「俺は大山翔。翔って読んでくれていいよ」
「分かったわ翔。私のこともペトラって呼ぶことを許してあげる」
自称女神――ペトラはそんだ物言いで、俺に向け手を差し出した。
「握手?」
「そう。契約締結の握手」
僅かな期待とそれを上回る不安。
この手を握ったら、なんだかとても面倒な事に巻き込まれるような気がする。
そして俺のマイナスに振れた直感は往々にして当たるのだ。
周囲を見渡す。
時間が止まった甲子園。
でも。これはチャンスだ。
ペトラの力は恐らく本物だと仮定して。もう一度さっきの球を投げ直せるのなら。
「よろしく、でいいのか」
俺の中に、目の前に差し出された手を握る以外の選択肢は無かった。
「はい。よろしくね。勇者サマ」
ペトラの手を取る。
その瞬間。
景色が歪み、世界が光に包まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます