転機の春

木下美月

転機の春

 

 いつだって、春だった。

 出会いも、別れも。始まりも、終わりも。

 だから肌に感じる空気が暖かくなる度に、風が花の香りを運んでくれる度に、桜が美しい色を見せる度に、私は思い出すのに。






「人体実験?」


 ワンルームの中で一人声を上げるくらいには驚いた。

 パソコンの画面をよく見て、その文字が間違いではない事を確かめる。


「そうか、コールドスリープか……」


 それは人体の低音状態を保ち、時間による老化を防ぐ技術。つまり人間の冬眠だ。宇宙船では既に実用化されていると聞いたことがあるけど。


「ひ、百年って、規格外だなぁ」


 実用されているのは精々一週間程度だろう。百年の冬眠なんて、まさに一方通行のタイムトラベルじゃないか。

 でも、私にはこれしかない……。


 気付けば画面に様々な個人情報を入力していた。我ながら何の未練もないのか、と少しだけ呆れたが、そんな些末な事で躊躇う私ではない。

 注意事項の『命の保証は出来ません』を、大して重要に感じないまま私は送信ボタンをクリックした。






「まさか本当にインターネットから実験体がみつかるとは……」

「時代ですな。世も末か……」


 いつだってこの地獄耳のせいで私は精神を病んできたけど、今だけは私を揶揄する声なんてカラスの鳴き声と同程度の価値。


 この小綺麗な待合室から見える桜は、これから私を待っている結末がどんなものであろうと、それを美しく飾ってくれる。そんな魅力があった。

 寧ろ、私はここで終わりたいのかもしれない。

 報酬金に目が眩んだわけじゃない。ここではない何処かに行きたかったんだ。

 それは百年後か、いや、或いは実験が失敗してくれた方が――


「お待たせいたしました。この度はご協力心より感謝申し上げます」


 人懐こい笑みを浮かべた女性は、少し私を同情しているようだった。

 自分でも、憐れだと思う。

 でも、これが私の人生。

 子供の頃は、春が来る度に真新しい事を迎えた。

 でも、大人になって知った。

 新しいスーツを着て春を迎えた時。これが最後の『真新しい春』なんだって。

 それから先はずっと、何年も、同じ春が来る。冬の次にあるだけの、去年の延長であるだけの。

 だから私は、この春で終わらせたい。


 同じ日々が続くなら、生きてる意味がないじゃない。


 最古の桜は二千年も生きているって聞いたことがある。

 でもその桜だって、毎年違う人達に囲まれて、美しいと褒められているんだ。その価値ある感情に影響されてるから、その桜は毎年花を咲かせるんだと思う。

 なら、これから霞んでいく孤独の私に、存在価値なんてないでしょう。


「綺麗ですよね」


 彼女は余計な言葉を発してはいけないのだろう。自殺願望者をカウンセリングして、実験体になる事を躊躇わせてしまうのは、研究者たちにとっても、国にとってもよくないことだ。


「……ええ、本当に」


 だから私は気の無い返事でやり過ごす。

 この実験の成功確率なんて、たかが知れてる。だからこそ、皆が哀れむのだし、だからこそ、私は引き受けた。

 だって、図々しく二十数年間も生きた命をただ捨てるよりもよっぽど建設的だし。

 万が一、実験が成功しても、百年後ならば私を知っている者は誰もいない。ここよりは上手く生きられるかも……






「…………!」


 寒い。

 違う。

 暖かいのかな。

 誰かが何か喋ってる。

 誰が?

 どうして?

 私に何を言うの。

 思い出せない。

 昨日は何してたっけ。

 会社を辞めたのは一昨日?

 違う。

 昨日も一昨日も無かった。

 そうだ。

 私は。



 どよめきの様な歓声が聞こえる。こんなに騒々しい朝はいつ以来かな。ところで、今は朝なのだろうか。


「実験は成功だ!」


 その言葉に私は、喜べなかった。






 あの時から百年経ったんだ。

 別にこの時代に想いを馳せていたわけでもないし、この世界を見ても大して感動は受けなかった。そもそも、感動なんていつが最後だったかな。


 暫くは身体検査とか、メディアに追いかけ回される日々が続いた。

 でもあいつらの質問ってば全くつまらない。

 この世界をどう思うなんて言われても、やっぱり過去の延長にしかないと思えた。

 街を歩くロボットだって百年前には製造途中だったし、空に浮いてる建設物は仕組みはわからないけど、土地が足りないって騒いでた百年前の問題を解決したに過ぎない。

 身体の方はどうやら問題ないみたいで、実験は本当に大成功だったらしい。


 でも、私はこれからどうするのかな。


「お姉さん。よかったら見ていってよ」


 下手くそな日本語を操るこの男は、間違いなくロボットだ。外見でわかる。

 馴れ馴れしく目の前から近寄って来るけど、こいつに触れれば、たちまち部品が外れて故障する事は知っている。これは最近問題視されてる詐欺だ。ロボットが壊れた途端に、店から人間が出てきて修理費を要求するんだ。

