第10話 絶望と希望
ブリーズはローセルを睨みつける。
「知ってんだぞぉ? もう一人天才とか呼ばれてる
痛みと苦痛で歪んだ顔が青ざめる、やはりシーブルに狙いが移ってしまった。何としても避けたい事態だったが、もはやどうにも出来ない。自分は余りにも無力だと痛感した。
ローセルはブリーズを蹴り飛ばすと、ブリーズの身体は数メートル吹き飛ぶ。
想像を絶する痛みがブリーズを襲う、加護の力で自然治癒力は上がっているがまるで追いつかない。今にも気を失いそうだが、ギリギリの所で踏み止まっている。
「ぐはぁああっ! はぁはぁ……口が
「婆さん、なかなかの使い手だけどさぁ。老いで魔力が枯れてるよ、
ブリーズは最後の力を振り絞り、魔法の詠唱を始めた。シーブルに教えた未完成の魔法だ。詠唱を必要とする魔法は基本的に禁術に指定されている、術者のみならず近くにあるもの全てに影響を及ぼす魔法だからだ。
「し、
「――させないよ」
ローセルは一瞬で近づきブリーズ顔を足で踏みつけ、詠唱を無理やり止める。
「危ねぇな……ったく生意気な婆さんだ、
ブリーズが最期に目にしたものは、ローセルの無表情な顔だった。人間を殺す事など、この悪魔にとって何でもない事なのだ。ゴミをゴミ箱に捨てるのと、大差ないのだと理解した。
「はい、さよなら」
ローセルは何の
「私は気が短いんだよ」
ローセルは剣をしまい、翼を広げて空に飛び上がりシーブルを探しに行く。
その頃、フレイアとラニアールは自宅に辿り着いた。フレイアはドアを開けて叫んだ。
「シーブル! はぁはぁ、逃げるわよ! お母さん達について来てちょうだい!」
目を
「お母さん! 怖かったよ、お父さんは?」
「お父さんは外にいるから、早く行くわよ!」
フレイアはシーブルの手を握り外に出る。ラニアールはシーブルを抱きしめた。
シーブルは心から安心した、大好きな父親とこうしてまた会えたからだ。しかしまだ心配事は残っていた、ブリーズの安否だ。
「ごめんな、怖い思いさせて……お父さんが絶対に守ってやるからな」
「ブリーズお祖母様は!?」
当然とも言える質問がシーブルから投げかけられる。今ここでラニアールは本当の事を伝える訳にはいかなかった。『命を賭して村人を逃がす為の時間稼ぎをしてる』幼いシーブルにはその真実があまりにも重たい。
「おばあちゃんは……大丈夫だ。ネイブス達ともう逃げ出した、ニヴルを出てから落ち合う予定だから安心しなさい」
胸が張り裂けそうな思いで嘘をつき、ラニアールは二人を連れて、自宅の裏手から森に入った。村のあちこちから悲鳴が聞こえてくる。ラニアールはその声を聞きながら、悔しさと悲しみで顔を歪め歯をくいしばる。もはや絶望的な状況だった。
森を抜けると、広い草原がある。モンスターに見つからないように身を低くして、慎重に進んでいると、突然雑草が凍りつき身動きがとれなくなった。
「――どこ行くのかなぁ? 逃げられると思ってるのかよ」
空からローセルが降りてくる。上から見られていたのでは意味がない。
「くそぉ! フレイア! シーブルを連れて逃げ――ぐぁぁぁ!」
そう叫んだ時には、ラニアールの身体は真っ二つに切断され内臓が
腹が熱く、呼吸がうまく出来ない。喉の奥から逆流した血液で、口の中に鉄の味が広がった。
ラニアールの
「お父さん! お父さん、嫌だよぉぉぉ!」
氷結魔法【
上半身と下半身が離れても、ラニアールは最後の力を振り絞り魔法を使う。
「お、お前の、好きには……させない!」
「あっそう」
氷結魔法【
ローセルの魔力で生成された巨大な氷の岩を、ラニアールの上半身に向けて落とす。ラニアールの放った魔法は搔き消され、下半身を残しラニアールは潰された。氷の岩の下の部分が真っ赤に染まり、血が凍りつき始めていた。
「いゃぁぁぁぁ……ラニアール……うぅ」
ラニアールが氷の岩に潰される瞬間が目に焼き付き、緊張の糸が切れたフレイアは泣き崩れる。シーブルは相変わらず泣き叫んでいた。
――ああ、またか。私の家族はまた魔族に殺されて、最愛の我が子を失うのね。
心が壊れないよう防衛本能が働いたのか、フレイアは気を失いそうになる。しかし今気を失うわけにはいかない、シーブルはまだ生きているのだ。自分の命などどうでもいい、子供だけは――シーブルだけは守り抜くとさっき誓ったばかりだ。
