第2話「少年は魂に触れる」

「まずは、アキ」


 いつもの様にナギに起こされたセフルが、ナギとアキの待つ野外の鍛錬場に出てくると、アキを手招きして呼び寄せる。とことこと近寄っていく。少し打ち解けたのか、緊張している様子は見えない。


其方そなた、いまの階梯は?」


 セフルが尋ねる。


実魔法ガ・マギアは、水系と火系が第三階梯で、土系と風系は第二階梯です。幻魔法ラ・マギアは全て第二階梯までです」


 アキは、怪我などに対する応急措置に必要な水系、それとメイドとして必要な火系の二つを第三階梯まであげ、それ以外は第二位階梯までしかあげていない。

 第一階梯の生活用魔法ならば、魔力回路さえあれば承認無しで誰にでも使えるが、第二階梯以上の魔法を使うためには、上位階梯の承認資格を持つ者の承認が必要になる。

 また、八つある魔法の系統ごとに承認が必要になるため、結界魔法が第三階梯でも風系魔法は第二階梯ということが起こりえる。もちろん、承認されなければ、その階梯の魔法を使用することは出来ない。階梯が上がれば使える魔法の範囲が増える。

 しかし、一般生活では第一階梯で十分であり、第二階梯は職業に応じて取得する程度で、第三階梯以上は高度な専門知識を必要とし、アーハン王国内では第三階梯を持つ者の多くが王立高専の卒業生である。その意味では王立高専にも通わずに二つも第三階梯にまで上げているアキはかなりの実力者と言えるだろう。護士団アミュレットで言うなら小隊長以上の実力と言える。

 ちなみに現在までに人が到達した最高階梯は第五階梯であり、全ての魔法を第五階梯まで使うことが出来るのは、アーハン王国内では国王と聖司祭しかいない。それより上は精霊神か天使アンジュにしか使えないとされている。

 そんなアキの階梯を聞いたセフルが少し考えてから、


「ちょっとしゃがんでくれるか」 


 と言い出す。


「なんでしょうか?」


 突然そう言われて戸惑うアキ。


「いいから、わらわの前にしゃがめ。其方そなたわらわより背が高いからのう」


 言われるままに膝を着くアキ。褐色の手のひらが甘栗色の頭髪の上に置かれると、次の瞬間、微かな光が放たれる。


「これで、其方そなたは第五階梯までの魔法が全て使える様になったぞ。やはり、その位は使えんと、天使アンジュを相手にナギを護るのには心許ないからの」


 平然と言うセフルに、軽く目眩を覚えるアキ。以前、第三階梯の承認を受けたときには、大宮司様の長い呪文の詠唱を聴いたはずだったが、精霊神には詠唱する必要すらないようだ。


「でも、アキ、そんな高度な魔法なんて使いこなせるんでしょうか?」


 アキがため息交じりに抗議する。承認されたからと言って、すぐに魔法が使いこなせるわけでは無い。重くて丈夫な剣を使う許可を得たところで、本人に相応の筋力が無ければ持ち上げることすら出来ないのと同じだ。結局は本人の能力次第である。


