バイオレンスサッカーばあちゃん、故郷に帰る

達見ゆう

第1話 サッカーばあちゃん、若葉苑へやってくる

 ここはS県浅葱町立の老人施設「若葉苑」。

 この町はS県北部にあるアサツキが特産の小さな町であり、町の一角に老人施設「浅葱町立若葉苑」がある。

 うららかな春の日差しが降り注ぐ中、その事務室で一人の青年が書類を見ながら顔をしかめていた。

 書類に目を落としたかと思えば、何度もスマートフォンの画面を見たり、入口や窓を見たり、落ち着いているとは思えない仕草である。


「そろそろ来るとは思うのですが……」


 そうつぶやいた時、外から女性の声がした。


「ごめんくださぁい」


「あ、来た」


 青年は慌てて立ち上がり、ドアへと向かうが何か作業を始めたため、なかなか開けない。


「すみませーん。本日入る内野です。どなたか居ませんかー?」


 声はさっきよりも大きい。青年は焦って作業をする。


「まずい、早く解除しないと」


 ドアノブや周辺を早めにいじるが、焦っているのか、なかなか作業がスピードアップしない上に開く気配はない。


「す・み・ま・せ・んっ!」


「まずい、あれは噴火寸前だ」


 キレた声があがったのと、ドアを開けたのは同時だった。


「誰も居ないのかいっ! ここの植え込みのアサツキを引っこ抜いて夕飯の材料にするわよっ!」


「ま、待ってください。すみれ大叔母様! そんなことしなくても苑ではちゃんとアサツキ料理を出していますからっ! 浅葱町はアサツキが欠かさないのはご存知でしょっ! 生まれ育った町なんだから」


 青年はようやくドアを開けて、猛ダッシュで入口へ来て肩で息を切らしていた。


「ふん、居るなら居るで返事くらいしなさいよ、総ちゃん」


 そこにはジャージ、スニーカー、グレイヘアのショートカットがよく似合っている、若い頃は美人だったのだろうと思わせる老婆がいた。スポーティーな格好だが、なぜかサッカーボールをポンポンと膝でリフティングを続けている。


「だ、誰も居ませんよね」

 

 ここまでやり取りして、総ちゃんと呼ばれた青年は慌てて辺りを見回す。誰もいないのを確認して声を潜めてすみれに話しかけた。


「声が大きいです。それにここでは浅葱さんとか総一郎さん、または所長と呼んでください。名士浅葱一族の出身とわかると、コネで入ったとか面倒なことを言われますから」


「コネ? こんな不人気でガラガラの苑にわざわざコネで入る人いるのかい? 『ボケない画期的な格安老人施設!』と謳ってるけど、実際は食事や掃除をセルフでやるから誰も来ないんだろ? 閑古鳥鳴きすぎて『落葉苑』と揶揄されてるのは知ってるよ」



 すみれは手厳しく批判するが、これは事実である。上げ膳据え膳では老化が進行するとして、老化防止と経費節約のためには、とにかく体を動かすことを信条としているため、入所者があらゆる雑事をこなし、入所条件も足腰が丈夫な者に限られてしまう。それ故にこの施設は格安の割には不人気で閑古鳥が鳴いていた。


「相変わらず辛辣ですね、大叔母様。まずは所長室へ入りましょう。ドアは開けてきましたし」



「で、今回は何をやらかしたのですか? 」


 お茶を出しながら総一郎が尋ねるとすみれは思い出したのか、再び不機嫌な顔をして答え始めた。


「兄さんからはどこまで聞いているんだい?」


「おじい様からは家庭崩壊モノの喧嘩をしたと聞いてますが」


「ふん、兄さんもぼかすのがうまいわね。あの鬼嫁、私の現役時代のユニフォームをフリマアプリで売ってたのさ。コレクションのバルサのサイン入りユニフォームもさ」


「それは確かに咲子おば様が悪いですね。無断で売るなんて」


「腹が立ったのでニードロップをかましたらあの鬼嫁、避けやがって。床に穴が空いたよ」


「……」


「反撃に飛び蹴りかましてきたから、避けたら今度は壁に穴が空いてね。義雄に『このままだと家が壊れるから頭を冷やしてくれ』と言われたのさ。やだねえ、母親より嫁をとるなんて」


「それ、家庭崩壊ではなく家屋崩壊と言いませんか?」


 辛うじて、総一郎がツッコミを入れるが、すみれは意に介さない。怒りが蘇ってきたのか、湯飲み茶碗を持った手をワナワナと震わせて愚痴を続ける。


「どっちだって似たようなものさ。しかもあの鬼嫁、『お義母さま、あの現役時代のグッズは大して高く売れませんでしたわ』なんて抜かしやがって」


「それはそれで複雑な気持ちですね。まあ、大叔母様の時代は男子サッカーもマイナーな時代でしたから。W杯なんて夢のまた夢。逆に今の子が聞いたら信じませんよね」


「ひどいわよ、バルサのユニフォームはおじいさんの形見だったのに。ううう」


 すみれはハンカチをカバンから出して泣きだした。


「秀雄大叔父様はまだご健在でしょ? 今はプレミアリーグを観にイングランド行ってるのではなかったでしたっけ?」


 総一郎はすみれの態度に動じす、淡々と返事をした途端にハンカチから顔を離してケロッとした顔をした。涙はもちろん流していない。


「やぁねえ、ちょっとしたブラックジョークよ。私はプレミアリーグより、リーガ・エスパニョーラが好きだから同行しなかっただけさ。でも、こんなことになるなら一緒に行けば良かったか。いや、鬼嫁に何もかも売り飛ばされるから残って正解かも」


「日本に残っても、スペイン行ってもどちらも地獄絵図な気がしますが」


「一応言っとくけど、大事な物は避難させるためにここに届くようにしたからしばらく荷物ラッシュだよ」


「と、とにかく、大叔母様。繰り返し言いますが、ここでは大人しくしてくださいよ。浅葱一族出身ということも内緒です」


 総一郎の懇願にすみれはふんぞり返って不機嫌そうに返事をした。


「わかってるよ。ただ、こんな辛気臭いホームに籠るつもりはないし、トレーニングは続けるからね」


「あ、その点は大丈夫です。うちの連中は辛気臭いから三万光年は離れてます」


「へ?」


「まあ、まずは談話室へ行きましょう。説明する前にその方が早いです」


 そうして二人は所長室を出て、談話室へ向かった。

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