第32話 劣等感と不自由な選択
太陽が沈み始める頃、辺りには木がぶつかり合う音が鳴り響いている。立派とまではいかないが、庶民には手に入らないであろう屋敷の庭で、小さな男の子とその父親が剣の稽古をしている。
「ほら、キュイール。動きが鈍くなってるぞ! 常に相手の動きを観察しろ、常に視界に入れろ。目の動き、筋肉の動き、足の向きを見て
キュイールはたどたどしい動きで、必死に父親の木剣を受ける。
「下がるな! 逃げ腰になると相手につけ込まれるぞ! 逃げるのと避けるのでは違う」
キュイールは木剣を受けながら、父親の言う通り動きをよく観察してみた。
すると、右脇に隙がある。キュイールは父親の懐に飛び込み木剣を振りかぶる。
しかし逆に剣を振りかぶった時の隙を狙われ、後ろに回り込まれ喉元に木剣を当てられた。
「キュイール、
父親は木剣を下ろして、キュイールの頭を撫でてため息をついた。その表情を見てキュイールは肩を落とし俯いた。
「お父様……すみません。次から気を付けます」
「もうすぐ日が暮れる、疲れただろう? ゆっくり休みなさい。身体を冷やさないようにな」
そう言って父親は、笑顔を見せて屋敷に戻って行った。
キュイールは自分に剣の才能がない事を自覚している。聖女の従者になるべく様々な学問の勉強をしているが、剣術だけは苦手だった。
聖女の従者になる――従者と言っても実際は従者と言うより『聖女の守護』という役割の方が重視されると言われている。つまり従者は強くなくてはならないのだ。
「こんなんじゃリリアを守る事なんか出来ないじゃないか……」
キュイールは、悔しさで涙を目に溜めながら呟いた。
そんなキュイールの様子を、窓から父親と母親が寂しそうに眺めている。
「ねぇ、ガレット。あの子はどうかしら……剣術の方はやっぱりダメなの?」
「……ああ、残念だが才能はないな。学力は平均よりかなり高いが、剣術はさっぱりダメだ。性格的な問題かもな、遠慮がちで臆病だ。私達にとっては出来過ぎたいい子なんだが、聖女様の従者となると難しいかもな」
ガレットは眉を寄せて口を結んだ。
「そうね、でも私は聖女様の従者になんてならなくてもいいと思うわ。候補者の選別では死人が出た事もあると聞くし、選ばれたとしても旅は危険ですもの。
「聖女様の従者になる事はキュイールの願いだ、あの方もきっとわかって下さる。それよりフラリネ、今夜はあいつの好きな鴨肉を食べさせてやろう、今日は頑張ってたからな」
ガレットは元気付けるように明るく言って、フラリネの肩を抱いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
翌日、キュイールが庭で一人で剣の稽古をしていると、リリアがやって来た。
「キュイール、頑張ってるのね」
リリアの優しい声は、キュイールの心を穏やかにさせる。
ちょこんと地べたに座り稽古を眺めるリリアに、キュイールはわざと目を合わせずに、木剣を振りながら尋ねた。
「またレイフォード様のお墓に行ってたの?」
キュイールの質問に、リリアは悲しそうに目を伏せて小さく頷いた。
「時間が経つのは早いね、お兄様が亡くなってもう五年も経っちゃった」
『僕がレイフォード様の代わりに、リリアを守ってみせるから』そんなセリフが飛び出しそうになった。
しかしレイフォードの代わりと言うのは、やはりおこがましいと思った。自分にレイフォードの代わりが務まる訳がないと、卑屈に考えるのは劣等感があったからだ。
キュイールは結局何も言えずに、無言で木剣を振り続けている。
素振りを続けるキュイールの姿を見て、リリアはため息をついた。
「悲しんでばかりじゃダメね、もっと頑張らなきゃ……『メイデクス家』は女も男に負けないよう強く育てるって家だからね。おまけに勇気の加護が発現してから、体術も剣のお稽古もますます厳しくなってさぁ」
リリアは愚痴をこぼして立ち上がり苦笑いを浮かべた。手でスカートを払いそのまま後ろで手を組みながら、キュイールの周りゆっくりを歩き出す。
「でもね、本当は――」
「――リリアは体術でも僕より強いからなぁ……それじゃダメなのに」
リリアは何かを言いかけるが、キュイールはそれを遮ってしまった。頭の中で反芻していたセリフを口にする為、余裕がなかったからだ。
木剣を振りながら深呼吸をして勇気を振り絞る。
「……でも絶対強くなって、ぼ、僕が従者としてリリアをま、守るから!」
真っ赤にした顔をリリアに見せないように俯き、ごまかすように素振りを続ける。
リリアは立ち止まって振り向き、キョトンとした表情から柔らかな笑顔へと変化する。
「ご、ごめん。何か言いかけなかった?」
「ううん、何でもないの、ありがとう……でも強いってさぁ、戦いだけじゃないと思うの」
キュイールは思わず手を止めた、リリアが何を言ってるのかわからなかった。キュイールにとって強さとは、戦いに勝つ事だと思っているからだ。
「何で? 聖女様の従者になるには、強くなきゃ……じゃないと悪いヤツから守れないよ」
リリアは顎に人差し指を当てて、空を見上げて何かを思い出すように考えている。
「ほら、覚えてる? 昔さ近くの森で遊んでた時に、二人して迷い子になっちゃったじゃない。夜になって真っ暗な森の中で、私は怖くなってずっと泣いてて……でもキュイールは泣かないで私の手を握って、『大丈夫だ、僕がついてる』って慰めてくれた」
キュイールは黙ってリリアの話を聞いている。リリアは思い出しながら笑顔を作る。
「うまく言えないけど『強い』ってさ、そういう事なんじゃないかなぁ……だからキュイールはとっても強いと思うよ?」
「結局、お父様達が探しに来てくれて、すっごく怒られちゃったけどね」
キュイールも当時を思い出して、苦笑いをしながら言った。するとリリアはケラケラと笑いだす。
「アハハ――あの時は楽しかったなぁ……」
リリアは無邪気に笑った後、急に真面目な顔をした。
「あのねキュイール、これからしばらく会えなくなるんだぁ。これから聖都ラビナスで暮らすの。『剣の稽古だけじゃなくて、聖女になる為に学ばなきゃいけない事が沢山あるんだ』ってお父様がね」
声を低くして父親のものまねをした後、リリアは少し寂しそうな表情をする。そんなリリアにキュイールは精一杯の笑顔で励ました。
「リリアなら大丈夫だよ! きっと立派な聖女様になるに決まってる。だから僕は従者になるんだ、次に会う時は従者候補としてだよ!」
「そっか……そう言ってくれて嬉しいな、キュイールも頑張って。約束だからね!」
リリアは微笑みながら手を出した。キュイールは服で自分の手を拭いてから、リリアの手を取って握手をした。
「聖女様か……結局
そして十年の時が流れた。
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