「まあ、それはこれから修練するしかないじゃろうが、その程度は使いこなせんと、ここから先が辛いぞ」

「?」


 言われたアキも、横で聞いていたナギも小首を傾げる。はてなの姿勢だ。二人の動きが同期しているのを見て、ちょっと和んでしまうセフル。


其方そなたらは仲が良いのう」


 そう言われても頭の中のはてなが量産されるだけである。


「まあよい、次の段階に進もう。アキ、何か魔法を使ってくれ」

「何かですか?」

「ああ、出来れば持続性のある魔法がよいのう」


 セフルの目的がわからないが、とりあえず術式石プロト・ペトラを選び始めるアキ。


「さて、ナギ。其方そなたにもすることがあるぞ。アキが使う魔法を感じるのじゃ」

「魔法を感じるんですか?」


 セフルの言葉に、さらにナギが首を傾ける。やっぱり意味がわからないのだ。


「いま、其方そなたとアキの魂は繋がっておる。じゃから、アキが使う魔法を目で見ずとも感じることが出来るはずじゃ」


 ナギはセフルに全幅の信頼を寄せている。なので、その行為が自分にとって必要であることに疑いを持ってはいない。ただ、その方法が検討も付かないのだ。


「ははは、そんな顔をするな。まずはわらわが手助けしてやるから、自分の中に意識を集中しろ」


 ナギの後ろに立ったセフルは覆いかぶさるようにそのお腹あたりに手を当てる。


「目を瞑って、わらわの手のひらが当たっているところに集中しろ」


 言われた通りにナギが目を瞑ると、離れたところからアキの声がする。


「まずは、この体表硬化の術式石プロト・ペトラを使ってみま~す」


 緑の術石を握りしめてアキが発動の呪文を唱える。


発動コレル!」


 拳を触れて魔法の効果が現れたのを確認したアキは、大きな庭石を殴ったり蹴ったりしはじめる。

 それを見たセフルの紫の瞳が腕の中のナギに目をやる。何かの余韻を感じているかの様に目を閉じたままだ。


「どうじゃ、何か感じたか?」


 目を開けたナギが、動き回っているアキの方を見ながら答える。


「はい。お腹の奥に二つの光を感じました。その片方にアキを感じた気がします。もう片方はセフル様ですよね」


 アキがひらひらと手を振るので、ナギもそれに応えて笑顔で手を振り返す。


「感は良さそうじゃの。まずは、その感覚を広げるところからじゃ。アキ、どんどんと魔法を使え。其方そなたの習熟ついでに、ナギに魔法を感じさせるんじゃ。じゃが、重ねがけする時は効果時間の差に気をつけろよ」


 魔法は一度に一つしか発動できないが、時間的に持続するものなら、効果の重複は可能である。


「はーい。じゃあ、身体強化との重複を試してみまーす」


 アキが少し考えてから身体強化魔法を発動させる。先日の体験から魔法自体を弱めに掛ける。まだ効果を強めすぎると振り回されてしまうのである。

 少し腕を振り回して確認してから岩や壁をぶん殴り始めるアキ。その顔はかなり爽快そうな顔をしているが破壊はしていない。それでも、かなりの衝撃が広がる。強弱の加減の練習もしているのだろう。徐々に調子に乗ってきたのが楽しそうな尻尾の動きでわかる。


「最後の一撃ぃ」


 そう宣言したアキが、思いっきり振りかぶって、大岩に渾身の一撃を入れた。他の二人が大岩が砕かれるのを想像した、その瞬間、


 ごん!


「痛ぁぁぁい!」


 アキが拳を抑えて悲鳴をあげる。同時にナギも痛そうに腕を引っ込める。


「ばかもんが! 気をつけろと言うたじゃろう。先に掛けた体表硬化が切れてしもうたんじゃ。ちょっと見せてみい」


 今までは自然に出来ていたことなので、調子に乗って失念してしまったのだ。

 セフルが一旦ナギから離れて、腕を押さえて痛みに耐えるアキに歩み寄る。


「ふむ、折れとる……というか潰れとるの。仕方ないやつじゃ。ほれ」


 アキの腫れた拳にセフルが手を翳すと淡い光が漏れる。アキの顔からすぐに苦痛の色が消える。


「あれ、もう痛くない。骨折まで一瞬で治せちゃうんですか? 骨折なんか普通は時間をかけて何回も治癒魔法を掛けないと駄目なのに」


 強打した手を振り回して確認するアキに、少年が自分の手を確認しながら声をかける。


「アキ、忘れてるのかもしれないけど、セフル様は世界に八柱しかいない精霊神のお一人ですよ」


 セフルたち精霊神の魔力は限りなく純粋魔力プルス・マギに近い為に肉体が拒絶反応を起こさないので、一気に治療することが可能なのである。


「そうでした。ただのエロねーちゃんじゃなかっ、うぐっ!」

「口が悪いのう脳筋メイドめ。子供の教育に悪いことを言う口は、取り払ってしまった方が良いんじゃないか?」


 軽口を叩くアキの口を褐色の手が塞ぐ。そのままきりきりと締め上げられて人狼レアンは涙目になる。


「わかったか?」


 セフルに拘束されたまま睨めつけられて必死に頷くアキ。それを見ていたナギが可笑しそうに笑う。


「はははは、セフル様とアキって、仲がいいですよね。会ったばかりとは思えないです」


 はじけるような笑顔に、他の二人も笑顔になる。拘束を解かれたアキが不思議そうに言う。


「なんだか、セフル様とは初めてな気がしないんです。会うまでは声しか聞いたこと無くて、ちょっとおっかない人かなあとも思ってたんですけど。慣れると親しみやすくって、ついつい軽口を言ってしまって……無礼でしたか?」