「キャンキャンうるさいなぁ。耳がイカれちまうだろ? そのガキが噂の天才か、確かに人間のガキにしては強い魔力を持ってるねぇ」
フレイアは涙を流しながら覚悟を決めて、両手を広げシーブルの前に立ちローセルを睨みつけた。
「この娘には指一本触れさせない!! シーブル早く逃げて、お願いだから!」
しかしシーブルは震えて動けない。目の前で父親が殺され、母親も死ぬかも知れない。もちろん自分も……死の恐怖に支配され足が思うように動かない。
「何してるのシーブル! 早く逃げなさい!!」
母親の必死な声を聞き勇息を振り絞った。シーブルは泣きじゃくりながら何とか立ち上がり、凍った雑草に足を切られ血だらけの足を引きずって、必死で逃げようとした。
いたい、いたいよ、足がいたい。こわいよ、どうしてこんな事になってるの、やだよ、たすけてよ。ブリーズお祖母様、たすけて……お父さんとお母さんをたすけてよ。ブリーズお祖母様、ブリーズお祖母様、ブリーズお祖母様。
シーブルは頭の中で呪文のように、ブリーズに助けを求めていた。
懸命に逃げようとしている子供を見ていて、ローセルは楽しかった。どうやってこの子供を絶望させてやれるか? それを考えるとゾクゾクした。
「そうかぁ、それならこの方がいいかな? ほら、よく見てろよ!!」
氷結魔法【
ローセルは魔法でフレイアの足元から凍りつかせ、全身を巨大な氷の
目の前で母親が凍らされ、シーブルは頭を抱えて喉から血が出る程の大きな叫びを上げる。
「お母さん……いやぁあああああああ!!!」
ローセルはシーブルの元まで歩いて行き、横腹を蹴り飛ばす。シーブルはお腹を押さえて
「うるせぇって言ってんだろ? 話が出来ないじゃんかよ。お前を殺す気はないからさ、言う事聞きな」
シーブルは母親から貰った大切なスカーフを拾い上げ。ローセルを見上げる。
「ぐぅ、ごほっ……お前なんかブリーズ様がやっつけてくれるもん! ブリーズ様が……きっと」
「あの婆さんならとっくに死んだよ、首チョンパだ。キャハハハ」
ローセルは自分の首を
「――え……嘘、うう、うあぁぁ!」
シーブルはローセルの言葉を聞き、うずくまって泣きじゃくり何も言えなくなった。その様子を見てローセルはため息をついた。
「でもよぉ、お前の母ちゃんはまだ死んでねぇよ。ただし、私の言う事を聞かないと永遠に凍ったままだ。母ちゃん助けたいんだろ? それなら私に協力しな。素直にしてればそのうち助けてやるよ」
それを聞いたシーブルは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら土下座をした。もはやシーブルは冷静な判断が下せない、まだ幼い彼女は『母親だけでも助かるかも知れない』というたった一つの希望にすがるしかなかった。
まさにこれがローセルの狙いだと気付く事も出来ずに。
「何でもするからぁ……うぅ、お願いします。だからお母さんを……お母さんを助けて下さい」
シーブルの様子を見て、ローセルはニヤリと笑った。自分の思い通りになって満足した、これで死ぬまで自分の言いなりだと。
「いい子だ、母ちゃん助けられるようにしっかり働けよ。お前には魔法薬をたっぷり作ってもらうからな」
ローセルはシーブルを抱えて飛び上がり、シーブルの耳元でささやいた。
「
ローセルの不快な笑い声を聞きながら、シーブルはスカーフを握りしめた。
それからシーブルは、言われた魔法薬を作り続けた。ローセルが欲しがったのは不老の魔法薬だった。
ブリーズに教わった不老薬は、不完全な物だった。人間には副作用が強すぎて、服用すると
ブリーズの母親の代から長年、人間に使えるように研究をしていたらしいが、完成はしなかった。
そんな未完成の不老薬は、魔族であるローセルの身体には充分な効果を発揮した。
シーブルは自分の感情を殺し、母親を助ける為に懸命に働いた。そして魔法の修練に励んだ。ローセルの信用を得る為に、命令された事は何でもこなした。
シーブルはいつしか『氷の魔女』と呼ばれるようになっていた。
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