我は顎関節症であるが故に
雅 清(Meme11masa)
第1話 顎関節症は顎の病気
噛まれる、又は傷口に体液が触れることにより感染し24時間で発症。治療法は発見されていない。
最初の感染者が見つかったのは確か二か月前、国としての機能が損なわれて一か月。日本にはいわゆるゾンビになる謎の奇病が蔓延している。悪い夢か、なんの面白くも無い酷い冗談みたいな世界だ。
外は「あー」「うー」とお決まり呻き声で溢れている。B級ゾンビ映画でよく聞いたけどまさか本当に聞く羽目になるなんてな。
血塗れサラリーマンと女子高生がバス停に並びスマホを濁った眼でみている。電源の入らないスマホの一体何が面白いのか。老人ホームの老人ゾンビはノイズしかでないラジオを前に並んで体操だ。感染前よりも生き生きと思えるほどに背筋が良い。それを見守る介護士ゾンビは介護の必要がなくなって心なしかその顔は晴れやかに見える。今日も高校球児の健康ゾンビ達が列をなして土手を進んでいく、走っているつもりなのだろうが昨日よりも遅いぞ。頑張れ。
そんな光景を見ている俺もゾンビだ。
感染したら映画のように潔く死んでやろうと思ったが現実はそうはいかない。首を吊る。刃物で喉を切る。ビルから飛び降りる。どれもこれも勇気がいりすぎる。銃でもあれば良かったんだが日本で手に入れるのは難しい。警官の死体から拝借しようかと思ったが、考えるのは誰も同じで手に入れる事はできなかった。そのまま何もできず今はゾンビとして生活しているというわけだ。死んでいるようなものなのに生活という言葉がゾンビに当てはまるのかは知らないが。
ゾンビになってからというもの、肉が恋しくてたまらない。何の肉かはわざわざ言わなくてもわかるだろう。あの肉だ。普通なら嫌悪して想像するのも躊躇われるはずがゾンビになってから毎日、毎時、頬張るところを想像している。詳しい内容は配慮して止めておく。好きに想像してくれてもいい。
しかしストレスだ。何がストレスかって? こうして外を歩いているとどいつもこいつも肉に齧りついていやがる事だよ。地面で犬みたいな姿勢でがっついていたり、ホットドック気分で食べ歩きしていたり……まったくなんの嫌がらせだ。こっちは顎が開かないから齧った事なんて一度もないんだぞ。
俺は顎関節症なんだ。ゾンビになる前からな。知らない奴にどんなものか簡単に説明すると顎が開かなくなる病気だ。顎関節症になると顎の関節が痛いのだがこれがけっこう辛い。激痛の部類に入ると思う。〝個人的には〟だけどな。
開けようとするたびに何かがつっかえるようになって激痛が走るんだ。想像してみてくれ、顎に関係する何かをするたびにだぞ。そんで関節に鍵をかけられたみたいに開かないんだ。
俺は一度、学生の頃に発症して音楽の時間になると当然歌うわけだが、なんせ顎が開かん。そうなると喧しいババアが「加藤君、それは開いてるのかな?」って言ってきやがる。「顎関節症なのでこれ以上開けません」と説明しても開け、開けとうるさい。診断書を見せてやっと黙らせることができた。
体育の時間も「加藤、声出せ!」と当然言われた。体育の先生は理解のある先生だったからその後、相談に乗ってくれたので感謝しているけども……今も無事でいるのだろうか? 今会ったら襲い掛かってしまうだろう。いや、柔道をやっていたから返り討ちかな。
そんな顎だから食事もひと苦労だ。
自分の口を開けて確認してみろ。指が三本縦に入るだろ、それが普通で健康な状態だ。俺の場合これが一本も入らないんだ。つまり指の太さより大きい物は全部入らん。そうなるとスプーンや箸を口に入れるのがまた難儀なことになる。スプーンや箸だけなら入るが問題は食べ物の方。スプーンの上に乗っている食べ物がまるで計量スプーンで計っているみたいにずり落ちるし、箸でつまむのも普段の量からすれば少量。そんなだから唐揚げなんかはちびちび齧るか無理やり隙間に押し込んで食べるしかない。
そしてまた痛みだ。食べ物が硬いほど顎に力がかかって痛い。噛むたびに苦痛に耐えなきゃならない、なんの拷問だと食べるたびに思ったよ。楽しいはずの食事はストレスでしかない苦行になるんだ。
何とか治したが大人になって再発。また治すために色々やって、病院にも通っていたんだが、診察中に乱入にしてきたゾンビに腕を噛まれて治る前にこうなっちまった。
ゾンビになれば病気は勝手に治るもんだと最初は思ったがそうでもないようで、俺の顎は開いて5㎜ほど、最悪な事に感染前の1㎝を下回っているし痛みもある。
なんでジジイゾンビ共の背が真っすぐになってんのに俺の顎は開かないままなんだ? 納得できないのだが?
それにゾンビになってから悩みも増えた。食えないのに空腹感は以前の倍以上、でも食べれるのは肉だけ。ゾンビになる前は粥やスープなんかを飲めたが、ゾンビになってからそれらを食う気には全くなれないし、食ったところで吐き出してしまう。唯一大丈夫なのは炭酸飲料だ。何故かは知らんがゾンビでも炭酸はいけるらしい。
そうしてできあがったのはレジ袋に炭酸飲料を詰め込んで街を徘徊するゾンビだ。手に持っているのがペットボトルでなくビンか缶ならきっと重度のアル中に見えたことだろうな。
「あー」
今、呻き声をあげたのは先輩ゾンビだ。本名が分からんので勝手に田中さんと呼んでいる。知能は低い、ゾンビだからな。歩いて食べることしか知らん。
感染前の習慣だろう、ショウウィンドウに写った自分を見て前髪をしきりに気にしている。
俺は「うー」とだけ返事をした。何故、自分の知能はそのままなのか? どうせゾンビになるのなら田中さんのようになりたかったのだが。
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