 それに対して精霊神は少し寂しいような懐かしいような色を紫の瞳に乗せる。


「いや、わらわも気兼ね無くやりあえて嬉しいぞ。ただし、ナギの前で教育に悪いことは無しじゃ」

「はーい。前では、ですね」


 一昨日の晩のことを思い出して、茶目っ気交じりに答えるアキ。


「ふん! そういうことじゃ。それより、ナギ、さっきはどのくらい痛かった? まだ痛いか?」


 セフルの言葉に、ナギが小さな手を閉じたり開いたりする。


「一瞬、拳をぶつけたような痛みがありましたけど、すぐに無くなりました」

「そうか。やはり、かなり深く繋がっておった様じゃな」


 アキが心配そうな不思議そうな顔をする。


「どうして、ナギ様まで痛いんですか?」

其方そなたの魂に深く意識を向けておる時に、其方そなたが怪我をしたからじゃな。魂が繋がっておればこのくらいのことは起こる。じゃが、初めてでここまで深く繋がれるとはのう。ナギの魂は鋭敏なのじゃな」


 褐色のしなやかな指が、素晴らしく大きなおでこを優しく撫でる。


「ごめんなさい。ナギ様」


 駆け寄ってきたアキが頭を下げる。


「うん、もう無茶しないでくださいね。アキが痛くなるのは嫌ですよ」


 今度はナギの小さな手が、甘栗色の頭を撫でる。


「無茶というより、馬鹿じゃがな。まあ、慣れれば瞬間的に感覚の繋がりを絶つことが出来るようにはなるから、それほど心配はいらん」


 耳やしっぽを丸めて、露骨に落ち込むアキを、セフルが慰める。


「しかし、これだけ深く繋がれるなら、次の段階に進めそうじゃの」

「次の段階ですか?」


 目を輝かせるナギの質問に、大きく頷くセフル。


「いまは、アキが術石魔法ペトラ・マギアを使うところを感じただけじゃが、今度はナギからアキに働きかけてみようか」


 またもナギの頭に疑問符が飛び交う。


其方そなた、水の生成の術式は覚えておるか?」

「はい。覚えてます。術式の授業の最初の方でやりました」


 術式とは、魔法を発動させる際の中核となる部分である。魔力を使って、術式に記述されたとおりに、世界に影響を与えるのが人の使う魔法である。


「ナギ様、もしかして、セフル様に術式の内容を教わってるんですか?」

「はい。僕が書いたものをユナに仮想演算エミュレーションしてもらったり、セフル様に実際に使ってみてもらったりして勉強しています」


 ナギの言葉に、アキが軽く目眩を覚える。魔法を構成する部品である術式の存在については、様々な知識とともに精霊神たちによって伝えられているために、その実在は疑われてはいない。しかし、その詳しい内容に関しては全く公開されていない。詠唱魔法タウ・マギアで唱えられる呪文は、術式界プロト・レイヤーにある術式を組み合わせて適切な魔法を構築するための検索語の様なものであって、術式そのものではない。術石魔法ペトラ・マギアも、術式は既に術式石プロト・ペトラに書き込まれた状態で精霊神から下賜されるので、やはり術式を目にすることはない。つまり、術式とは魔法が支える揺籠結界クレイドル世界において、秘中の秘とも言えるものなのである。


「セフル様が魔法を作り出されたというのは、物語の中だけの話じゃなかったんですね」


 もちろん、そのことに恐れ多さも感じるが、それよりも世界の秘密に近い知識をナギに与えてしまうセフルの、その過保護さにアキは少しあきれてしまっていた。


「作り出したのはわらわでは無いぞ。遙か太古の先達じゃ。わらわは忘れさられていたものを理解して整理して簡素化しただけじゃな」


 あっさりと歴史的な事実を披露したセフルがナギのもとに歩み寄る。


「さて、ここからが本番じゃ」


 なにをするのかと緊張気味にセフルを見上げるナギ。わくわくしている様にも見える。


「意識を集中した時に見えるアキの魔力回路に、其方そなたの意識で術式を書き込むところを想像するんじゃ。いきなり高度な魔法もなんじゃから、まずは簡単な水の生成でよかろう」


