第9話 猫目の悪魔
シーブルが魔法を教わるようになってから、一週間が経った頃。いつものように、ブリーズの家で魔法薬と加護の勉強を終えたシーブルは、自宅に帰って来た。息を切らして家のドアを勢いよく開ける。
「お母さんただいま! お父さんはもう帰ってる?」
自宅に帰るなり、家の中を見回した。父親から魔法を教わるのが好きだった、まだまだ甘えたい年頃のシーブルは父親の事が大好きなのだ。そんな娘の事を母親は愛おしく想い、心から幸せを感じていた。
「まだよ、もうすぐ冬が来るからね。今のうちに食べ物を沢山集めておかないと、冬が越せないのよ。だから今日は少し遅くなるかな」
母親はジャガイモの皮を剥きながら、シーブルに言い聞かせる。
「ちぇ、また新しい魔法を教えてもらいたかったんだけどなぁ」
シーブルはふて
「そんな顔しないの。実は昨日ね、ネイブスおじさんからまた
シーブルはその言葉を聞いて目を輝かせた。蜂蜜はこの辺りではなかなか手に入らない貴重な品だ、ネイブスがたまに仕入れてくる蜂蜜がシーブルは大好きだった。
「本当!? やった、ネイブスおじさんに会ったらお礼言わなきゃ!」
はしゃいでいるシーブルを見て、ジャガイモを剥くのを中断した。温めたミルクをカップに注ぎ、蜂蜜を入れシナモンスティックで
蜂蜜とシナモンの甘い香りが漂い、それをシーブルに手渡してから優しくシーブルに話しかける。
「それより、お祖母様に教わった魔法薬を
母親は自分の娘である彼女を誇りに思っていた、村人からも神童などと呼ばれ、ブリーズからもその才能を認められている。でも何より、心優しく自分の為じゃなく誰かの為に努力する、そんなシーブルの人柄を誇りに思っているのである。
母親に
蜂蜜ミルクを口にするシーブルの頭に巻いてあるスカーフが、崩れかかっているのに母親は気がついた。ブリーズが幼い頃巻いていたスカーフに模して母親が作った物だ。
「あたしね、村のみんなの病気を治したり、元気になる魔法薬を沢山作れるようになって、ブリーズ様の後を継ぐの! それで悪いヤツからこの村を守るんだ」
「そう、ならもっと頑張らないとね。またスカーフの結び目が崩れてるじゃないの、ほら結び直してあげるからじっとして」
母親はシーブルの頭に手を回し、慣れた手つきでスカーフを結び直す。
「自分で出来るよ、もう」
シーブルはしかめっ面をしながら、蜂蜜ミルクを一口飲んだ。
その時、家のドアを激しくノックする音が聞こえる。シーブルは怖くなって母親の後ろに隠れた。
「大変だ! フレイアさん! ネイブスだ、開けてくれ」
父親の仕事仲間であるネイブスの声を聞き、母親のフレイアは
「どうしたの? 何かあったの!?」
「……村に魔族がやって来た。ブリーズ様を出せと言ってる。魔法薬を
「主人はどうしてるの!?」
「あいつはブリーズ様の所に……」
それを聞いたフレイアは深刻な顔をして震えだした。彼女の両親は魔族に殺されている、嫌な思い出が脳裏に浮かんだ。守らなきゃならない、今の幸せを壊す訳にはいかない。
確かにシーブルを連れて今すぐ逃げるという選択肢もある。でも両親を亡くし一人ぼっちだった自分を愛し、幸せな家庭を築いてくれた夫を見捨てる事は出来ない、彼女もまた愛しているのだ。
「大丈夫よ、わかったわ。私もすぐ行く」
ネイブスにそう伝えてから、不安そうにしているシーブルを落ち着かせるように、優しい笑顔を見せる。しゃがんでシーブルの視線の高さに顔を合わせて手を握ると、改めて我が子の幼さを実感した。
『今日この小さな自分の娘と別れる事になるかも知れない』そんな不安が頭をよぎった。
「シーブル……この家で隠れて待ってて。もししばらくしてお母さんが帰って来なかったら、その時は誰にも見られないように村から逃げなさい。出来れば、ニヴルから出る事。いいわね!」
シーブルはフレイアのただならぬ態度と口調で、事態を察して目に涙を溜めた。落ち着かせようと作った精一杯の笑顔は逆効果だった。子供ながらにシーブルは勘が鋭い、村人から天才と賞賛されるだけあって頭の回転も早い。
「いやだよ! 絶対にやだよ! そんな……何で逃げなきゃ行けないのぉ」
「大丈夫、シーブル。絶対に帰って来るからね、いい子で待ってて」
そう言ってフレイアは涙を
ネイブスとフレイアは、急いで村の入り口付近にある広場に向かった。そこには既に数人の村人の死体が転がっている。生きている村人は全員
その光景を見たフレイアとネイブスは、口を手で押さえた。
フレイアは忌まわしい記憶が蘇り絶句する。恐怖と怒りが入り混じっておかしくなりそうだったが、シーブルの事を思い出し『私がしっかりしなければ』と自分の心に鞭を振る。
「まさかもうこんな事になってるなんて……すまないフレイアさん、もう少し話し合いの余地があるかと思って。本当にすまない! こんな事ならやっぱりシーブルと先に逃げてもらえば――」
