第18話
燦々と陽の光が降りそそぐ賑やかに飾り付けられた庭園を見渡しながら、ゴドウィンは安堵の息を吐いた。アーデンの挙式にあたり、ベストマンを務めることになった彼は、先ほど雄弁なスピーチで会場を沸かせてきたばかりだった。昨夜のバチェラーパーティーから教会での式の案内役、そしてこの披露宴での進行役と、それらの準備をすべて任されてきたものの、先のスピーチでようやくこの大役にも終わりが見えてきていた。ほっと胸をなでおろす気分でグラスを満たす白ワインを煽ると、愛らしく心地よい声が彼の鼓膜を震わせた。
「おつかれさま。とっても素敵なスピーチでしたわ」
隣に目を向けると、ヴァイオレットの眩しい笑顔がすぐそばにあった。親しげなのは口振りだけで、菫色の瞳はまったく笑っていない。
ヴァイオレットはメイド・オブ・オナーとして新婦側の立会人を務め、プラムウェルの地に立ち入ってから今日この日に至るまで、度々ゴドウィンと顔を合わせて式の準備を手伝ってくれていた。この披露宴においても、これからはじまる新郎新婦のファーストダンスのあと、ゴドウィンのダンスパートナーを務めることになっている。
今日の彼女は紺色の質素なモスリンのデイドレスを着て、シンプルに結い上げた髪を後頭部でまとめていた。社交の場で着飾っていた彼女とは違う、背伸びをしないその姿は、本来の彼女が持つ凛とした美しさを、よりいっそう際立たせているようだ。
オグバーン氏主催のあの夜会のあと、ゴドウィンは何度かヴァイオレットに謝罪の手紙を出していた。本来ならば、テラスハウスを訪問するべきだったのだが、彼は立場上それができなかった。そんな真似をすれば、彼が彼女に懸想しているものだと彼女の伯母に誤解されてしまいそうだったからだ。
ゴドウィンは毎晩のように夜会に顔を出しては彼女の姿を探した。一度は招待を断ったものも含め、ありとあらゆる夜会に顔を出してみたものの、あの夜を境に、彼女は忽然と社交の場から姿を消してしまっていた。
冷静に考えれば、妹がアーデンとの結婚を決めたことで、彼女は爵位や財産目当ての花婿探しをする必要がなくなっただけなのかもしれない。ラーズクリフ伯爵と関わる必要がなくなっただけなのかもしれない。けれど、ゴドウィンはそれだけでは納得できなかった。彼はどうしても、もう一度彼女と話をしなければならないと思っていた。
実のところ、ゴドウィンが今回の式でベストマンを引き受けた理由のひとつは彼女だった。双子の——そして最愛の妹の結婚式ともなれば、彼女は必ずメイド・オブ・オナーを務めるに違いないからだ。
ベストマンを任されたのがゴドウィンだと知ったとき、彼女は冷静そのものだった。彼女はまるで初対面さながらに——ふたりのあいだには何事もなかったかのように振舞ってみせた。式の準備で相談を持ち掛けたときも、事務的な会話には快く応じるものの、私的な話には一切乗ってこなかった。彼女が耳を傾けるのはベストマンとしてのゴドウィンの言葉だけであり、ラーズクリフ伯爵としての彼には一切関心を向けようとはしなかった。だから、彼女の労いの言葉が何者に向けられたものなのかも、ゴドウィンは正確に理解していた。
「なかなか骨が折れたよ」
彼は苦笑した。スピーチは幼少期のアーデンとの思い出話にはじまり、彼が新婦と出会い、結婚に至るまでの物語を彼なりのユーモアを交えて語ったものだった。馴れ初めに関しては極力触れないよう注意が必要だったが、その後は難なく話をつくることができた。
アーデンの果敢な求愛にミス・シャノンが応えた。多少の脚色はあっても真実には違いなかった。ゴドウィンは自分のスピーチに満足していた。けれど、口にした労いの言葉とは裏腹に本心ではスピーチの内容が不服だったのか、ヴァイオレットは素っ気なくうなずいただけで、ゴドウィンと目を合わせようとはしなかった。洗練された所作で、皿の上の料理を黙々と口に運んでいく。
「ミス・メイウッド」
ゴドウィンは彼女に語りかけた。
「きみが私のことを良く思っていないことは理解しているつもりだ。だが、どうか私の話を聞いて欲しい」
「いいえ、結構よ」
きっぱりと拒絶の言葉を口にして、彼女は口元をナプキンで拭った。
取り付く島がないとはこういうことか。ゴドウィンは小さく溜め息を吐いた。ワインをぐいと煽り、適当に食事を済ませると、それからふたたび席を立ち、木陰に控える楽団の元へと向かった。
そもそもの話、披露宴の進行役を務めるゴドウィンには、ヴァイオレットとゆっくり話をする時間などほとんどなかった。