 セフルに言われて目を閉じるナギ。簡単だといっても、単純に大気中の水分を集める魔法と違い、水そのものを魔力から生成する魔法は、一般的には十分に高度な魔法である。


「えっと、アキはどうしていればいいんでしょう?」


 アキが困ったような顔をしてセフルに助けを求める。


「魔法さえ使わなければ何もせんでよいし、何をしていてもよいんじゃが……ナギ、感覚がわかりにくいなら、アキの下腹に触れながらやってみるといいぞ」


 言われたアキは、そそくさとナギのそばに近寄って、もともと短めのスカートを捲り上げる。


「はい、どうぞ」


 ちょっと頬を染めるアキに対して、ナギは冷静にその手をとってスカートを下させる。


「はしたないですよ、アキ」


 少年が護衛メイドを人差し指を立てて、めっ、と叱る。


「でも、直接触った方がわかるかと思って……」


 叱られたアキの犬耳がしゅんとなっている。


「気持ちはありがたいけど、まずは触れない状態でやってみるね」


 少年が宥めるように言うと、年上の人狼レアンの娘はすぐに機嫌を直す。


「ナギ様、頑張って~」


 気の抜けたような応援に、ほほ笑みだけを返してから目を閉じた少年は、自分の中に集中し始める。先ほどと同じ様に二つの光を感じる。徐々にアキの光を緑色、セフルの光を橙色だと認識する様になってきた。アキの光に意識を寄せていくと、中心部が橙色で外に向けて緑色になっていく複雑な層を成していることがわかる。


「アキの魔力回路に術式を書き込む」


 なすべき事を口に出して確認する。少しの空白が流れる。


「こうかな」

「あんっ……」


 ナギが術式を書き込んだ瞬間、アキが小さく声を上げる。


「ほほう。一度で成功か。末恐ろしいのう」


 セフルが感心するが、アキは何か微妙な顔をしている。


「アキ、どうしました? どっか痛いのですか?」


 アキの様子にナギが心配して声をかける。思い当たる節があるらしいセフルは、ニヤニヤとして見ているだけだ。


「ねえ、アキ」


 もじもじとして答えないアキの手を小さな手が握りしめる。


「きゃあ」


 アキの女の子の悲鳴にナギが思わず手を離して、おろおろする。


「ねえ、アキ、大丈夫ですか。なにか嫌でしたか?」


 アキは盛大に首を横に振るだけで、何も言わない。そこでようやくセフルが助け舟を出す。


「まあ、あれじゃな。ナギの魂が直接触れたからこそばゆかったのじゃろう。のう、アキ」


 セフルがアキに向かって軽く片目を閉じる。それを見たアキが慌てて頷く。


「あ、はい、そうです。なんだかくすぐったくって。でも、一回で成功するなんてナギ様は凄いです。アキ、感動です」


 アキが片八重歯を見せて本当に嬉しそうにいうので、ナギも笑顔になる。


「うん、ありがとう」


 セフルが、眼下にあるナギの頭を優しく撫でながら、アキを見る。


「さて、次はアキじゃ。自分の下腹に術式石プロト・ペトラがあるつもりで、魔法を発動させてみよ。それほど難しくは無いはずじゃ」


 アキが二人に背を向けて魔法を発動させる。


発動コレル!」


 ボッブァアアア!!


 伸ばした両手の平の間で生み出された水が、爆発的に飛び出していく。


「きゃあ!」


 想像以上の水量に驚いたアキが手を上に向けてしまうと、シャワーの様にあたりに水が降り注ぐ。


「わあ、噴水みたいですね」


 ナギが降り注ぐ水に無邪気にはしゃぐ。セフルはその水には動じずに、ナギの姿を微笑みながら目で追っている。


「アキ、術式石プロト・ペトラも詠唱も無しに魔法が使えちゃいました」


 アキは自分の行為に驚いている。


「一度使えば術式は消えてしまうから、一般的な魔法を使うなら、術式石プロト・ペトラを使う方が便利じゃろう。じゃが、術式石プロト・ペトラと違って、ナギが書き込めば、階梯に関係なく、どんな魔法でも使用可能じゃ。ナギが考えた魔法も含めてな。わらわ術式魔法プロト・マギアと呼んでおる」


 何でも無いことのように説明するセフルに対して、アキはナギを護るために授けられた新たな力の大きさに身震いしていた。

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