 もっとも、私にはそれを払えるだけの報酬が出てるんだけど、人間と話す事ほど不快なことはない。


 華麗にロボットと人のゴミをすり抜けてやってきた商業ビル。

 今では全くなくなってしまった書店に入り、目当ての雑誌を手に取る。この旅行雑誌も最後の一冊だ、本は全く売れないし、旅行に出掛ける人も今時いない。全てヴァーチャルリアリティで事足りる。


「……」


 無人のレジでカードと商品を通して、コミュニケーションという面倒を省いた効率の良いショッピングを済ませた私は部屋に帰る。


 この時代は冷たい。

 常人だったらそう感じると思うけど、私からしたら生き心地が良い。誰も私に興味を示さない。今ある実験体という呼称が無くなれば、私は誰でもない独りになる。価値があるのは私が持つ財産のみ。


 いいな、ここは。



 数日後、私は最古の桜を見るために旅立った。

 電車は無音で走り、ビルの隙間を、上を、或いは地下を通ってストレスなく目的地にたどり着いた。


 しかし、目的地に有ったのは、巨大なテーマパークだった。

 私はそこに入った。もしかしたら園内に桜が咲いているかもしれない。今は春だから。


 しかし、いくら探してもない。

 探しているうちに私は思い出した。

 科学技術が進んで植物が不要になったんだ。

 酸素も食糧も何もかも、人が作る事ができる。やがて場所を取るだけの植物は全て排除された。

 だからって二千年続いた桜まで無くしちゃうの?私の名前の由来だったのに。

 そうか、人は自然に魅力を感じなくなってしまったんだ。

 どうりで春なのに花一つ見かけないわけだ。


「……はは」


 私は笑った。

 桜のない春では、始まりも終わりも想像できない。


 いつだって桜が咲く頃が転機だったんだ。

 桜が咲く度に私は生まれ変わったのに。

 結局過去の延長である未来に来ても、何も変わらないんだ。


「ひっ!」


 折角ストレスの少ない時代だなって、少し期待したのに。


「きゃぁぁああ!」


 お母さん、貴女がくれた名前、気に入ってたんだよ。

 桜が咲く度に成長する様にって。

 でも、いくら桜が咲いても歳を重ねるだけになってしまった自分に嫌気がさしたんだ。


「き、狂人だっ!!」


 だから桜咲く春に心機一転、違う世界を求めて来たのに。

 ここでは桜は咲かないんだって。だから私が咲かせるの。赤い飛沫を、綺麗な桜を。

 じゃないと、実験は――


「あいつを止めろ!!」




 ――――――――――




「春野さくら……被験者か。数日間は大人しく暮らしていると思ったが、一体何が彼女を狂わせるトリガーになったんだ?」


「さあ……そもそもナイフを持ち歩いてる時点で異常ですね。その上、どうやら春に……桜に、強い思い入れがあったそうですね」


「春……季節の事か。あぁ、聞いたことあるな。昔の人間は雑草を見て感情を動かされていたとか。まあ、昔は今ほど娯楽が多くなかったって言うし、おかしな事でもないのだろうか」


「それが、昔の人間の中でも彼女は際立っておかしかったようで……精神疾患を患っていた様です」


「なんだって?百年前はそんなにストレスが多かったのか」


「ええ、俄かに信じられませんがね。暴力の激しい父を殺害し、被害者であり理解者である母すらも殺した前科があります。二人を救う為だとか。それも……春の事ですね」


「狂っている……季節の移ろいに情緒を感じる人の感性は、時に災害を起こす引き金になるんだな」


「ええ、現代は年中過ごし易い気候で、植物を無くしたことも成功でしたね。彼女の様な異常者が生まれずに済むのですから」


「ああ。ともかく、雑草に精神を洗われる様な弱い過去の人間は現代に適応出来なかった様だな……実験は失敗だ」

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