新郎新婦のファーストダンスは披露宴におけるメインディッシュのようなものだ。はじめるなら皆が食事を楽しみ終えた今がちょうど頃合いだろう。ゴドウィンが楽団の席に近付くと、察しの良い指揮者はすぐにうなずいて席を立った。白いタクトがなめらかな軌跡を描き、ロマンティックなワルツの旋律が庭園に響き渡る。アーデンが花嫁の前に跪き、手を差し伸べる。花嫁が彼の手を取ると、たちまち広場が歓声に湧いた。
オグバーン氏主催の夜会でそうしたように、アーデンは堂々としたリードで花嫁と踊りだした。幸せに満ち足りた花嫁の顔を見ていると、あの夜、アーデンとの結婚を勧めた自分の判断は決して間違っていなかったのだとゴドウィンは確信できた。ヴァイオレットも今のふたりを見れば、同じような感想を抱くはずだ。ちらりと彼女の席に目をやると、彼女は複雑な表情で、踊るふたりをみつめていた。
ゴドウィンはぐっと唇を引き結んだ。颯爽と席に戻り、さりげなくヴァイオレットの傍に歩み寄ると、優雅な身振りで手を差し出して、言った。
「お手をどうぞ、ミス・メイウッド」
ヴァイオレットは手にしていたナイフとフォークを置くと、柔らかに微笑んで、すんなりと彼の手を取った。ゴドウィンの読みどおりだ。彼女は最愛の妹の結婚披露宴を台無しにするような真似はしない。彼女が花嫁のメイド・オブ・オナーである限り、花婿のベストマンであるゴドウィンの誘いを断ることはできないのだ。
このダンスはゴドウィンにとってまたとないチャンスだった。彼女はダンスを踊り切るまでの約三分間、彼のそばを離れることができない。ごく親密な距離で彼と踊り続けなければならないのだ。
ゴドウィンはヴァイオレットと向かい合い、ほっそりとくびれた腰に手を添えた。彼女は穏やかな笑みを湛えたまま、ぴったりとゴドウィンの身体に身を寄せた。
大したものだ、とゴドウィンは思った。あの夜と同じだった。彼女は嫌な顔ひとつ見せず、自らに課した役割を演じている。きっとゴドウィンの前だけではない。社交の場では——もしかしたらそれに限らず、彼女は常に演じ続けてきたのかもしれない。あるときは理想の貴婦人を、またあるときは男を魅了し、手玉に取る悪女を。彼女が本当の自分でいられるのは、最愛の妹の前でだけなのかもしれない。
なぜ、こんなにも彼女のことが気になるのか、ゴドウィンにはわからなかった。彼女は感情的で気性が激しく、考えることも打算的だ。社交界で紳士たちを魅了した類い稀な美しさは、うわべだけのものでしかない。そんなことはわかっているのに、ゴドウィンはあの夜から彼女のことしか考えられなくなっていた。美しく着飾ったミス・メイウッドではない、ありのままのヴァイオレットと、もう一度話をしてみたかったのだ。
宴に招かれた紳士たちが、パートナーを連れて広場に集まってきた。ゴドウィンは軽やかにステップを踏みながら、ワルツにかき消されない程度の声でヴァイオレットに囁いた。
「ミス・メイウッド。きみと話がしたい」
「おっしゃらないで」菫色の瞳を翳らせて、ヴァイオレットが言った。「
「いや、わからない。話をしなければ察することなどできない」
ゴドウィンが言うと、彼女は困ったように眉根を寄せた。
「どうして私に構おうとするの? あなたは私を助けない。私はあなたに助けを求めない。それで話は終わったはずだわ」
「まだ話は終わっていない。あの夜起こった出来事はそれだけではなかっただろう」
「キスのことなら気にしていないわ。謝って欲しいとも思わない。その話に触れて欲しくないの。一刻もはやく忘れたいんだもの」
「私は忘れたくない」
思いがけない言葉が口を突き、ゴドウィンは息を飲んだ。ヴァイオレットの菫色の瞳が、今日、初めてゴドウィンを映した。
「……驚いたわ」彼女は言った。「もし、今の言葉が言葉どおりの意味のものなら、ごめんなさい。私はあなたとそういう関係になりたいとは思わないの」
「それは、貴族とは結婚したくないという意味かい?」
「いいえ、伯爵様。あなたとは結婚できないという意味よ。あなたはあらゆる意味で、私とは
はっきりとそう口にして、彼女はゴドウィンの手を放した。気が付けばワルツは終わり、人々が庭園のあちこちに思い思いに散っていくところだった。
「さようなら、伯爵様」
そう言って優雅に淑女の礼を取ると、ヴァイオレットは颯爽と人波のなかへと姿を消した。ゴドウィンは何も言えず、しばらくのあいだ茫然とその場に立ち尽くしていた。
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