第14話 爺さん
家の影から現れたのは黒い袴を着た一人の老人。
気まずい、ひじょーに気まずい。ピッキングなんて怪しい単語を聞かれた。たぶんだが。
だって聞かれるなんて思わないだろう? 人が居るなんて思わないだろう? 小野川の硬直具合からも俺と同様に気まずい気持ちだ。たぶんだが。
この辺りはもう無人だと思うじゃん、健康な人たちは皆、何処かのシェルターに行っているものだと思うじゃん。
火事場泥棒がそもそも合法化したような世界でも持ち主に現場を見られたら言い逃れはなんてできない。まさに現行犯で逮捕だ。むしろ無法国家になった分だけどんな制裁を受けるのか分かったもんじゃない! ああ、なんて言い訳するんだ。そもそも言い訳の通じる相手か? 仲間もいるのか?
「あ、いえ……ちょっと。良い感じだなーなんて……」
良くない、全然よくないぞ。その受け答えは。目も泳いでいるし。……かといって俺自身なんと言えば良かったのか皆目わからんのもまた事実。
「もしや〝けんがく〟の方かな?」
「はい?」
けんがく? けんがく……?
「いや、よく来てくれた! 電気も水道も止まっているが、せっかく見学に来た方を追い返すわけにもいかん! ささ、どうぞゆっくりしていってください!」
「あ、いえ。私達は……」
「どうぞ、遠慮なさらずに」
爺さんはくしゃくしゃ笑いながら俺達を家に上げた。唐突の親切も人を硬直させるらしい、俺らはグイグイと背中を押されるまま従っていた。ちなみにだが彩香は爺さんが引きずっている。簀巻きにされた女子高生に何の疑問を持たないのはこの際、目を瞑るとして……。
家は広く、玄関と廊下にトロフィーがズラリだ。圧巻てやつだな。なるほど見学ってのはこれについてのことか。近くい道場もあるのかも。
プレートにはどれもこれも同じ名前だ。金ピカで一つとして銀も胴も混ざってない。これ全部が爺さんのか? どのトロフィーの上にも袴を着て構えをとった人形が立っている。どうやら合気道大会のもののようだ。
促されるまま簀巻き妹、俺、小野川の順でソファーに座らされた。
目の前には背の低いテーブル、皿に盛りつけられたお菓子。空の包装紙が既に一つ。小野川の口がモゴモゴ……。まったく見えなかったのだが。
部屋の中心に向かい合う二つのソファーと、それを取り囲むように棚が配置されどの棚にも大小様々なトロフィーがズラリ、圧巻というかここまでくると変な威圧感と言ったほうが近い。もしかするとその界隈では有名な人なのかもしれない。
「凄いですね。全部お爺さんのですか?」
小野川の前には空いた包装紙が積み重なりつつある。ぼりぼりとお菓子を貪りながら聞くの失礼じゃない? ゾンビに常識を問われるとかそらもう終わりよ。
「ええ、これでもそれなり合気道では有名でして」爺さんは少々照れくさそうにしながらも誇らしげに答えたが、すぐに表情が曇ってしまった。「門下生もいたのですが。皆近頃ぱったり来なくなってしまってどうしたものかと」
ゾンビの騒動があればそりゃ当然だろう。むしろゾンビ門下生になって道場に通ってこなくてよかったと思うよ。
「それに最近は何かと変でしょう。電機はいつまでも停まったままで電話も繋がらない。買い物に行けば誰もかれもが呻いて。気になって話しかければこちらに無遠慮に抱き着こうとしてくる始末。店に入っても店員は呻くだけで商品は一向に補充されない。文句を言っても責任者もにたようなありまさまで呻きながらペコペコと頭を下げるだけで……」
変というか。変では済まないと思うのですが。むしろ爺さんの方がどこか変というか。
「ああ、いけないですね。久々の来客がうれしくて、つい、お茶も出さずにベラベラと。少々お待ちを」
爺さんはそう言って立ち上がり、奥に消えていった。台所だろうか、誰かと話す声が聞こえてくる。くぐもって良くは聞こえないが。
これまで生き残っていることを考えればトロフィーの群れが示す通り、あの爺さんの戦闘力はそれなりに高いらしい。合気道にステータスをごく振りした結果、あんな感じなのかもしれんな。ボケているというよりは、やっぱり『変』という言葉が合うような気がする。
「ゾンビになってまで客にペコペコするってまさに日本って感じですよねー」
確かに。そういう意味じゃ、こうなる前と日本てたいしてかわってねぇな……少しは遠慮しろ、テーブルにゴミ山ができてんぞ。
「どうして! ……! ……したら……さ!」
奥から声が聞こえてくる。若い少年の声だ。内容はわからんが穏やかでないのは確かだ。
「私達来てよかったんですかね?」
気遣い的な発想なんだろうが、ゴミ山を作りながらソファーに沈み込んで菓子を頬張っているとたんなる建前にしか聞こえん。さてはこいつ、動く気ないな。
だがまあ確かに、来ない方が良かっただろうなと俺も考えていたところだ。
ゾンビ連れであるのだからなるべくは避けるべき……なんだろうが。とは言え、とは言ってもだ。もう無理! 動きたくない! というのが正直な気持ち!
この足が! 何時間も歩き回ってやっと休めたもんだから完全に怠惰スイッチが入ったのでもう動けない。このふかふかソファーがいけないんだ。俺は悪くない。ボロアパートや学校では味わえなかった心地よさ。カフェで本を貪っていたのが遠い昔に感じられるほどの快適さだ。
陽は落ちて暗い外をこれからまた歩くのは嫌だし、小野川としても歩きたくないだろう。
疲れているのは簀巻き彩香も同じなようで大人しいくしている。俺を挟んだ隣に小野川っていう食べ物が座っているのにもかかわらずだ。高級ソファーはゾンビもダメにするらしい。いつもの「あー」も力の抜けるような発音だ。
「そうしていると妹ちゃんというか芋虫ちゃんですね」
やかましい。
「お待たせしました。せっかく来てくれたのですから今日は泊まって行かれるのがいいかと。ああ、浩介、挨拶なさい」
「どうも、はじめ……」
部屋に入ってきたのは中学生くらいの男子だ。硬直している。ガッチガチに。
いや硬直というより……。
「ゾ、ゾン、ゾンビ!!」
「驚かせてごめんなさい、でもほら今は簀巻きにしてるから安心……」
「ふ、二人も!」
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