ネイブスは自分の考えの浅はかさを理解した。実際に魔族と会ったのは初めての事だった、今日ここで自分が命を落とすかも知れないという危機感もなかった。そんな彼がようやく『死』を身近に感じた瞬間だった。
「――いえ、そんな事は出来ないわ。主人もいるんですもの、どっちにしても私はここに来たと思うわ」
数体の仲間を連れた悪魔は、背中に翼を生やし青いドレスに猫のような目をしている。そして村人を見回し、大きい声を出す。
「おい! 何度も言わせるなよ。この村にブリーズって魔法使いがいるんだろ? さっさと連れて来い。早くしないまた一人村人を殺すぞ」
全員恐怖で震えて何も言えない状況だったが、一人の村人が思い切って立ち上がる。極限状態で勇気を振り絞る事が出来たのは正義感の強さからだが、足は恐怖で震えている。
しかしさほど意味のある行動ではなかった。称賛に値するとも、命知らずの馬鹿とも取れる行為だ。
「ブ、ブリーズ様に何の用だ」
「勇気あんなお前、いいじゃん聞かせてやるよ。
氷の加護発動【身体能力制限解除】【魔力増幅】
「――みんな下がれ!」
火炎魔法【
その声を聞いた村人は一斉に避難した。そのすぐ後に炎の塊が現れぐるぐると渦を巻くように回転を始めると一瞬で炎の竜巻が出来上がる。その熱気は凄まじく、近くにいたら一瞬で肺まで焼け焦げてしまいそうな勢いだった。ブリーズが手を振ると炎の竜巻が悪魔達を飲み込んだ。
おぞましい叫び声が村中に響き渡る。
「ブリーズ様! すみません、私達ではどうにも出来ず、逆らった者達はみんな殺されました」
「いいんだよ、いずれこんな日が来ると思っておった。それよりみんな早く逃げるんだ」
ブリーズは炎に包まれている悪魔達を睨みつけた。
「フレイア! シーブルを連れてニヴルから出るんだよ、今すぐ! そう長くは足止め出来まい」
ブリーズがそう言うと、そこへラニアールが駆け付けてブリーズの横に並び、木の棒を構えフレイアに向けて言い放つ。
「シーブルは家か! フレイア走れ!」
「馬鹿! ラニアール、お前も一緒に逃げるんだ!」
ブリーズは
ブリーズを焦らせる要因、それはボス気取りの猫目の悪魔だ。魔力感知に優れるブリーズは一瞬で感じ取ってしまった。自分と猫目の悪魔の絶望的な魔力の差を。
「だけど母さんだけ残して行けるわけないだろ!」
「あの猫目の悪魔の魔力は
ラニアールは涙を浮かべ、意を決したようにフレイアの手を取り走りだした。これが、自分の母親であるブリーズとの今生の別れとなるであろう、そう思うと涙が溢れてくる。
しかし母親がそうであるように、自分も守らなければいけない家族がいる。何より母親の決死の覚悟を無駄にしてはいけない。ラニアールの想いが前へ前へと足を踏み出させる。
「ククク、なかなかやるじゃん? 生意気に上級加護を扱えるのか。婆さんがブリーズって魔法使いだろ」
激しい炎の竜巻の中から不気味な笑い声が聞こえてくる。魔法で殆どの悪魔を焼き殺す事が出来たが、やはり猫目の悪魔は別格だった。笑いながらゆっくり炎から抜け出て来る。その姿を見ただけでブリーズは容易に絶望と死を連想した。
「
火炎魔法【
ブリーズは魔法を放つ、恐らく勝つのは不可能だ。村人をどれだけ逃がせるか、息子夫婦とシーブルを逃がす事が出来れば上等だ。
地面が割れてそこから燃えた溶岩が噴水のように、あちこちから
「足止めくらいは……!」
氷結魔法【
ローセルの魔法で辺りの温度が急激に下がり炎は一瞬で消えて、溶岩を一瞬で凍りつかせる。空気すら凍りつきキラキラと光が反射し、美しさすらあった。それを見たブリーズは
「婆さんさぁ、あんた氷の加護だろ?
ローセルの言った事は本当だ。確かに加護は自分の属性である魔法の威力を数倍に高めてくれる、しかし氷属性の相手に氷結魔法で勝負しても格上相手じゃ勝ち目はない。ブリーズが全盛期の頃なら真っ向勝負する事も出来たが、それは叶わない。
出した結論は火炎魔法で弱点を突く事だったが、やはり実力に差があり過ぎた。
ローセルは剣を抜く、刀身はまるで水晶のように輝き、その鋭い刃は氷で出来ていた。そして不敵な笑みを漏らし、突然ブリーズに飛びかかる。
アイススキル・氷結乱舞【
「いかん! ――」
氷の加護発動【フォースシールド展開】
氷結魔法【
激しい攻撃に厚い氷の壁は壊され、氷の刃が何度も身体を斬りつけ、肉がそぎ落とされ激しい痛みが全身を貫いていく。ブリーズは防御に
「ぐぁああっ! くっ……あたしを殺したら目当ての魔法薬は手に入らない! それじゃ困るんじゃないのか……?」
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